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昔の思い出 前編


雲ひとつない青空だった。


小さな道路の両脇には薄着の並木が水平線の向こうまで続いていた。その付近には落葉で出来た紅い絨毯が敷き詰められていて、車道と歩道の区別が難しいが車の侵入防止のガードレールのおかげでその境目は理解できた。


車道には追突した痕跡の残る寂れた車の残骸とその周辺には理性のあったかつては人間だった大人と老人のゾンビが数体いる。そして子供の面影が見られる男女の小柄なゾンビも数体いた。そんな光景が並木道と同じように、視界のずっと先までちらほらと見かけることができた。


「ここらへんのゾンビの掃除を最後にしたのはいつだったかしら」


ゾンビが跋扈する車道を尻目に歩道を堂々と歩くアカネは腰に帯びている刀をゆっくりと抜いた。そしてアカネは両手で刀の柄をしっかりと握ると目前に迫る日焼した皮膚が痛々しい小柄の幼顔のゾンビを見つめて警戒をした。


「俺の記憶が正しければ九か月前になるかねえ」


既に抜刀していたナカジはそう言う。太陽に照らされた刀の切先が側の地面に反射している。その刀身の中腹部分には赤黒い液体がべっとりと付着していた。


「前に掃討した時よりも数が増えている気がするのだけど……。気のせいじゃないよね」


アカネはそう言いながら刀を軽々と振り上げて目の前のゾンビの頭部を横薙ぎに切り裂いた。頭部は半分に別れて落ちるが、そんなものを歯牙にもかけない様子でアカネは刀の血払いを行った。周囲に飛び散る血液は辺りの落葉よりも鮮明な赤色だった。


「餌を求めて徘徊している仮説が定説だからねえ。しかもここは集合住宅や大型マンションが多い地域だったから、屋内に居たゾンビが外に出てきた可能性もある。まあ、いずれにしてもまた掃除しなきゃならない事実は変わらないんだけどねえ」


「はあ……。割り切っているけれど、どうも子供のゾンビを斬るのはやっぱり慣れないのよね」


ため息交じりにそう言い放つアカネは先ほど斬ったゾンビに冷めた目を向ける。


「慣れと言えば、叩き切った後すぐに吐瀉物をまき散らしていた頃に比べたら大分マシになったよねえ」


「うるさい。ナカジの服が血で汚れたくないならそれ以上過去のことについて言わないで」


アカネは身を翻してギラリとした視線をナカジに向け、刀の血の付いていない峰をナカジの腰にとんとんと当てた。


「ちょっと待て、刀の錆を落とすにはまだ気が早いんじゃないかい。ゾンビはまだまだ残っているぞ」


両手を挙げて降参しているナカジは恭しい顔でアカネにそう伝えた。確かに、周囲にはゾンビが集まってきており、危険な状況が出来上がりつつあった。


「行動としては気が早いかもしれないけど、私の気分が今晴れるからそれはそれでいいの」


「勘弁してくれ」


アカネとナカジが揉めていると辺りのゾンビが二人の存在に気が付いてゆっくりと近づいてきていた。そしてその周囲に、人の姿をしたゾンビだけではなく、白い首輪が付けられた短毛種の犬の姿もある。その犬の顔の左側面は皮膚が破けて犬歯がむき出しになっている。痛々しい姿をしたその犬は自前の掌球と指球を使い音を立てずに忍び寄っていたが、目前の餌に興奮していたのか唸り声がむき出しになった犬歯の隙間から漏れていた。ゾンビとなった動物は決して珍しいものではないが、それはゾンビとなった人間よりも危険だった。


「アカネ。やばいヤツがいる」


唸り声でゾンビ犬の存在に気が付いたナカジが背後を振り返り、そうアカネに警告した。


「え?」


背後にいたアカネは突然まじめな声音で警戒を促してくる相棒の様子につられて自身も振り返った。


「ちょっと離れてくれるかい」


そう言われてアカネはナカジの顔を見て小さく頷いて素直に車道側へガードレールを乗り越えて移動した。そして周囲のゾンビに気を配りつつ、刀を両手で掴んで戦闘態勢に入った。


右太腿のホルスターに閉まってあった拳銃を素早く取り出したナカジは両手で構えた。ナカジは静穏器具が取り付けられた拳銃の引き金を人差し指で押し込むと一発の乾いた音が鳴る。排莢された空の薬莢が地面に着地する随分前に、発射された弾は数メートル先にいた醜い犬の頭部に的中した。ゾンビ犬の浅黒い血飛沫が周囲に散乱した。それから間を置くことなくアスファルトの地面に薬莢が落ちた甲高い音が短く響いた。


