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7 光の王女と執愛の王妃

 「孫を待っているぞ」


 その言葉を思い出すたび、ユーラリアの脳内は桃色の妄想で埋まってしまう。耳年増だが諸々の経験のない彼女の妄想力など高が知れているが、彼女の持ち前の機転を奪うには十分だった。

 文武両道と名高くとも、自分では恋愛はどうにもできないらしい。感性が庶民のカイに、関係を強要するのは理解を得られないだろうし、なによりユーラリアは今の関係に不満はないのだ。奥手だから。


 カイはユーラリアにとって初めて得た気の置けない友人と言っていい。話が政治や武技に及んでも、女性貴族のようにうるさがることなく、男性貴族のように侮ることなく、同じくらいの熱意を持って相手をしてくれる人間なのだ、カイは。

 接している内に見えてきた、意外と情熱的だとか、子供っぽいとか、そういった面が何もかも可愛らしく思えるようになっていた。


 我ながら可愛いと言う形容に戸惑う。

 少し冷静になって、自分は無縁だと思っていた恋とやらに落ちていたらしいと気づき、ユーラリアはやはり悶々としていた。

 気は進まないが、母に聞いてみることにして、ユーラリアはほっそりとした手を頰に当て問題を先送りにした。




 王妃、つまり母からの手紙は、三日後、つまり今日のお茶会への招待状だった。結婚式後に会うのはこれが初めてになる。

 このことから分かるように、ユーラリアは母とは良い関係が築けているとはあまり言えない。母と父とユーラリアの間には明らかな温度差があるのだ。


 両親はユーラリアをとてもよく可愛がってくれていたし、父は母も溺愛している。しかし母はテオドールさえも可愛がるのに、父や亡き兄王太子に対してだけは常に冷淡で、公務をすっぽかすこともしばしばある。

 そんな母に対してユーラリアはいつも戸惑いを覚えるのだ。


 城の奥まった場所に、母は一人暮らしている。ユーラリアを産んだ後、子を産めなくなってからは必要でない限り表には出てこない。

 五歳くらいまでは、ユーラリアもそこに住んでいた。

 柔らかな曲線を多用した白亜の宮は、嫁いできた当時に母が整えたもので、どことなく少女めいている。それは今なお色褪せてはいない。

 精神が成熟しつつあるユーラリアには少々、その甘ったるい空間がむず痒い。


「王妃殿下、ユーラリア様をお連れしました」

「伺っております、お入りください」


 先導していたアンナと、王妃付きの侍女のやりとりを経て母の部屋に入る。そこは宮内で最も少女趣味な部屋で、落ち着いた色の好きなユーラリアには居心地が悪い。しかし部屋の主人に文句を言える筈もなく。


「リア、いらっしゃい」

「御機嫌よう、お母さま」


 部屋の中央にはユーラリアを幼くしたような女性が立っていた。

 王妃ウァレリアは先王の妹が嫁ぎ先の侯爵家で生んだ末娘、父王とは従兄妹の関係である。彼女もまた、王族の血が濃い。金の瞳、金の髪、甘い顔立ち、ユーラリアと並べば姉妹にさえ見えるほど、二人は瓜二つである。

