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一話 父を訪ねて300万光年

1

 2007年、香港の九龍市のとある公園に突如、不気味な扉が出現した。


 それは高さ2m弱、人ひとりが入れる程度の長方形であった。また厚さが無く、横や後ろから見ることはできず、まるで空間を切り取ったように存在した。


 光すら吸い込んでしまいそうな程の黒色のそれは壁、もとい板と考えられていたが、出現から一週間過ぎたころ、定期的にモールス信号が発せられていることが分かった。


「友よ、歓迎しよう」というメッセージは、それが他の知的生命体が好意を持って作ったワープゲートであることを容易に想像させた。



 直ちに民間企業主導で調査隊が組まれ、13人の男女が勇ましく穴に潜っていった。しかし、装備していた携帯食料、水が尽きるであろう二週間のタイムリミットを超えても彼らは帰還しなかった。



 ——————調査隊が行方知れずとなってから二か月が経った。第二次調査隊が結成され、出発することとなった。




2

 公園内には自分たちのように、調査隊の面々と別れの挨拶を交わす人たちで溢れかえっていた。


 中国語や英語、他にもいくつかの言語が飛び交い、別れを惜しむ涙と励ましの声が混ざり合っていた。そんな場所に緊張し、感情が高ぶって、不安が願望の言葉となって発された。



「ちゃんと帰ってきてね」

「おう。お土産持って帰ってくるぜ」



 冒険に出る前の父はいつもこうだった。


 行先には厳しさより楽しさがあると確信しているようで、語気から興奮しているのが聞き取れる。

 いつもならその不敵さに安心することができた。しかし、今回の冒険は違う。帰る道が約束されておらず、既に戻ってきていない人たちがいるのだ。


 不安は言葉だけでは足らず、いつの間にか顔にまで現れてしまったようだ。



「そんな顔をするなって」



 髪の毛をわしゃわしゃと、大きな両手で撫でてくる。頭が揺れる感覚が、昔から嫌いではなかった。



「じゃあ、お父さんが帰ってくるまで、お母さんのこと頼んだぞ」



 そう言うと父は、別の人から贈られる挨拶を受け取ることに集中してしまった。会話の後、周りの声に溶け込ませるよう努力しながら涙を流した。父に気づかれないよう懸命に声を押し殺した。

 けれど、隣にいた母親と、父の友達であろう人たちには気づかれて、慰められることになってしまった。



「お父さんは必ず帰ってくるわよ」



 友人たちは言語の壁があるから助かった。けれど母の言葉と右手はとても鬱陶しかった。できるだけこの姿を見られないように感情の高鳴りを抑えているのに、そんなことをされては歯止めが利かなくなってしまいそうだったからだ。




 そうこうしているうちに、調査隊が出発する時間になった。


 多くの人の声が飛び交う中、父は高らかに宣言した。



「行ってくるよ!智義(ともき)!理香!みんな!」



 そうして父は扉を囲む、白いテント中に消えていった。自分は大柄な父の友人の肩の上から、涙でぼやけた父を見送った。

 しかし、父が語っていた冒険という言葉に似つかわしくない、小銃などで武装した人たちも同時に入って行くところを見て、とうとう声を上げて泣き出してしまった。体が弱い母を父から任されたのにも関わらず、赤子のように泣いてしまった。



 願いは虚しく、不安は現実となった。

 父、優矢は戻ることは無かった。




3

「ん……」



 目が覚める。



 曇った視界からは弱弱しい電灯の光と、タクシーのハイビームに照らされた、ひびが入ったアスファルトの道が見えた。目を擦り、横の窓に目を移す。今度は輝きを失った家と、寝待月が薄い雲から顔を覗かせていた。


