死神と呼ばれていても
キジバトのさえずりが聞こえる早朝。
焦げた鼻をつんざくような悪臭が立ち込めているその場所はかつて『葬儀屋』の支部であり、温泉が湧き出ていて入浴ができる泊宿としても有名な施設の玄関でもあった。
日焼で褪せた大きな木造の門は普段なら固く閉ざされているのだが今は開門されており、その側には着火され焼却処理を施されている亡骸が数体いた。斬り捨てられたゾンビとなった風花した死体、噛みつかれ臓物が腹部からこぼれ出ている数時間前まで生きていた肉塊。それらが一緒になって焼却されようとしている。
悪臭の正体は言うまでもなくそれであり、その作業を施している最中であろう自身の伸長程の丈のある刀を背中に背負い、左腕に『葬儀屋』の腕章をした小柄で長髪の女に対し、その様子を見たナカジは言葉をかけた。
「アオイ、ここで一体何があったんだい?」
ナカジとアカネがいることに気が付いている様子だったアオイと呼ばれた女は、「見ればわかるだろう」と短く返して黙々と死体の焼却処理に勤しんでいる。
「これは今日の出来事なのか?」
追った質問をナカジが投げる。
「昨日だ。先に中の方を焼いて回っていたから外の処理を今日している」
門の奥を覗くアカネは目先と同じ光景が施設の中にも広がっていることを確認して口を開いた。
「生き残った人はアオイさんを除いて他にいるの?」
「いない」
アオイの返答は早かった。
「そう。……私も手伝うよ」
アカネは残りの死体を焼く手伝いを申し出たのだが、
「いや、いらない。残りも私がやるよ」
とアカネの方を見ずに言葉だけを投げられて突っぱねられたアカネは眉をひそめながらナカジにその表情を見せつけた。それに応答するようにナカジも肩を竦めた。
アオイの作業を見ていたナカジとアカネ。しばらくアオイから視線をそらして周囲を警戒しつつ、見知った顔の死体に手を合わせ供養をしていると、まだ作業途中であるアオイの方から声がかかった。
「二人とも随分久しぶりの来訪だというのにこういう状態だからもてなす準備もできそうにない。用意してやれるのは寝床くらいだ。それでも良ければ好きなだけここにいてくれ」
声の主の方へと視線を向けるナカジとアカネ。アオイは二人の方に顔を向けていた。
アオイ本人が着ている衣類は返り血で元の色がわからないほど真っ赤に染まっている。それは衣服だけではなく彼女の頭髪や顔面にも及び、乾燥したその血がまるでペイントしたかのようだ。そして彼女は目尻から涙を流しており、先ほどの気丈な声音からは想像もできないほど身体が震えていた。
「また私だけが生き残ってしまった」
アカネはそんな震えるアオイを見て彼女の方へゆっくりと歩き出すと、アカネはアオイを抱きしめた。
その後、亡骸の焼却処理をナカジとアカネがアオイの制止を拒みながら半ば強引に行い、すべて焼却し終えた三人は施設の中へと入っていった。
その施設は門を抜けると祭りの屋台のように出店が並んでおり、色々な売店が並んでいた。今は人がいないが食料品、武器、修理屋、医療、等々が利用できる便利な場所だった。
もぬけの殻になったその露店の場所を尻目に、まだ濃い血の匂いが残る施設内部へと足を運んでいるその道中、玄関の傍にはパッと見ただけでも数十人の燃えている亡骸があった。
「あれは中の人のかい」
ナカジがそう聞いた。
「そうだよ」
アオイはそう返答した。
それを歯牙にもかけずアオイは施設内部へとせっせと足を運び、ナカジとアカネもそれに追従する。
玄関ではアオイは止まらずそのまま土足で入ろうとしたところで、
「本来なら靴を脱いで入ってもらうのだが、今はそのままで構わない」
そう言い、率先してアオイが靴のまま施設の中へと入っていく。
