3話 宇宙開発競争(最終話)
1950年も後半に入り、列強各国は宇宙開発に並々ならぬ執念を燃やして取り組んでいた。
勿論、宇宙開発等と言う研究開発のコストも、打ち上げのコストもバカ高い宇宙開発に戦後直ぐに手を出せたのはまだ経済的にも余裕が大きかった、ソビエト社会主義共和国連邦と大日本帝国連邦、アメリカ合衆国だったのだが。
この中でも特にソビエト連邦は史実でも宇宙開発先進国である。数々の宇宙開発に関しての世界初を成し遂げて、惜しくもあと一歩のところでアメリカ合衆国に人類初の月面着陸を譲ってしまった。それでも尚、その影に隠れない数々の偉業を成し遂げているのがソビエト連邦の宇宙開発だった。
具体的な計画のみで終わってしまった計画も多々あるものの、殆どは成功裏に終えられたと言うべきものだろう。
この世界でも勿論ソビエト連邦は宇宙開発先進国で、この時点で既に人工衛星、動物を乗せたロケットを地球軌道上に打ち上げることにも成功している。
これもスターリンが金にモノを言わせて宇宙関連産業やその研究に莫大な予算を付けているからである。スターリンの前世。日本人だった頃、男は兎に角宇宙が好きであった。
宇宙関係のグッズを揃いに揃えて、男の自室はそのグッズで溢れ帰っていた。宇宙旅行すら現実に見えてきた時代。男は勿論金に余裕があるのならばそれに参加したかった。
宇宙飛行士を目指さなかった訳ではない。しかし、そこに至るまでにかかる費用を知り断念したのだ。
しかし、今はソビエト連邦の書記長である。まだ宇宙産業も黎明期。各国は競って宇宙進出を我先にとしようとしている最中である。
その中でも恵まれたことにソビエト連邦は宇宙産業先進国である。男はスターリンとして転生して、当初から宇宙関連の技術開発に目をつけていた。恐らくソビエト連邦で最も偉大な宇宙開発の科学者は、『宇宙開発の父』とも呼ばれたコンスタンチン・ツィオルコフスキーであろう。
男にとって彼、ツィオルコフスキーは尊敬するに値する人物であった。その為、憑依当初から積極的に彼の下に投資しており、現在のソビエト連邦の宇宙開発技術は他国よりも先行している。かといっても油断できる筈もなく、最近では大日本帝国連邦が凄まじい追い上げを見せている。
大日本帝国連邦は新たに民主化をした。戦時の挙国一致内閣は解散して、大政翼参会も解散して、戦後の1945年に日本初の男女平等普通選挙が行われ、そこで帝国自由党が与党となり、吉田茂首相が内閣を組閣。第一次吉田内閣となった。
新たに大日本帝国連邦として再出発を果たした日本がまず始めに行ったのは国内の産業化である。今は世界三位の工業国であるとはいえ、大量生産の体制はソビエト連邦やアメリカに比べ大幅に遅れをとっていて、それらはソビエト連邦から技術を輸入して代わりの技術で支払った。所謂技術交換と言うやつである。
次に国内(中国、東南アジア)のインフラ整備に注力して、その為の莫大な資材、資金、人員が必要となり膨大な需要が生じる。これを後に『中国景気』と呼ぶようになる。それにより日本の年平均経済成長率は史実にも匹敵する10%の空前の数字を叩き出し、1960年にはアメリカを抜いて世界第二位に躍り出ることになる。
そんな日本では1947年に種子島に宇宙関連技術研究開発センターと言うものが置かれ、ロケットの打ち上げ実験場及び試験場もそこに置かれた。
史実とは違い、航空関連技術がそのまま失われずに継承されていたので、1950年初頭から糸川秀夫らを中心として研究メンバーが決められ研究が本格化した。
そこからは日本の現代でも同様のお家芸である。他国の先進的な技術を学び、それをより効率化、小型化する。それを以てどの列強よりも早く有人の宇宙船を大気圏外に打ち上げ、人類初の宇宙空間到達を成し遂げた。それは1959年の事である。研究の本格的な開始から僅か10年足らずの出来事であり、世界は日本の底力に驚かされることになった。そしてここまで話題に上らなかったアメリカ合衆国であるが、勿論アメリカも宇宙関連技術の開発を進めている。
