ウェディングドレス
「そっちはどうだった?」
探索を終えて合流したいつも通り重武装のアカネが今回の成果をナカジに確認した。
「医療品少々に、食料が大量だな。厄介なゾンビ共が数体いたがいい運動になったよ」
ナカジは腰に帯びた刀の柄を二度軽く叩き、相棒の機嫌の良さを恋人に伝えた。
「そう。私の方は食料がなかったけれど、使えそうな医療品をたくさん取ってきたよ。噛まれたらどうしようもないけれど、銃創程度なら完治させられるわ」
元医療従事者のアカネが冗談を交えて得意げな笑顔を見せた。
青々とした雲一つない空の下、大きなビルなどの高層建築物はないがそれなりに発展した町に二人はいた。
町にはドラッグストアやコンビニエンスストアやスーパー等それなりに物資を探索することに苦労しない場所があるが、どれもこれも既に誰かに持っていかれている場合が多い。
同じく生存者がいると思うと嬉しくなる半面、やはり物資がなければ惜しい気持ちになる。
だが今回はどうやら先客は来ていたらしいが物資を持ち切れなかったようで余りものが多かった。
「これだけ大きい町になると人口もそれなりに多かったはずなのに、アレは全然いなかったね」
アレとはゾンビのことだが、もはや二人の間での名称はアレというだけで意味が通じてしまう。
「アレは同じところに止まらないで、しかも集団で移動する習性があるっぽいからねえ。特に音に敏感だから、どっかの誰かが車でここの訪れてエンジンの音に釣られてそのまま移動したのかもね」
単純な推理ではなくて、これは経験に基づいたナカジの経験談だった。当然アカネもそれを知っているから納得したような様子で「ありえるね」と頷いた。
「この町でしばらく過ごすのもありだな。物資がたくさんある」
「そうだね。でも他にも人がいるかもしれないし油断はできないよ」
「物資の奪い合いとはいきたくないねえ。友好的だといいんだが」
そう言いつつナカジは自動小銃の弾を装填して安全ロックを解除する。
「まあ、念には念をっていうものね。この格好を見て襲ってくる人はそうそう居ないはずだからね」
もう車が通ることが滅多にないであろう車道のど真ん中をふたりはゆったりと歩く。乗り捨てられた車が左右にあり、無造作に放置されていて塵や埃が大量に付着していて時代の経過を感じさせた。
二丁の銃を携えて刀を帯びている彼らの姿は護身用にみえるが略奪者と思われても不思議ではない程の威圧感があり、そんな彼らを見て攻撃をしようと考える者はアカネの言う通りあまりいない。
「わからないよ。俺たちと同類の奴がいるかもしれないからねえ。ある日突然、俺の脳天がぶち抜かれる日が来るかもしれないよ」
「冗談でもそういうこと言わないで」
鋭い目つきで牽制するようにアカネはナカジを見たあと「寂しくなるでしょう」と付け加えた。
「ごめん」
目を伏せて明らかに元気のなくなったアカネに対しナカジは間髪入れずに謝る。
この世界で不穏なことを言うのは良くないという暗黙の了解があるがナカジは構わずについ言ってしまう悪癖がある。
「あ、そういえば」
と、話題を逸らすようにナカジはわざとらしくつぶやいた後、「ここみたいに大きい町にしかないような素敵な店を見つけたんだ。行こうぜ」と提案する。
「ふーん。安全確保が優先じゃないの?」
明らかに乗り気じゃなくなったアカネはそっぽを向きながら不機嫌さを露わにするが、ナカジは「そんなもん後回しだ」とアカネの腕を引き強引に連れていくことにした。
ずんずんと車道を進んでいく。途中、「何の店なの?」というアカネの問いに対して、「秘密。到着するまでのお楽しみ」とナカジは頑なに答えを明かすことはなかった。そのおかげでアカネはますます不機嫌になったのだが。
