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六話 冒険の始まり

1

 ヤンおばさんと別れてからもうどれくらい時計の針の音が鳴っただろう。

 ただ茫然と、彼女にどんな風に声をかければ良かったのかを考えてしまった。


 正解が無いことを悔やんでも仕方ない。せっかく一日自由なのだ。気持ちを切り替えるべく、そのまま厨房で顔を洗い、ヤンおばさんの部屋に向かった。



 中はなんてことはない、普通の女性の部屋だった。自分が使っている部屋より広く、雑多ではあるが、物の置き場所がきちんと決まっているようで、汚い印象は無かった。


 鍵は机、というよりドレッサーの上に置かれていた。編み物のアクセサリーが付いたそれをポケットに入れる。



 部屋から出ようとすると、若い男女が写った写真が目に入った。きっと女性はヤンおばさんの若いときのもので、隣の男性は夫に当たる人なのだろう。


 その写真立ての横に更には二つ写真立てがあったが、伏せられていた。

 二つの写真を見てみると、一つは先ほどの二人の他に、若いヤンおばさんの腕の中に赤ん坊が写っており、もう一つの写真は今とほとんど変わらない姿のヤンおばさんと二十代ほどの男性——————恐らくスーさんが写っていた。

 


「……」



 どれも形式的に撮った写真だったが、写っている人達は皆口を大きく開けて笑っていた。もちろん、ヤンおばさんもだ。

 彼女がこんなに幸せそうな顔をしているのを、一か月弱も同じ場所に住んできて見たことが無い。

 


「……行こう」



 写真立てを元に戻し、部屋を後にする。

 あんな顔をもう一度して欲しいと、心の底から思った。




2

 閉店、という意味を持つ都文字を店の外側に見えるようにし、ブラインドを下げる。

 そうして扉にカギを掛け、念の為、扉をスライドさせてきちんと施錠されているか確認する。



「よし」



 これをいつも外側からでなく内側からやっているものだから、少し不思議な気持ちだ。


 然るべきことを終えると、通路の奥から声を掛けられた。



「青白さん……ですか?」



 肯定すると、その水人が小走りでこちらに向かってくる。

 背丈は低く、親人で言えば小学生くらいの身長だ。着ている服装から、なんとなく男の子というのが分かる。



「こんにちは。僕はノア・メガロスといいます」

「こんにちは。みんなから青白って呼ばれてるけど、森智義だよ」

「モリトモキ……!?」



 水人の少年は自分の名前を聞くと、驚いたような表情をした。



「どうかした?」

「い、いえ、なんでもないですよ」



 そう言って誤魔化すようにノアは後ろ頭を掻く。



「それよりトモキさん、僕に是非違世界(いせかい)について色々聞かせてもらえないでしょうか」

「はあ……」



 今日は応じれないが、断る理由は無い。それに、この子と仲良くなればもっと都のことを知れるかもしれない。幼い見た目だが、大人びたこの子なら色々なことを聞けそうだ。



「ああ、良いよ。ただ……」

「本当ですか!?」



 間髪入れずにノアがまくし立て始める。



「ならまず始めに違世界の国という概念について教えてもらえませんか。僕は国というものを都のようなものだと思っているのですが正しいのでしょうか。あ!一応説明しておくと都には国の概念が無くて『違世界冒険譚』の中だとサラッとしか説明されてなくて……」


「ストップ!ストップ!ごめん、教えてもいいけど来週にしてくれないか?」

「そ、そうですか……」



 ノアは残念そうな顔をした。



「理由をお伺いしても?」

「都に行って帰って来なかった父さんを捜しに行きたいんだ」

「……違世界から都に来てしまったら、帰れないんでしたよね」



 もと違世界に戻れないことは、子供でも知っていることのようだ。



「けど、そんな悲観的なことじゃないよ。父さんも俺も、この都を冒険したくてやって来たからね」

「冒険に……!」



 ノアはまくし立てた時のように、目を輝かせた。



「あ、あの!僕もその冒険に付き合ってもいいですか!?」



 冒険という言葉に強く惹かれたのだろうか。年相応の表情をノアはして、自分に提案してきた。



「もちろん良いよ。ただ、今は毎月の終わりの日にしか朱雀島を歩き回れないけどね」

「ええ……」



 再びノアは肩を落とす。



「……まあ、俺にとっては三幸食堂(ここ)で働くのも冒険だからね」

「か、カッコいい……!」

「それでもいいなら、ついて来るかい?」

「はい!はい!是非とも一緒に!」



 こうして、自分に始めての友達ができた。

 せっかく隣に話し相手ができたのだ。教会に話を伺いに行くのは今度にして、屋上に向かうことにしよう。

 この世界の——————都での始めての冒険だ。





3

 仰々しく冒険、だなんて言葉を使ったが実際は散歩だ。

 しかし隣にいるノアは、誕生日が近い子供のように口の端が少し上がっていて、楽しそうな表情をして歩いていた。



「なんか楽しそうだね」

「冒険って単語が好きなんです」



 ノアはそう言うと、嬉々とした表情で語り始めた。



「『違世界冒険記』っていう、僕の好きな本があるんです。その中の主人公——————『モリトモキ』は違世界の色々な場所を冒険するんですよ」

「へえ、俺と同じ名前の人が主人公なんだな」

「はい、そうなんです!」



 自分が知る限り、自分以外に日本人の名前を聞いたことが無い。平日は休む暇も無いくらい人がやってくる三幸食堂で働いているのにも関わらず、だ。

 働いている最中は、よく人の顔を見たり、会話の端々に聞こえる名前を聞いたりしていた。都にいる親人は中華系の容姿と名前をしているので、調査隊にいた様々な国籍の人をそういった面から探していたからだ。……まあ体調を崩していたから見逃している可能性は否定できないが……。