玄関の付近には中の死体を引きずって外に引っ張ったであろう血痕がいくつもある。それを見たアカネが「中の死体、全部ひとりで外に出したんだよね?」とアオイに聞いた。
「ああ、そうだよ。おかげで腰が辛い」
アオイはアカネの方を向きながら自身の腰をとんと叩いてみせた。
「がんばったね」
アカネは労いの言葉を呟くように言った。
「ありがとう」
それだけ言い、少しはにかんだアオイはそのままナカジとアカネを先導するように歩みだした。それを見て二人はアオイに追従していく。
内部は簡素な和風調の生活用品で揃えられていた。どの部屋も襖に日本古来の鶴や亀、龍などが描かれている。白地をベースにしていることで血が滲んでいるその様子はホラーテイストに仕上がってしまっているが本来なら素敵な廊下だった。
そしてしばらく奥へ進むとそこにはもう争いの後がない綺麗な空間の保たれた場所だった。ウサギとカエルが鳥獣戯画風に戯れている姿の描かれた襖をアオイが開くと、「ここからは土足禁止。中は綺麗だから」と注意事項がなされた。
部屋の中は綺麗だった。広さは十二畳ほどで、部屋の最奥に二人掛けようのソファがあり、大きなテーブルが部屋の中央にひとつ。今ではもうただの粗大ゴミとなってしまった薄型のテレビが入って右側にひとつに、そして必需品の敷布団が部屋の左側の壁際に綺麗に畳んで置かれていた。
アオイが先に入り、そしてナカジとアカネも続いて入室した。
「綺麗な部屋はここしかない。温泉付きの部屋を用意してやれればよかったのだが生憎血だらけでな。風呂場も同様だ。そして悪いけれど他に部屋が無いので私もここで寝かせてもらうよ」
アオイがそういうと、担いでいた荷物を下ろし終えたアカネが「悪いなんて言わないよ。もちろん歓迎だよ」と平然と答えた。
「助かる」
そう言い、安堵の表情を見せたアオイは背負った刀を手に持ちながらソファに飛び込むように座った。それを尻目に見つつ荷物を下ろしたアカネとナカジもそれぞれ近い場所に腰を下ろした。
「どうしてみんな私を置いていってしまうのだろうか」
大事そうに刀を抱きしめながらつぶやくようにアオイがそう愚痴をこぼした。
「もう何度目だろうな。実力があるからだと思いたいが私よりも腕の立つ人間は幾らでもいた。それなのに最後に立っているのはいつも私ひとり……。私が『葬儀屋』や『収集屋』から死神と呼ばれていることは知っている。私が側にいると死んでしまうと思われているみたいだ」
「そんなもの偶々だよ」
アカネが反論する。
「そうだと良いな。私は始めからそうだと思っているがこう何度もそれが立証されるとこのようなジンクスも強ち信じてしまうものだよ。私だってそう言われないように頑張ったんだ。今回だって死力を尽くして守ろうとしたけれど駄目だった」
そう言い、頭部をソファに埋もれさせたアオイは目を閉じながら思い返すように言葉を紡いだ。
「こうして瞼を閉ざすとふと思い出すんだ。さっきまで生きていた仲間たちの声や表情が。……わかっているんだ。生きていたかったら自分自身で強くなるしかない。弱肉強食の今のこの世界で生きていく術はそれ以外にない。死んだ人は弱かった人間だ。そう言い聞かせでもしないと、私の心が壊れてしまいそうになる」
「前に会った時もそう言っていたねえ」
ナカジがそう茶々を入れる。
「真理だよ。アカネやナカジに会った時につくづくそう実感するのだ。お前たちは強いから生きている。お前たちは私を置いて行かない。また生きていれば会えるのだと安心するんだ」
「こっぱずかしいことを言ってくれるねえ。数年来の友好だけれど、直接そう言われると照れない訳ないねえ」
「こういうのは伝えらえる時に伝えるものだよ。失ってしまってからでは声は届かないのだからね。……だから、死ぬなよ。私も死なない。盟友との約束だと思ってくれ」