以前は交通量の多かったはずの国道に並ぶ、数あるの店舗のひとつの店の前でナカジは歩みを止めた。その店はお洒落なデザインの英文字で『ブライダルパーク』と看板が掲げられていた。店の入り口は正面にあり、その左右にはガラス張りの飾り棚があり、通行人を惹きつけるための煌びやかな純白のドレスが一着ずつ飾られていた。
「ここが俺が言っていた場所だよ。あんまりお目に掛かれない場所じゃないかい。それにほら、あのショーウィンドウのドレスの状態も綺麗だし、たぶん中のドレスも綺麗で状態がいいはずだ。試着してみたらどうかと思ってさ。ほら、俺たち付き合って長いけど挙式的なことする前にこんな世の中になっちまったからねえ」
「わあ、すごい」などと口をあんぐりと開けて目を輝かせるアカネはナカジの言葉が耳に入っていない様子だった。
「まだ中を確認していないから、ひょっとしたらゾンビが中にいるかもしれないけど、まあとりあえず行こうか」
そうナカジが言い終わる前に期待に胸が踊るアカネはすでに店の扉を開けていた。表情はさながら誕生日プレゼントを受け取る時の無垢な少女のような笑顔だった。
ところが、扉の先に広がる光景は喜々としたアカネを冷静なものにさせた。
「あら、先客がいたとはね」
店の内部はまるで結婚式場のような雰囲気だった。規模は小さいが赤いカーペットのバージンロードがあり、そのカーペットの左右にはパイプ椅子やデスクチェアなど統一性がない椅子が幾つも置かれていた。
そしてそのカーペットの先には礼拝堂を模した大き目の机があり、その机の前にしゃんとした白いスーツの若い男とウェディングドレスを着た若い女がいた。彼らは突然入り込んできた重武装のアカネに驚いた様子だった。
「これはカトリック風だな。でも式場というには些か簡素だな」
と、ナカジは扉を閉めた後ゆっくりと周りを見渡しながら言った。
そしてまたひとり重武装の男が入ってきたことで店内にいた若い男女はお互いに身を寄せ合い、何かを覚悟した表情をした。
「何か用でしょうか」
白いスーツの若い男が意を決したように言う。声音は少し震えていた。そして若い男は懐から慌ただしく黒い何かを取り出した。
それの正体に気が付いたアカネが冷静に説得を試みた。
「私たちは別に貴方たちを邪魔しようとしているわけじゃないわ。ここに入ったら偶々貴方たちがいたの。大丈夫、何もしないから安心して……その拳銃を仕舞ってちょうだい?」
アカネは念のため自動小銃の安全装置を外しグリップを握りつつトリガーガードに指をかけていたが、取り合えず相手に敵意が無いことを示すために全ての武器から手を離していた。
「こんな格好をしていて俺たちを信じろという方が難しいことはわかる。でも本当に俺たちはウェディングドレスを着てみたいという目的でここに来ている。あんた達もそれが目的でここに来たんじゃないのかい? そうじゃないとこの場所にはいないはずだ。違うか? それに……その銃はセーフティーのままじゃ弾はでないはずだけどねえ」
ナカジがアカネの補足をする。こういう交渉事はナカジの方が得意にしている。
若い男は銃の扱いが不得手なのだろうか、安全装置を解除することなく慌ただしく銃口を下に下げると和平的な態度を取ろうとした。
「勘違いしてすまなかった。襲われると思ってつい……」
敵意がないことを信じたのか、相変わらずお互いに身を寄せ合ったままだが若い男は言葉を返してきた。
「仲直りをしよう。俺の名前はナカジだ。こっちはアカネ。重武装でおっかなく見えるが優しい心持の俺の恋人だ。あんたたちは?」
ナカジはそう言うと手前にあった木製の椅子に堂々と鎮座した。その隣につられるようにアカネも腰を下ろした。
「僕は田辺ヒロキ。こちらは……」