 どうやらタクシーはきちんと目的地のダムに向かっているようだった。しかし、本当に行きたいのはそのダムから500mほど先の、()()()()()だ。


 狭い車内であくびをしながら体を伸ばすと、50代くらいの、関西訛りがある運転手が話しかけてきた。



「よく寝たなあ、お客さん」

「どのくらい寝てましたか?」

「ちょうど一時間ぐらいになるかなあ」



 自宅からここまでの電車や飛行機の中では緊張で寝ることは無かったが、体は正直に睡眠を欲していたようだ。



「一応確認するで?」

「はい?」

「あんた悪魔の扉に行こうとか考えてないやろね?」



 悪魔の扉とは、()()扉の俗称である。扉が出現して以来、扉は様々な場所に一年に五回ほど現れ、ひと月経つと消えるようになっていた。

 この日本にも現れるのも二度目だ。



「考えてないですよ。最初に言った通り、ダムで友達と合流して、あの綺麗な月を撮影したあと、友達の家に泊まるんですよ」

「……本当やろうな?」

「今から死のうと考える人がこんな荷物持ちませんよ」



 笑ってそう答える。


 扉から人が帰ってこないと世間が判断したころ、扉には社会的信用を失った人、最低限度の生活を営むことができない人が、希望、あるいは自殺願望を持って入る場所となってしまった。


 そうした感情は無かったが、扉に入ろうとしているのは事実だ。この運転手に在らぬ疑いを掛けられたくなかったので、嘘を()くことにした。


 母の遺骨が入った銀色のペンダントを触り、特筆すべきものも無い景色を眺めること二十分。とうとうダムに到着した。


 仕事量に見合った額を運転手に払い、遠ざかるタクシーを見送ったあと、扉へ向かい始めた。



 暗闇と橙色の光で縞模様が作られたトンネルを歩く。


 扉はこのトンネルを抜けて脇にある、使われなくなった道の先にあるらしい。扉は最初のものを除いて、こうした人が寄り付かない場所に発生するのだ。


 ようやく出口が見えた時、先ほどまで乗っていたタクシーが自分の横に急ブレーキをかけて止まってきた。



「やっぱり行くつもりやったんやな!」



 横窓を開け、鬼の様な形相でこちらを睨む。



「嘘を吐いたのは謝ります。けど死ぬために行く訳でもないんです」

「じゃあ何しに行くんや」

「父さんに会いに行くんです」


「親父はそんなこと望んだんか」

「俺が会いたいんです」


「母ちゃんを残してくのか」

「三年前に亡くなりました」


「あんたの友達やじいさんばあさんは?」

「……手紙を用意してます」

「じゃあ行かせへん!」



 運転手は凄まじい剣幕で言い放ったものの、歩道の段差のせいで補助席に回って車を降りなければならなかった。その隙に、自分はタクシーから距離を離した。



 トンネル内に二つの足音が響く。しかし一方はだんだん遠くなっていく。


 1kg強の荷物を背負っているとはいえ、高校では駅伝部、大学では登山部に所属していた自分のフィジカルに、50代の運転手は付いてこれていないようだ。



 トンネルを抜け、例の脇道に入る。


 少し進んだ先に鉄格子と鎖で閉じられた、小さなトンネルと、それと対照的に開かれた()を発見した。


 立ち入り禁止のロープを跨ぎ、命の相談窓口にかかる番号が書かれた看板を無視し、扉の前に立った。



「……待てや」



 意を決して入ろうとした瞬間、運転手が息を切らしながら話しかけてきた。



「なんで、……周りに迷惑かけてまで、そん中……行きたいんや……」

「さっき言ったでしょう。父さんに会いに行くんですよ」

「もう戻ってこれへんのやぞ!」



 運転手は立ち入り禁止のテープが巻かれた木を支えにして話を続ける。



「俺の友達はな、そん中に入って自殺したんや。痴漢と間違われて、周りがみんな敵なってな。でもアイツを良く知ってた女房に家族や友達、ほんで俺がどれだけ悲しんだか解るか!」



 凄んでいた声は、最後には涙声になってしまっていた。

 情報社会になって久しい現代で、赤の他人にこんなにも説教ができる人がいるのかと、素直に感動した。



 けれど。



「でも俺、行きます」


「ならもう行け!さっさと行け!」


 運転手はとうとう泣き崩れてしまった。


 勝手に止めておいて、今度は行けと、不貞腐れて言う彼の言動に苦笑する。



「優しいお節介をありがとうございました」



 そう言って頭を下げる。


 そして、扉に向き直る。


 扉に入ることを応援してくれた友達、止めてくれた友達、反対してくれた祖父母。その全員に迷惑が掛かるとしても、この歩みは止めたくない。



 扉に右脚を埋めていく。

 向こう側が見えないところに体を入れるのは、なかなかの恐怖だった。



「……よし」



 意を決して、体を入れる。


 入れる瞬間、どうせなら父ちゃんに会ってこい、と声が聞こえた気がした。




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