「まさか主人公と同姓同名の人と冒険ができるなんて!ああ(アネッア)よ、感謝します……」



 それを聞いて驚いた。



「君はアネッアヤーンだったのか!?」

「はい。実は……」

「今日は日曜日だよ?」



 アネッアヤーンであれば粛々と過ごすはずの日。そんな日にこの子は自分と歩きまわっているのだ。

 どこの宗教も大抵そうだが、子どもが信仰しているということは親も信仰している。ノアは親への許可は取ったのだろうか。



「親には学校の友達と祈りを捧げると言って来ました。親は敬虔な人なので……内密にしてもらますか?」

「もちろん、内緒にするよ」

「……ありがとうございます」



 そう答えるノアはなんだか後ろめたそうだ。


 ……そんな様子を見て、初めて海外に出た時のことを思い出した……。




4

 碌に下調べなんてせずにやって来たオーストラリア。

 幸運にも父さんの仲間と出会って、今はその人の家に居候してもらっている。



 今日はキリスト教徒であるその人に連れられて集会に参加していた。ここでは礼拝が済むと半ばパーティのようになり、用意されたお菓子やお茶を片手に談笑する時間になる。

 その人と一緒に、会話している人たちの輪の中に入る。と言っても自分は英語がとても得意という訳ではなかったので、聞き手に回っていた。


 この国の秋は意外と暑い。気温は確かに低いのだが、雲が全く無いので容赦なく太陽が照り付けてくる。あまり時間は経っていないはずだが、緑茶のおかわりを三回させるくらいには体が暑かった。


 四度目のおかわりを貰っていると、後ろから声を掛けられた。



「ハロー、トモキ」



 話しかけてきたのは、先週の集会で顔を合わせていたアレキサンドルだった。自分より少し年齢が低い、細身の男の子だ。



「やあ、アレキサンドル。ハロー」



 彼から話しかけられたのは少し意外だった。先週会話したときは自分から話しかけるタイプには見えなかったからだ。



「その……折角だし二人きりで話をしないか?」

「もちろん、良いよ」



 机に広げられていた袋詰めのお菓子(スナック)を一つ手に取り、アレキサンドルに連れられて教会の庭の端の方に移動する。大して距離は離れていなかったが、雑談が遠くのように感じられる場所だった。



「あ、あのさトモキ」

「何?」



 スナックの袋を開けながら聞き返す。



「正直俺、ここ来たくなかったんだよね」

「え?」



 口の中にスナックを入れようとしていた手が止まる。



「真面目に集会に参加するのがガキみたいだ、って最近知り合った人に言われてさ。親に行きたくないって言ったんだけどさ、怒られちゃってさ」

「そう、だったんだ」



 虚を突かれたような気持ちだった。何かを信仰している人は信ずるものを疑うことは無いと、心のどこかで決めつけてたからだ。



「けど、どうしてそれを俺に話したの?」

「君は日本人だろう?少なくとも教徒じゃないと思ってさ。友達が少ないから、こんな話、君ぐらいしかできなくてね」



 自嘲気味に、アレキサンドルは笑う。



「二年前かな……。どうしても欲しい玩具があって、それを買うために少しだけ親のお金を盗んだことがあったんだよ」



 彼は興奮した様子で話を続ける。



「父さんか母さんに怒られるかなって、神さまが罰するんじゃないかって怯えてたんだけどさ。結局誰も俺を罰しなかったんだよ……。両親も、教会のみんなにも、神にもさ!」



 自分は声を掛けられなかった。アレキサンドルにぴったりな英語が、いや、言葉が出てこなかった。



「……アドバイスを期待してたならごめん。俺は何も信仰したことが無いから……」

「そうか。何も信仰してないから、こんな悩みを持ったことなんか無いよね……」



 悔しかった。返事すらできない自分が情けない。



「……けど。心が楽になったよ。ありがとう、真剣に聞いてくれて」

「そんな、俺は……」

「お前はいい奴だよ。日本人の気持ちは解りづらいっていうのは嘘だな」



 そう言うとアレキサンドルは笑って、スナックを食べ始めた。自分もそれに倣ってスナックを口にする。


 うまいな、と言ってアレキサンドルは笑った。

 お互いに解決できなかった悩みを置いておき、集会が終わるまで他愛もない話をして、ゆったりとした時間を過ごしたのだった……。


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