道路側に移動したアカネはその様子を最後まで見ているつもりだったのだが、近寄ってきていた数体のゾンビを処理する為に腕を鳴らしていた為ナカジのその一連の挙動を見ていなかった。


「大丈夫かい?」


逆に自分の役目を終えても尚現在進行形で迫りくるゾンビ相手に刀を振るい続けていたアカネを見守っていたナカジは、アカネが不覚を取ることは万が一にもないとわかっているが業務的に一応そう聞いた。


「うん。そっちも難無くって感じだね」


余裕を見せるかのようにアカネは先ず手前にゾンビの頭部をすんなりとかち割り、その後すぐにゾンビを蹴飛ばしてから横目でナカジの様子を見てそう言った。


「もちろん」


ナカジはそう言うと亡骸が再び起立することが無いことを確認する為、地面に横たわる犬の側に近付いて足先で犬の体を突っついた。敬意を払い手荒ではなくなるべく優しく数度同じことを繰り返し、完全に動かなくなったを確認したナカジはその場でしゃがむと犬の首輪を解いて手に取った。


「君は……、ココアって言うのか。供養はしてやれないが責めて名前だけは憶えていてあげるよ。安らかに眠りなさい」


ナカジがそうつぶやいて首輪を犬の胴体の上にそっと置いた。そしてナカジが立ち上がると「あなたも慣れないことってあるのね」とアカネが聞いてくる。


ゾンビ三体を切り伏せ終えたアカネは恭しい笑顔を見せびらかしながら鞄から布を取り出すと、血が付いた刀身を綺麗に拭っていた。そんな様子を見て苦笑しつつナカジは口を開いた。


「そう見えたかい?」


ホルスターに拳銃をそっと丁寧にしまいながらナカジはアカネにそう尋ねた。


「なんとなくね。そんな表情をしていたよ」


ナカジはアカネがいる車道の方へと移動して横並びになった。それからナカジは目的地へと歩き出し、そして刀の血と脂肪を簡易的に取り除き終えたアカネは刀を腰に差している鞘に納めながらナカジの横に並ぶように歩いた。


「俺が子供の時、犬を飼っていたんだ」


「へえ、初耳」


「家で飼っていた犬の名前がクルミって言うんだけどねえ、由来がクルミの色合いに似ているからなんだけど、さっきの犬も家にいたクルミと同じように色合いが似ているからココアと名付けられたのかと思ってねえ。懐かしい気持ちになったのさ。それで……」


「それで?」


「目の前の障害を除けるために処刑を執行することには慣れても、悲しい気持ちが薄れることはないし、それを慣れたことにして感情を希釈したことにしたくないって思ったんだよねえ」


「よかった、私もいつもそう思っていたから、ナカジもそう思っていてほしかった」


アカネはにこりと微笑み、ナカジの手を掴んでぎゅっと握った。


「俺のことをサイコパスだとでも思っていたのかい?」


ナカジは眉間にしわを寄せて困惑した素振りを見せた。


「最初はそう思っていたけど、今は違うよ。一緒に居ても安心できる。なんというか、気持ちの共有というか、価値観の一致ってこれから一緒に生きていく上でとても大事だと思う。好きな食べ物、好きな音楽や品性なんかもそう。自分と同じような気持ちが身近にいる人と似ていると馴染んでいける。それに私は息苦しい人とは一緒にいない主義だからきっと始めから相性は良かったんじゃないかな」


アカネが惜しむことなく口から感嘆を述べている最中、少し先にある炎上の跡が残る破損した車体の影から老体のゾンビが身を乗り出してふたりの方へと歩いてくる。よぼよぼである足腰、しわくちゃの顔の皮膚、それから体幹がしっかりしていないその様子から生前は老体だったゾンビだとわかる。アカネはそれを見て刀を抜こうとしたが、既にナカジが刀を抜いていることに気が付いたアカネはそっと抜きかけの刀を鞘に戻した。


「嬉しいこと言ってくれるねえ」


気分を良くしたナカジがこちらへ向かってきていたゾンビの頭部を軽く真っ二つにしながらその台詞を口にしていた。生命活動を停止したゾンビはその場で膝からがくりと崩れ落ち、頭部から流血しながら床に伏した。