ヒロキと名乗る若い男が隣の花嫁を紹介しようとしたが、「私は藤森キヨノ」と花嫁が自己紹介をしてきた。その声音は凛としていて若い男よりも頼りになりそうな雰囲気がある。
「ヒロキさん、キヨノさん、よろしく」
と、アカネが言うと、
「アカネさん、よろしく。ナカジさんも」
キヨノが柔らかく挨拶を返してきた。
「どうも、よろしく。今一度言うが俺たちはあんた達を襲うつもりはない。これで和平交渉は成立でいいかい?」
ナカジは確認するようにふたりに質問をした。
「ええ、交渉は成立したと思います。私たちはもう、そういう命のやり取りには疲れてしまっていたから心底ほっとしています。私たちは、ただ静かにひっそりと挙式をあげたかっただけですから。そうよね?」
キヨノはヒロキに顔を向けると、弱々しい表情をしていたが見違えるような笑顔を見せると、
「うん。僕らはちゃんと挙式をあげたかっただけだ。だから、これももう必要ないよね」
ヒロキはそう言うと、懐に入れていた拳銃を取り出し、捨てるようにそばの床へと落とすと鈍い音を立てて拳銃は転がった。
「君たちはふたりでここへ?」
今度はちゃんと芯の通った声でヒロキがナカジ達へ尋ねた。
「そうだよ。私たちはふたりで旅をしているんだ。貴方たちもそうなの?」
アカネは興味深そうに聞いた。
「パンデミックが始まってから僕らはずっとふたりで逃げ回っていたけれど、しばらくして同じような境遇の人たちが身を寄せ合って共存しているタウンハウスという集団にお世話になっていました。……いや、それはもう違うか。……まあ、そこでは手分けをしてここみたいな町の方へ物資を探しに行く仕事がありまして、今回はその当番だったのでこの町にきていたんだけど、僕らを含めてこの町に物資を取りに来た人たちはみんな外の化け物に襲われて……。命からがら逃げてきて、そこで偶然この店を見つけたのでここへ来ました。何度かこの場所を見かけて気になっていたのですが、まさかこんな時にこの店へ訪れるとは運命の悪戯でしょうか。本来はここへ来るつもりはなかったんですがね」
「経緯は違うけれど、この店を偶然見つけたという点では同じね」
「それじゃあ、アカネさんたちは式を挙げようと思ってここに?」
「いいえ、私は彼がいい店があるからと言われて連れてこられただけ。きっとドレスを着せようという魂胆があったのだと思うけれど」
指摘され、アカネにじろりと見られるナカジは視線を合わさないように努力しながら「まあそういうことだねえ」と言葉を濁した。
「あら、それも私たちと同じみたいね」
キヨノは微笑みながらナカジに伝えた。
「でもここに来る予定じゃなかったと言っていなかった?」
「ええ、そうね。本来ならここに寄らないでタウンハウスへ帰るところだったけれど……。私にはもう時間がないから」
そう言ってキヨノは膝付近のドレスの裾を掴んだ。少し躊躇った表情をしたが、それも刹那のものでたくし上げられて露わになった彼女の脹脛には血の滲んだ包帯が巻かれていた。
「それは……?」
アカネが冷静な声音で尋ねるように聞いた。
「ええ、お察しの通り、私は噛まれてしまったの」
そう言い、キヨノはそれを恥じるように再び純白のドレスで傷口を覆い隠した。気丈な言葉でキヨノは言葉を返してきたが言葉は震えていて、その顔には繕うような笑顔があった。
「ご存知かもしれないけど、噛まれてしまったら一日を待たずして命を落とし、外の化け物と同じになってしまう。噛まれてしまった時、私はもう駄目だと確信したわ。ただ、このお店の存在を知っていた私たちはこの場所へ来ることにしたの。だって付き合ってからもう随分と長いこと付き合っているけれど結婚式もあげていなかったし、この白いドレスを着て幸せになる夢を諦められなかったもの。最後の最後にこの服を着れたことを本当にうれしく思うわ。どうかしら、私たちお似合いの夫婦に見えるかしら?」