最近では1965年に月に人工衛星を送ることに成功している。また、この時アポロ計画も順調に進行中である。
アメリカは地上からの観測にも力を入れており、天体観測所を地上に設置し、観測を開始。アメリカの優秀な電磁波レーダーによりこれまで観測できていなかった天体をいくつも発見し、世界を賑わせている。
実は各国ともに宇宙開発を競ってはいるもののそれは緩やかなものである。現在はソビエト連邦とアメリカの関係が冷え込んでいて冷戦とも呼べるような状況ではあるがそれは見かけだけの話であり、本当は仲良しである。
ので、時には共同開発も行い、アポロ計画にソビエト連邦の技術開発チームも参加している。
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時は流れ1968年。史実よりも一年早く、アポロ計画をアメリカとソビエト連邦、そして大日本帝国連邦も加わった末に完了した。
各国の威信を背負ったベテラン宇宙飛行士がロケットの先端。切り離しの部分に乗り込む。
この放送は最新の通信衛星を通じて世界規模で放送されている。世界規模での同時生放送はこれが人類史上初のことで、人々は普及し始めたばかりのカラーテレビを固唾を飲んで見守っている。
世界が緊張感に包まれるなか、遂にロケット発車のカウントダウンが始められた。
それは各国の言語でカウントダウンされた。
そして、ゼロ。
カウントダウンの音声がそう告げると同時に、ロケットの噴射口から膨大な熱量が凄まじい光と共に噴射され、それはロケットを浮き上がらせた
そして、一気に加速していき、数分もしてしまえば見えるのはロケットが残した煙で出来た一筋の道と、遥か上空で輝くロケットの燃料が燃やされて出来る炎。
この当時の通信衛星技術ではテレビの民間放送は受信がままならなくなり、今回の管制センターに中継が回る。
その中央の巨大なモニターにはロケット内部の宇宙飛行士の姿が映し出されていた。
やがて、時間もたち、月面への着陸に入る。
世界中の人々は祈る。
無事に着陸できるようにと。
その祈りの通り、無事に着陸を成功させた。宇宙飛行士達は直ぐ様外に出る準備を始めた。地球上のどこの誰よりも、月にいる彼等こそが最も興奮していた。
しかし、宇宙は無限の危険を孕んだ空間。何が起こるか分からない。故に、興奮する気持ちを押さえて、冷静に準備する。一つでも間違えてしまえば、宇宙空間では直ぐに命が失われてしまう。
準備は終わり、各国の宇宙飛行士がその手に持つものは、各国の国旗、宇宙空間でも撮影できる特殊なカメラだった。
プシュッ。という音と共に気密扉は開け放たれ、宇宙空間と接続される。
慎重に、月の大地を同時に踏みしめる。これが、初めて人類が月に足跡を残した瞬間。人類は新たな偉業を成し遂げた。人類誕生から数十万年。
ただ見上げるだけだった夜の月に、数十万年の時を経て、立っている。昔ならば誰もが考え付かないことだっただろう。想像すら出来ない。
改めて科学の進歩とは凄まじいものだと思い知らされる。
さあ、足跡を残したら次は国旗だ。これまた宇宙空間でも凍り付かないように特殊な加工を施された国旗をそれぞれ立てる。
その背景に地球を写した写真には三人の宇宙飛行士と共に各国の国旗。ソビエト社会主義共和国連邦の金の鎌と槌と金の縁取りを持つ赤い五芒星を表示した赤旗。アメリカ合衆国の50の星が輝く星条旗。そして、大日本帝国連邦のあまねく地を照らす太陽を描く旭日旗。
そして、ここにこれなかった地球各国の小さな国旗も月面に残して、地球に帰還した。
急ぎ足な小説でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。