「切りながらそう言われると狂気じみているけど……、ナカジらしいね」


苦笑するアカネがそう言う。


「これでも迅速に斬り終えてから言ったつもりなんだけどねえ。もっと腕前を磨き上げないといけないねえ」


ナカジは迷彩柄の防弾胴着のポケットのひとつから布を取り出して刀身から血液を綺麗に拭き取りながらそうぼやく。


「剣術の腕前は十分すごいからこれ以上研鑽されると私のアイデンティティが無くなっちゃうからほどほどにしてね。……そういえば、ナカジは犬が好きなの?」


「好きだよ。というか動物はなんでも好きだねえ。それがどうかしたのかい」


「さっき犬を家族で飼っていたって言っていたから、てっきり好きなのかなと思ったの。私はペットにするなら犬がいいから」


「なるほどねえ。俺は飼うなら犬よりも猫がいいねえ。気まぐれな感じが好きなんだよねえ」


「ふうん。そこは相性が一致しないのね」


残念そうにアカネがそう言うと、「犬も同じくらい飼いたい気持ちはあるけどねえ」と補足を入れるが、「でも猫がいいんでしょう」とアカネはツンとした口調だった。


ナカジが言葉を詰まらせて気まずそうに刀を鞘にしまっていると、


「けど……、生きている動物って最近見かけることが無いね」


アカネがぽつりとつぶやくように言った。


「そういえばそうだねえ。鳥はよく見かけるが生きている猫や犬は見かけないねえ」


「どこに行っているんだろう。ひょっとしたら食べられていなくなっちゃったのかな」


「ここらは人間が多く住んでいたところだから餌がないってことで山にいるんじゃないかい」


「そうだといいな……。昔ね、犬を飼いたかったから機会があったら飼ってみたいんだよね」


「こんな世界で飼ってみるのかい?」


「こんな世界だからよ。癒しが欲しいってたまに思うもの」


「まあ……、わからなくもないねえ。どこかで見つけたら飼ってみるかい?」


「えっ、いいの?」


アカネが拍子抜けした様子で訊ねてくる。いつもよりも二倍くらいの大きく見開いた眼にナカジは少し驚いたが平然を装って答える。


「もちろん。ただ連れていくことはできないからどこか安全な拠点に置いてもらうことが前提になるだろうけどねえ」


「そう……、そうだよね……。連れて行っても私たちの側に常にいると、犬も私たちも危険な可能性が増して安全じゃなくなるもんね」


「残念だけどそういうことだねえ。俺たちはそういう旅をしているから制限はどうしても付きまとってしまう。安全といえば……、ここら辺に俺たちの目的地があるはずなんだが……」


ナカジはそう言い、周辺を見渡した。相変わらず並び続く枯れ木の列と紅色の絨毯の床が目先に続いている。周囲には廃車になった車両、乾いた血潮がかかった民家の外壁、荒らされた形跡のある飲食店の入り口、空になった物品が散乱している販売店などもある。そしてその並びの奥に一際大きな建物が見えた。


「あったよ、ほら、右側の奥に見えるよ」


その一際大きく目立つ建物に気が付いたアカネがナカジにその場所を指して伝えた。が、その指さす方向に何かを見つけたアカネが、「あれ、屋上に誰か見えない?」とナカジに問いかけた。


「それっぽい人影は見えるが……」


「たぶん、女の子だ」


「性別までわからないけれど、人がいるのは確かだねえ」


「髪が長いから女の子だよ」


「確かめてみよう」


そう言うとナカジは右肩にかけてあった狙撃銃を手に取る。「これを使えば答えがわかる」と言い、マウントベースに取り付けられたスコープを覗いて屋上にいる人物のその正体を確認した。


「あれは……、確かに女の子だねえ。でも妙だねえ。なんで飛び降り防止の柵を乗り越えて縁に座っているんだろうねえ」


スコープを覗いたまま呑気に言うナカジの言葉にアカネはぎょっとする。


「まさか飛び降りるかもしれないってこと?」


「無きにしも非ず、といった表情をしているねえ」


「ちょっと、何を悠長にしているのよ! 早く止めに行くよ!」


アカネはナカジが構える狙撃銃のフォアエンドを掴むとそう言い放ち、腰に差す鞘から刀身を抜刀するや否や構えて走り出した。


「やれやれ、たった今女の子は柵をよじ登って建物の中に入っていったっていうのに、焦るんじゃないよ。……まあ言わない方が苦労しなくて済みそうだから良いか」


そう独白するナカジは、自分が進んでいこうとする方向にいたゾンビの小さな群れを叩き切りながら道を切り開いていくアカネの勇ましい姿に感心しつつ、暴走お転婆侍の背中を追った。




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