キヨノがそう言い終える頃には彼女のそばにいるヒロキは大粒の涙を流していた。それはキヨノも同じであり、止めどない涙はふたりの純白の衣装に幾つもの染みを作るほどだった。
「ふたりとも、とても美しいよ」
「俺もそう思う。とってもお似合いのおふたりだよ」
問いかけに答えるようにアカネとナカジは微笑みながら二人を祝福した。
「そうだ。結婚には牧師が必要だろう。俺がその役割を担おうかねえ」
ナカジは立ち上がりながらそう言った。
「できるの?」
アカネは怪訝な顔をしながら聞いた。
「俺はキリシタンの高校出身だからねえ。永遠の愛の誓いを確かめる台詞を覚えるくらい朝飯前だったよ」
「まだまだ貴方について知らないことがたくさんありそうね」
「そりゃお互い様さ」
ナカジとアカネが茶化しあっていると、
「お二人とも仲がいいのね。もう私たちの婚姻を見届けてくれる参列者も牧師さんも居ないと思い込んでいたけれど、貴方たちがいてくれて本当によかったと思います」
と、キヨノが微笑んで言ってきた。隣のヒロキも泣き顔から笑顔に変わっていた。
ナカジは気を取り直してキヨノとヒロキのそばに立ち、ごほんと軽い咳払いをした。
「ふたりとも、準備はいいかい?」
「ええ」
「はい」
向かい合い、見つめ合うキヨノとヒロキは一言だけ準備ができている合図をナカジに送った。
入場式も、披露宴もなかった簡素で短い結婚式はこの店の展示品のひとつだった指輪をお互いの薬指に贈り、キヨノとヒロキの永遠の愛の誓いのキスで幕を閉じた。ふたりはしばらく抱擁したまま唇を重ね続けていた。
無事に司会進行及び牧師の役目を終えたナカジがその場にいることが気まずくなり、元々いた座席に戻ってくるとアカネが大粒の涙を流していた。アカネは上着の袖で涙を拭っていたため、ナカジは上着のポケットからハンカチを取り出してアカネに渡した。
「ほら、汚れた袖で拭いたら目から感染するかもしれんぞ」
「だって、ハンカチカバンの中に入ってるもん。カバンを下ろしてガチャガチャ音を立てたらうるさいでしょう?」
「やれやれ……。しかしこの光景は美しいと言わざるを得ないねえ」
「そうだね。……それで、どうするの?」
アカネはナカジに目を向ける。
ナカジは首を横に振りながら、
「興がそがれた。おふざけをする気分じゃなくなってしまったねえ」
ナカジは迷彩柄の軍手を付けた左手の薬指をさすりながら言う。
「そうね……」
それを見ていたアカネも同じく左手薬指をナカジと同じように軍手の上からさすりながらしみじみと言った。
ナカジとアカネは、抱き合う新郎新婦の姿をしばらく眺め続けて眼福にしていた。
それから少しして、ナカジとアカネのそばに夫婦となったキヨノとヒロキがやってくるとそばにあった椅子に座った。
「ふたりともありがとう」
ヒロキがうれしそうにいった。
「どういたしまして」
アカネが答えた。
「ふたりはこれからどうするのですか? 私たちのようにドレスを着るのですか?」
「いいえ、ドレスは着ないわ。元々物資がないかどうか確認するためにここに入ったからね。特に何もなさそうだし、私たちはもう行くわ」
アカネが淡々と目的を話した。
「そうですか……。できることなら看取ってほしかったです。それに彼も一緒に連れて行ってほしかったから……」
寂しそうにキヨノが言う。唇は最初の頃より赤味が引いており、その色は紫色に近かった。
「残念だけど、一緒に連れてはいけないわ。出会いは一期一会にしているの。私たちが信頼している共栄所までは連れていく約束はできるけれど、それからの面倒は見れない。それに貴女の最期を見ずにいくわ。悲しいこととはなるべく関わりたくないから……。ごめんなさい」
