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覚えておくね


お父さんは絵に書いたように真面目な人だった。善行を好み、悪行を許せないような熱血漢で、犯罪者がテレビや新聞のニュースで取り上げられると悪態を口に出す癖があった。そして娘の私には特例であるかのように悪戯も、どんなに苛烈な喜怒哀楽の全てをぶつけても決して怒ることなく受け止めて優しく包んでくれる人だった。お父さんは私に対して怒りを出すことは一切なかった。


お母さんは気弱で、ほんの少し感動するような物事に触れるとポロポロとすぐに涙を流すような、感傷に浸りやすい繊細な人だった。私と意見が食い違うといつも先に意見が折れるのはお母さんの方で、ワガママが通らなかったことはなかった。でも、もちろん怒られることもあって、常識的に間違いを犯した時、危険に遭遇しそうになった時、キチンと私を叱って世の中の理を教えてくれたのはお母さんだった。最初は反抗的な態度をとってしまったけれど、最近はそれが愛情を持っているからこそ次に間違いを犯さないように教えてくれているからだと理解できる。


今にして両親の特徴を思えば、私はふたりの遺伝子をちゃんと引き継いでいるのだとわかる節が過去に何度となくある。お父さんのような優しさも、お母さんのような愛情も他人に向けたことがある。遺伝子というのは面白いね。


そして何度心の中にいるお父さんとお母さんに聞いても必ずこう言ってくるんだ。「生きなさい」って。


アカネは過去の両親に想いを馳せていた。


「起きたかい」


アカネは瞼を軽く開いた時、頭上から知っている声音が聞こえた。


「大丈夫かい? 急に君は気を失ったんだよ」


目の前にはナカジがいる。アカネはその状況に戸惑って頬を赤らめ紅潮した。自分が今地面に寝転がり、頭をナカジの膝を枕代わりにしている。そして部屋に充満する鉄の匂いが寝惚けていたアカネに両親が死んだ記憶を思い出させるきっかけとなり、顔から血の気が引いていく感覚を真顔のアカネは感じた。無論それはショックだった。それは事実であり、今すぐ泣き出したい程に受け入れ難いことだったが、後頭部から伝わるナカジの熱がアカネを辛うじて気丈に保たせていた。


「私は……。生きていてもいいんでしょうか」


独白するようにアカネはポツリとそう言った。


「生きよう」


ナカジはアカネの顔をしっかりと見て、願掛けをするような声音で伝えた。


「ナカジさんは私のように、目の前で親友も、両親もゾンビになったとして、私に言ったように、『生きよう』という同じような気持ちになれますか?」


「なれるよ」


「なぜそう言い切れるんですか?」


「もしもアカネくんがゾンビになってしまったら、そう考えた時にそう思えたからだねえ」


「ナカジさんの話じゃないですけど、親密さのベクトルが違うじゃないですか。ナカジさんにとって私は今日たまたま出会っただけの女だけど、私はかけがえの無い人達を無くしたんですよ……。比喩のレベルが違います」


「俺にとって、アカネくんはもうかけがえの無い人だよ」


「えっ……」


「アカネくんの生きる理由が、『ナカジという男に、かけがえの無い存在だと思われているからだ』というだけでは生きていく気力には不十分かもしれないけれど……、それじゃあだめかねえ」


ナカジはにこやかに微笑んだ。


アカネはそう言われ、生気のある瞳でナカジを見つめ返す。


「それって……」


「大事な人ってことだよ」


ナカジに真っ直ぐに見つめられるアカネは息を飲んだ。ナカジは無精髭を生やし、清潔感のないくせ毛のもっさり頭だが精悍で眉目秀麗であることをアカネは今まじまじとナカジを見て気がついた。


「あの……、それって、口説いているんですか?」


「その答えが知りたいなら生き続けることだねえ。俺は不器用だから口では達者に気持ちを伝えられない。だから行動で示していくからねえ」


「……というか、さっきの質問の答えになっていないじゃないですか。仮に私がナカジさんのかけがえの無い人だとして、そんな私がゾンビになった時、ナカジさんは生きていこうと思えるんですか? 私なら……、ナカジさんがゾンビになってしまうとショックで耐えられなくてやっぱり自殺を考えてしまいます!」


「考えたくはないことだけれど、その時は……、俺がゾンビになったアカネくんを殺すよ。他の誰でもなく、俺の手で葬る。それが情でもあるし、守護してあげられなかった贖罪だと思うから……。そして俺はやっぱり『生きていく』ことを望むよ。死が怖いからでもなく、メンタルが強いからでもない。きっと生きていたかったであろうその無念を背負って生きていこうと考えているんだよねえ。なんだか可哀想になるんだ。まあ、これは本音でもあり建前でもあるんだ。本当は……、戦場にいた時に、死んでいった同僚や仲間から『もし死んだら俺の分も生きてくれよ』って言われてるのが原因かもしれないねえ。命ある限り生きなければならないという使命みたいなものを、俺は持っているんだよねえ。俺も過去にアカネくんのように自殺を考えたこともあるけれど、今思えば生きていてよかった。こうしてアカネくんに会えたからねえ」


ナカジはその台詞を吐きながら時々アカネから視線を逸らして顔を上げて過去を思い返した。それから時折ぎゅっと瞳を閉じて昔の記憶を回想する様子もあった。そして、言い終えるとナカジはアカネをじっと見て言葉を紡ぎ続ける。