 歳は亡き王弟に近しく、三十半ばだ。


 王妃はニコニコと笑みを浮かべ、無邪気にも純粋にも見える。


「ペングラの良い茶葉が入ったのよ。貴女にもどうかと思って」

「ペングラですの?最近同盟を組んだ島国ですね。あちらの魔法技術が拙いとかで、留学制度の整備をお願いされていますわ」

「まあ、知らなかったわ」


 母は相変わらず政治には興味がないようだ。だからこそ王妃としての仕事を休ませられて(・・・・・・)いると言うことなのだが。

 王妃付きの侍女たちが白磁のティーカップに静かに茶を淹れていく。それは最近見なれた黄緑色だった。

 茶請けも隙なくセットすると、彼女たちは奥へと下がる。


「まあ、これは先日カイ殿に淹れて頂いたものですわ」

「そうなの?仲が良さそうで良かったわ」


 先日とは違い、しっとりとした甘さの菓子が添えられている。この国では見ない菓子であるから、これもまたペングラのものなのかもしれない。

 新緑の茶が、甘いものともよく合うことにユーラリアは内心驚いた。

 そこでふと、カイはあまり甘いものを茶請けに出さないことに思いだす。果物を切っただけとか、ジャムやクリームを自分で盛るものを出すことが多い。

 もしかしたら彼は甘いものを好まないのかもしれないと思い至って、微かに息が緩む。


「改めて結婚おめでとう。恋をして、綺麗になったわ……。あの人にも見せたかった」

「あの人?」


 ユーラリアは恋心を悟られたことより、「あの人」に思い当たる人物がおらず、困惑を隠せなかった。

 挙式には、家族はもちろん、主だった貴族は全員出席していた。当然、母方の祖父母もだ。母も当然知っているはずである。

 しかし、次の一言は更にユーラリアを硬直させた。


「貴女の父上よ」

「え?しかし陛下は出席されて……」

「こちらにいらっしゃい」


 王妃は軽やかに席を立つと、一直線に寝室へ向かい、更に奥の小部屋へとユーラリアを手招いた。ユーラリアは嫌な予感を抑えて導かれる。

 奥の一室はユーラリアが幼い頃でさえ、誰かが出入りしているところを見たことがない場所で、王妃はそこの扉に華奢な銀の鍵を差し込んだ。

 一歩踏み込めば、壁を覆いつくす数の肖像画があった。しかもそれらは全て同じ人物を描いており、ユーラリアも見知った人物であった。


「これは……叔父さま?」


 今は亡き、テオドールの父、王弟アレライドである。


「貴女の父上よ」


 間髪入れずに王妃が否定した。余程ユーラリアが叔父と言ったことが気に入らなかったらしい。

 王妃は愛おしげに一番大きな等身大の肖像画を撫で、秘密を(つまび)らかにする期待でだろうか、目は潤み、顔に朱がさした。


「わたくし、ずっとアレライド様が好きだったのよ?ここに嫁いでくる時だって、アレライド様と結ばれると思ってきたの。なのに」


 唐突に、王妃は恋する乙女から、怒り燻る鬼女に変化した。

 王に向けるような冷たさでも、自分やテオドールに掛けるような柔らかさでもない、ユーラリアは初めて見る母の激しい感情の発露に動揺しきりだ。


「なのに、何。王太子を産んだ正妃が(やま)いのために退陣したから、他に王の子を生む若い側妃を?なぜよりによってわたくしなの?一人とはいえ王子もいたのに。あの男(陛下)の妻に、その子供の母になりたい人間などたくさんいるでしょうに」


 一息に言い切ると、また一転、うっとりとユーラリアを見つめた。いや、正確には王位継承者のはめる右手薬指の金の指輪か。この指輪は装着者の身の安全を確保する魔法が掛けられているはずだが、この狂気からは守ってくれないようだ。

 幼げな王妃の目の奥には狂ったような執着が渦巻いている気さえする。


「アレライド様がね、言ったの。僕たちの子供が王様になったら素敵だねって。フィーリオが死んでくれて良かったわ。あの人はもういないけど、託された彼の夢は叶いそう」


 ユーラリアは母から無条件に愛を注がれていたわけではないという事実、自分が()の子ではない――ひいては、正統な国の継承者ではない可能性をようやく認めた。

 昨日、つい先程まで確固としてあった自分の立つ城が、急に海辺に砂で作られた物のように感じられて恐ろしかった。

 同時にカイの顔が頭をかすめる。彼の伴侶である自分は、当初提示されたような正統な王女ではないのかもしれないのだ。それを知ったら彼は、どう思うだろう。嫌われるだろうという不安がユーラリアの思考を支配していく。


 その後は会話が上滑り、当初の恋愛相談する予定など些事になってしまった。幸いにも王妃に気にした様子はなかった。

 ユーラリアは何が何だか分からないままに王妃の居室を辞去し、一日の後半を虚ろに過ごしてベッドに潜り込んだ。

 同室者のもの言いたげな視線を、気にする余裕もなく。




 ――翌朝、カイは姿を消していた。

 「捜さないでください」という書き置きを残して。




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