相変わらず寛いだ姿勢で悠々と言葉を垂れ流すアオイ。
「気持ちのいい言葉を聞いたら腹が空いてきた。この施設にまだ食料はあるんだろう?」
ナカジがそう言い立ち上がる。
「ああ。以前ここを訪れた時に食事処で飯を食っていただろう。そこの厨房に食料がたんまりとある。そこから何か持ってくると良い」
「了解」
ナカジが短く返し、それに付いてこようとするアカネの様子を見てナカジが「ひとりでいくよ」と護身用の刀とハンドガンを持ちナカジはその部屋を後にした。
「行かなくていいのかい」
アオイがアカネにそう尋ねた。
「ナカジが要らないっていうから」
「彼の言うことにいつも従うのかい?」
「いつもではないよ。ただ、今は私が行く必要ないと、私が感じたから別にいいかなって思うだけ」
「そう。ナカジが帰って来るまでの間、少し……例えばの話をしよう」
アオイの提案にアカネは「うん」と短い返事をした。
「今ナカジが食材を取りに行っている状態でゾンビの群れが押し寄せたとしよう。そしてナカジはそれを退けて戻ってきたとする。アカネはナカジに対してどう思う?」
「焦る。怪我がないか、噛まれてないか、とても心配になる」
「では噛まれてしまっていたとしよう。アカネはどうする?」
「それは……。一応、約束はしているんだ。お互いどちらかが噛まれた時、必ずゾンビ化しないように脳天を打ち抜くって決めている。だから私は撃つと思うけれど、実際はできないかもしれない」
そう言い、しばし言葉に詰まっているアカネを知ってか知らずか、相変わらず目を閉じているアオイは言葉を紡いだ。
「少し意地悪な例になるかもしれないけれど、さっきの話のもっと最悪な例を出すよ。食料を取りに行ったナカジが生きたまま帰ってこなくて、ゾンビになった状態で戻ってきたらアカネはどうする?」
「その時はもう身を守るために迷わず脳天を打ち抜くよ。そのあとできっと後悔するかもしれない……。私も一緒に行っていればこうはならなかったかもしれないって」
「そうだね」
唇を食いしばり、少し悲し気な顔をしたアカネがアオイに問いかけた。
「どうしてこんな質問をするの? 嫌な想像をして少し悲しくなってきたじゃない」
細い声でアオイにほんの少しの怒りをぶつけるアカネ。それに対しアオイは間を置くことなく答えた。
「怒らせるつもりはないんだ、すまない。許してほしい。それは全て私が経験したことなんだ。世界がこうなる前から恋人だった男が私の為に食料を調達しに行った帰りに噛まれたみたいでその日のうちにその男はゾンビになったよ。手を下したのは私だよ。その時が初めての殺しで、初めて刃物で人を穿った時だった。その次に恋慕の情を抱いていた相手は調達に行ったきりで戻ってこなくてな。次に見かけたときは下半身の無いゾンビになっていたよ。最初の男の時も、そしてその次の男の時も思ったよ。『私が一緒に付いて行ったらもしかして死なずに済んだのかもしれないのに』とね。だからこうして老婆心でアカネに伝えているんだよ。後悔する前に、後悔しないような行動をしておいた方がいいよってね」
その言葉を受けてハッとしたアカネは、
「いつも一緒に居続けて大事なことを蔑ろにしていたかもしれない」
と言い立ち上がる。
「一緒に居ることが当たり前になると見落としがちだけれど、幾人もいる人の中でそうしていつも一緒に同じ人同士で居ることは当たり前じゃなくて奇跡なんだよ。それが惹かれ合った異性の仲なら尚更ね。だからもしもを考えて一緒に居られる時は一緒に居た方が良い。そのかけがえのない時間を終わらせないようにね」
「うん。ちょっと行ってくるね」
アカネはそれだけを言い残し、ナカジの後を追った。
息せき切らしたアカネが正面から走って来る様子を視界に捉えたナカジは、到着したアカネに対して不安そうに質問をした。