「これはとても大人としてはズルいやり方なんだけれど……」


ナカジはバツの悪そうな顔をした。


「……なんですか?」


アカネが怪訝な顔をしつつ、ナカジにそう尋ねた。


ナカジは苦笑を浮かべながら、


「アカネくんに魔法をかけようと思う。『俺がゾンビになったり、何かのきっかけで死んだとしても、俺の分まで生きてほしい』これはある意味ではアカネくんに呪詛をかけたようなもんだからねえ。許しておくれ」


そう言った。


アカネはそう言われ、驚いた顔をした。そして眉間に皺を寄せて渋い顔をしたかと思うと、今度は落胆した面持ちとなり、その後寂しそうに呟いた。


「……はい」


「よかった」


ナカジが安堵した溜息と共にそう返すと、「ただ」と、アカネが注釈を入れてきた。


「私よりも先に死なないでくださいね。何があっても」


「約束はするよ。それを守れるように努力も怠らない」


「それと」


「それと?」


「ナカジさんがゾンビになったら、私がトドメをさしますからね」


アカネはにこやかな笑みを浮かべてそう言った。


大きな紺色と緑色のリュックサック二つに今後使えそうな物をギッシリ詰め込んだナカジは満足そうに腰に手を置いた。内容物は主に食料、医療品、工具、衣類だ。


「嬉しそうですね」


部屋に置かれた白を基調としたソファに座るアカネはナカジをちらりと見ると、再び自分が監視していた三体の死体に目を向けた。


「物を収集してそれを私物にする、という行為は人間的な欲求のひとつだよ。貯金をする人の心理に似ていると言えばわかりやすいかもねえ。……それで、決心はついたのかい?」


ナカジはそう言いながらゆっくりと歩きながらアカネのそばに立った。


「やっぱり火葬するのかい?」


「……その方が良い気がします。気持ち的にも、衛生的にも。思い出のある我が家だから綺麗にしておきたいから……」


挫けかけた精神を持ち直したアカネはナカジの提案で自宅にある物資をかき集めて、これから生き延びる為の物を集めることに賛成した。アカネも家の物資を集める作業に参加しようとしたが、一階にいるゾンビがまた復活した場合の危険性を考えてとりあえずアカネを見張り役として置いていた。そしてその際、アカネが両親とかつての友達を火葬したいとナカジに申し出ていたのだが、その際に土葬することも視野に入れていたのだ。


ナカジは内心その手間を惜しんだ。時間が掛かる上に混乱の最中である現在、何がきっかけでゾンビを呼び寄せるか分かっておらず、死体の焼ける肉の匂いでゾンビが寄ってくる可能性を懸念したからだ。まあ、それを伝えるのは現在野暮という気がしてナカジは何も言わなかったのだが。


「よし、それじゃあ、外に死体を運んで燃やすとしよう」


ナカジはそう申し出た。


「私も手伝います」


アカネは立ち上がり、死体に手を伸ばそうとしたが「待った」と、ナカジが制止した。


「アカネくん家の中の掃除をお願いしたい。重たいものを持つのは男の領分ってねえ。燃やす時に必ず呼ぶよ」


アカネは小さく「うん」と頷いた。


死体を抱き運ぶ勇気が出ず、というのも死体を抱きかかえている時に息を吹き返して噛みつかれるリスクを考えてそう出来なかったのだが、ナカジは失礼を承知で庭に通じるドアへと死体を引きずり庭へと運んだ。それを三回繰り返し、死体を積み重ねるように置いた。


それからナカジはリビングの戸棚の中にあった油を死体に掛け回した。燃えやすいように古紙、雑誌などを周囲に積み重ねた。


準備をする際に家の中で血溜まりを拭き取る作業をしているアカネを傍目に見ていたナカジは、懸命に床の血を拭き取る姿を見て申し訳なく思った。他人の血を拭き取る経験のあるナカジは作業が苦痛であると知っており、アカネは肉親と旧友の血を拭っている心中は混沌としているだろうと推察していた。ナカジは遺体を早く運び出しその作業をさっさと手伝おうとしていたのだが、それを知らないアカネはやけにテキパキと動くナカジを見て力があるんだなあと感心していた。


準備の整った場所へとアカネを連れてきたナカジは手に持ったマッチに火をつけた。


「点火するよ」


ナカジは合図を送り、


「はい」


という返答を聞いて、ナカジはマッチを燃えやすい油のかかった古紙へと投げた。


マッチ棒が着地した地点の古紙に火が着いた。火はやがて周囲の燃料から死体へと油を伝い燃え広がり始めた。


「完全に焼くには火力が足らない。周囲にある木材をありったけ持ってくるよ」


ナカジはそういい、火葬の場所から離れた。もちろん、周囲にゾンビが寄ってきていないかを確認しつつ、焼ける肉の匂いで寄ってきていないかを調べる為でもあった。


アカネはじっと小さな葬式の場を見つめていた。焼ける肉の匂いは鼻腔に届いているはずなのだが、アカネは気に止めていないかのようだった。


死体を見つめるアカネのその瞳は真っ直ぐと火を見ていた。


そして、目尻からは一筋の雫が零れた。


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