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三話 ようこそ、三幸食堂へ

 1

 一番奥の四人席に案内され数分。暴れまわっていた心臓は落ち着きを取り戻し、同時に心にも余裕ができた。



 店の中を観察してみる。


 店の中には背もたれが高い四人席が三つ、厨房の向かいにはカウンター席が五つある。カウンター席の一番奥、すなわち自分の隣には小柄な親人のおじいさんが座っている。


 花柄の壁や天井、床には汚れが多々見られ、清潔とは言えないものの、物の置き場は整頓されていて、整った印象があった。


 机に置いてあるメニューを開くと、未知の言語と料理の写真が掲載されている。その中には炒飯や餃子などの中華料理が粗い写真の中に納まっていた。



「奢ろうかい?」



 メニューを見る自分を見て、おじいさんが話しかけてきた。



「いえ、気になっただけでお腹は空いていないです」



「そうかそうか」と頷くおじいさんは、慈しみのある笑顔を見せる。少し伸ばした白髭にとても良く似合っていた。



「とはいえ、親人料理なんてお前さんには珍しくないだろう?」


 (……ん?)



 親人料理、というのは恐らく写真にあった中華料理のことだろう。問題はそこでは無く、口の動きと話されている言葉が同じでなかったことだ。

 それまるで、日本語吹き替えの海外映画のようであった。



「大丈夫かい?」



 意識を現実へと戻す。



「ええ、よそ……向こうの世界では一般的な料理の一つでしたよ。俺も時々作ってました」

「そうかそうか。だがヤンちゃんの作るものには敵わないだろうさ」


「褒めたって茶のおかわりは出さないよ」

呵々(かか)、昔はこれで出してくれたんだがなあ」



 どうやらおじいさんはこの店の常連のようだ。



「自己紹介がまだだったね。儂はリー。そして彼女はヤンちゃんだ」



 ヤンちゃん、もといヤンおばさんはよろしく、と皿を洗いながら返事をした。



「君はなんて名前なんだい?」



 智義と名乗ると、リーさんは嬉しそうに目尻を下げた。



「やっぱりトモキ君はよそから来たんだね」

「ええ」

「ならこの店で働いておくれよ」



 厨房から一際大きく皿と皿がぶつかる音が響くと同時に、ヤンおばさんが声を出した。



「あ、あんた何言ってるんだい!?」

「いいじゃないか。人手が足りなくて配膳をお客さんに任せてたんだし。それに部屋も提供できるじゃないか」

「それを決めるのはアンタじゃなくてアタシだよ!」



 ヤンおばさんの話を意にも介さず、今度はこちらに話を振ってきた。 



「トモキ君はどう思ってるんだい?」



 正直、自分にとってこれほどありがたい話はなかった。

 入ってきた扉は消え、身を持って帰れないことを理解した今、衣食住は死活問題であったからだ。



「お願いします!住み込みで働かせてください!」



 テーブル席を離れて、頭を下げる。


 ヤンおばさんは明らかに狼狽えていた。



「大体アンタ、文字は読めるのかい!?」

「それは儂が教えよう」



 すかさずリーさんがフォローを入れる。



「じゃあ算数はできるのかい?」

「数字さえ分かればできます!」


「どうだいヤンちゃん。こんなにやる気のある若者なんて、朱雀島を探し回ったってそうはいないよ」

「まあ客に迷惑をかけているとは思っていたけどさ…」



 はあ、と溜息を一つ吐くと、観念した表情を見せる。



「分かったよ。とっとと文字を覚えな。そうじゃないと注文や会計に支障が出ちまうからね」

「ありがとうございます!」

「ただし、しっかり働かないとクビにするからね」



 勿論です、と大きな声で返答をする。


 就職が決まった自分を見て、リーさんは笑顔をそのままにあくびをした。



「ところでアンタはいつまでいるんだい」

「ん。確かに今日は長く居すぎたみたいだなあ」



 リーさんが顔を向けた時計には、数字こそこちらの文字であったが、十二個の文字が外側に並んでいた。



 (この世界も一日は24時間なんだな)



 二つの秒針は10時20分を指す。

 扉に入る時は深夜だったのだから、ここには時差があるのだろう。

 腕時計の針をこちらの時間に合わせておく。



「じゃあおやすみトモキ君、また明日」

「はい。明日はよろしくお願いします」




 2

 リーさんを見送ると、蛇口を捻り、水を止めたヤンおばさんが声をかけてきた。



「部屋に案内するからついて来な」



 手をタオルで拭きながら、入口前のレジの奥へ歩いていく。


 垂れ下がった布の仕切りの奥には廊下があり、左側に二つの部屋と、突き当たりには扉があった。



「手前がアンタの部屋。奥がアタシの部屋で、突き当たりがトイレさ」

「分かりました」

「着替えはスーのやつがあるから好きに使いな」


「スー?」



 その名前を口に出した時、とっさに彼女は顔を逸らした。



「……いいからさっさと着替えて寝な!」



 怒声は狭い廊下によく響いた。

 きっと良くない話題だったのだろう。深掘りせず、ただ頷くことにした。




 案内された部屋にはベットと机と椅子、そして衣服類が入った棚が置かれていた。

 六畳もない部屋には窓が無く、橙色に灯る電球が部屋を明るくしていた。



 早速寝巻きに着替える。

 カビ臭さと少しの窮屈感はあるが、些細なことであった。



 明かりを消そうと、垂れ下がっている電球のスイッチを持った時、壁にカレンダーのようなものが掛けられているのが見えた。


 気になって、ペラペラと捲ってみる。


 それは時計と同じように、数字こそは違うものの、おおよそ三十日でひと月、七日で一週間と、元居た世界と変わりなかった。



「暦まで一緒なのか」



 言葉は通じるし、文化も似ているとなれば、かなり住みやすいだろう。


 過去、長期休暇を利用して、オーストラリアに碌に予定を立てずに旅に出たことがあったが、あれ程困難なものにはならないだろう。

 ましてや、定住できる場所と、職業と、読めない文字を教えてくれる人がいるのだから僥倖(ぎょうこう)だ。




 少し埃っぽいベットに身を預ける。


 ふと、横に置いておいたペンダントを手に取る。



「母さん……」 



 少しの不安や後悔に押しつぶされないように、ペンダントに祈りを込める。

 そこから意識を失うまで、あまり時間はかからなかった。

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