アカネはきっぱりと条件を話す。
「そう。アカネさんが凛々しい所以はそこなのかもしれないわね。……それじゃあ、せめて彼だけでも安全なところに」
「いや、僕は最期まで君の傍にいるよ。彼らとは行かない」
キヨノの言葉を遮るようにヒロキが自分の意志を皆に伝えた。
「いいのかい?」
ナカジは催促しようとするが、
「僕はいかない。それでいいんだ。僕はずっとキヨノと一緒にいるよ」
と、ヒロキはそう言い、キヨノの手を強く握っていた。
「それじゃあ、私たちは行くわ。キヨノさん、出会えてよかった。こんな世界でも幸せな気持ちにしてくれた貴女には感謝している。それじゃ、さようなら」
「私も感謝しているわ。ありがとう、アカネさん。ナカジさん。さようなら」
アカネはその言葉を聞いて軽く頭を下げると店の出口へと顔を向け、そのまま外へと出て行った。
「それじゃ、さようならキヨノさん。君と出会えたことをずっと忘れないよ」
ナカジは微笑みキヨノに別れを告げた。
「ええ、ありがとう。最期に貴方たちに会えて本当によかったわ」
キヨノの目には涙が浮かんでいた。目尻から頬へと涙の通り道がくっきりできる程、彼女の目からは涙が流れ続けていた。
ナカジはアカネと同じ様に軽く頭を下げた後、キヨノ達に背を向け歩いて店を出た。
「さて、これからどうするか」
先に店を出て空を見上げていたアカネにナカジが声をかけた。
「そうねえ。今のこの気持ちのままじゃ旅をしてもうまくいかない気がするから、しばらくこの町に留まりましょう」
「了解。じゃあまずは場所探しだな」
「そうね」
そんな会話をしていると、背後から店の扉が開く音がした。
「ああ、よかった。まだいたのですね」
と、ヒロキの声がした。
アカネとナカジは振り返って彼を見た。
「どうかしたのかい」
ナカジがヒロキに尋ねた。
「二人に渡しておきたいものがあったんです」
そう言ってヒロキはジッポーライターと鍵を渡してきた。
「これは?」
受け取ったナカジが不思議そうな顔をしてヒロキに聞いた。
「そのライターは僕の父からの贈り物です。うちはこの町の藩主だった家系で代々受け継いできた家紋がそのライターに彫ってあります。それを目印にこの町の一番大きな家を探してください。そしてその鍵はその家を開くために必要なので」
「しかしこれはアンタが持っていないと困るものじゃないのかい」
「いいえ、僕にはもう必要がないものです。僕は……、彼女が死んだ後、僕も死ぬつもりなので。元々そういう話だったんです。絶望していた僕たちはお互い挙式を終えた後、心中しようという話をしていたのですが、貴方たちが来たことでどうやら彼女の中で僕を生かしたいという望みが芽生えたのだと思います。ですが、僕は彼女なしでは生きていけそうにないので後を追います。彼女には内緒にしています。でもきっと彼女は気が付いていると思います。勘のいい人なので」
ヒロキは苦笑した。
ナカジはアカネをちらりと見るが相変わらず空を向いたまま黄昏ていた。
「わかった。また君とどこかで出会えたら……、そう願いを込めて敢えて言わずにいたんだけれど、そういうことなら今ここで思い残すことなく伝えるよ。それではさようなら、ヒロキさん」
「ええ、さようならナカジさん。足を止めてすみませんでした。アカネさんもさようなら」
「さようなら、ヒロキさん」
アカネはいつの間にかヒロキの方に身体を向けていた。そして軽く頭を下げるとヒロキに背を向けゆっくりと歩きだした。
「そのライター、良ければ使い続けてください。物は良いものなので、きっと役に立つはずです。それでは」