「何かあったのか?」
ナカジは既に厨房での物色を終えて帰路についている状態だった為、両手に食料が入った袋をぶら下げている。
「いや、特に何もないけれど。その……、心配だったから私も行こうと思って。ナカジにもしも何かあったら嫌だから」
息を整え終えたアカネが照れくさそうにそう言った。
「そういうことなんだねえ」
ナカジがにやけながら恭しくそう言った。
「今度からは私もついて行くから。嫌とは言わせないよ」
アカネはそう言い、ナカジの緩んだ頬を見ることもなく踵を返して部屋へと戻る道を歩いていく。
「今度からついてくるのはいいんだけれど、荷物を分担してくれるってわけじゃあないんだねえ」
そうアカネに聞こえないようにぼやいたナカジはアカネの後ろ姿を追った。
そうしてふたりが部屋に戻る頃、先に行っていたアカネが部屋に入らずに襖を少しだけ開いて笑顔になっていることに気が付いたナカジが、「どうしたんだい」とアカネに尋ねた。
「ほら、見てよ。可愛い寝顔だと思わない?」
アカネはそう言いながら指を指している。
そしてその先にはソファで眠りこけているアオイがいた。寝息を立てており、熟睡しているといった様子だった。
「元々童顔だから寝顔は余計に子供のように見えるねえ」
「起こさないようにしなきゃね。きっと夜通しで焼却処理していたはずだから」
そう言い、アカネとナカジは静かに部屋へと入った。食事を取り終えた二人はしばらくアオイの寝顔を観察した後に寝床を準備して自分たちも眠ることにした。
翌朝になるとアオイの方が先に目を覚ましており、昨夜ナカジが調達したもので食事を取っていた。
目覚めたナカジとアカネも先に食事を取り、不足している物資を補充しつつ出立の準備をした。アオイはしばらくソファに凭れながらその様子を見守っており、途中で茶々を入れながらふたりの準備の邪魔をしていた。
その最中でアカネはアオイに聞いていた。
「アオイさん。私たちと一緒に行かない?」
「行きたいのは山々だが私は仮にもここの責任者だからな。定期的にここを訪れる連絡係に会って本部にこの場所の顛末と補充要員を申請してここをまた元の状態に戻さないといけないんだ。それが責任者の責任ってことだよ」
そういうアオイは物惜しそうな目をしていたがその表情はすぐに消え、他愛もない話を紡いで濁していた。
そして昼を回る前、出立の準備が終わったナカジとアカネはまだ騒乱の跡と異臭の残る支部の看板が掲げられている褪せた門の前にいた。
アオイの見送りを受けるナカジとアカネ。アカネは再びアオイに問いかけた。
「本当に私たちと行かないの? またひとりになるから寂しい思いをさせてしまうから居たたまれないよ」
「さっきも説明したけれど、立場上ここを放棄して旅立つわけにはいかない。またアカネたちがここに安心して来られるようにしなきゃいけないからね。まあ、私は収集するのが苦手だから、こうして城を構えてどっしりしていたい性質なんだ。それに……、私は大丈夫だよ。心配してくれてありがとう、アカネ。その優しい気持ちだけで私は気丈になれる」
そうしてアオイはアカネに微笑みかけた。
そしてアオイはナカジの方に視線を移すと、
「だけど、ひとつだけ約束してほしい。私を残して死ぬなよ。だから、私も死なない。また生きて会おう。二人とも、元気で。達者でな」
口調は普段通りだったが、その言葉にナカジは微笑み、「またな」とだけ言葉を残し、その場を後にした。
「温泉楽しみにしているね。ありがとう、後悔が無いように生きようね」
アカネはそう言い、アオイに小さく手を振るとナカジの背中を追った。
アオイはそんなふたりの後ろ姿が地平線に消える最後までその姿を見送っていた。