ヒロキはそう言うと、振り返ることなく再び店の中へと戻っていった。
ナカジは手に持っていた鍵とジッポーライターを上着のチャック付きポケットに仕舞った。それから先を行くアカネの後を追った。
それから少しして店の方から銃声が一発響いた後、少しの間をおいてもう一発の音が聞こえたがその話題をナカジからもアカネからも出すことはなかった。
アカネとナカジはヒロキから言われた通り家紋の付いたジッポーライターを頼りにその家を探すことにした。
数時間探した後、無事にその家を見つけた。家の中は年月が経っていたこともあって多少埃がかぶっていたが荒らされることなく整っていた。保存食も飲み水もあり、倉庫には使えそうな車があり、居間の一室には布団がふたつ敷いてあった。
ふたりはそこで一週間を過ごした。その頃には備えてあった水も食料も無くなりかけていた。元気を取り戻したアカネは再び旅に出ることをナカジに伝えた。
ふたりは出発の準備を整えた後、家を出た。鍵をきちんと閉め、ナカジは鍵を捨てようとしたが預かりものだということを思い出し、そのまま持っておくことにした。
ふたりが次の町へと行くために大きな国道の真ん中を歩いていると一体のゾンビが車の影から現れた。
そのゾンビはやけに派手な白いドレスを着ている。髪の色もまだ鮮やかで身体の肌に風化が見えないことから最近ゾンビになったのだとふたりは容易に推測できた。
「ナカジ、あれは……」
いつもならゾンビ一体程度を見かけても始末すると返り血や刀に付いた血の処理が面倒くさいから無視していくのだが、今回アカネは無視することができなかった。
「たぶん、そうだろうねえ」
ナカジはこちらに向かってくる白いドレスを着たゾンビに近づいてそいつを押し倒した。それから身動きが取れないように左右の腕にナカジはそれぞれ足を乗せて地面に抑えつけた。
アカネも近づいてきて「やっぱり」と言うと、
「キヨノさんだねえ」
ナカジが肯定するように言った。
「なんで? あの後銃声が二発聞こえたからてっきりキヨノさんを撃った後、ヒロキさんも自害したものと思っていたのだけど……」
「それはその現場を見ていないからわからないけどねえ。少なくともキヨノさんには銃創による射入口が見当たらないからねえ」
「ひょっとして、彼はキヨノさんを撃てなかったのかしら」
アカネとナカジは顔を見合わせた。
「大いにあり得るねえ。甲斐性がなさそうな人だったからねえ」
「じゃあ、あの二発は何かしら」
「見当もつかないねえ。もしかするとヒロキさんもゾンビになってるかもしれないけど、生きていることを祈ろう」
そう言いつつ、ナカジは腰に帯びた刀を抜いた。
「すまないキヨノさん。せめてこの世界で彷徨うことのないようにあの世へ送ってあげるよ」
ナカジはそう言いつつ、刀の切先をキヨノだったゾンビの額に焦点を合わせた。
「今度こそさようなら、キヨノさん」
そう言ってナカジは別れを告げて彼女の動きを止めた。
それからアカネは近くに放置してある車へと近づいてカバンを背中から下ろすと中から注油ポンプを取り出し、動かなくなったキヨノの死体へ吹きかけた。
「燃やすよ」
アカネはそう言いつつ、カバンから取り出したマッチ棒を手に持ち構えた。
「どうぞ」
ナカジはその場を離れた。そしてアカネはマッチ棒をキヨノの死体へ目掛けて投げた。
「今度こそさようなら、キヨノさん。安らかに」
アカネは注油ポンプを車に付けたままカバンを担ぎ上げた。
「ポンプを補充しなきゃいけない」
「それじゃあこの後ホームセンターに寄っていくかい」
既に少し先を歩んでいたナカジは背中を向けながらアカネに言った。
「そうしよう」
アカネは燃え始めているキヨノの死体を尻目にナカジの後を追った。




