8.生徒のみいる入学式(4)
リネア―アルカス組とガリオ―ダカス組の間で一悶着起こったことについては、瞬く間に噂が広がった。アルカス自身、右手は極力他人に見せないようにしていたのでそのときまでは魔紋持ちの参加も噂程度に留まっていたのだが、リネアのせいではっきりと彼の魔紋が見せられてしまった。そのため、その後のアルカスはまるですれ違う人、すれ違う人と皆自分達の噂をしているのではないかと、随分神経質な気持ちになってしまったのだった。本命はあくまで先例に逆らってまで玉座を目指すリネアだろう、そっちに注目してくれよと言いたいのだが、どうやら前々からの有名人である彼女よりも、そのパートナーとして彗星のごとく現れた魔紋持ちの魔法使いに皆興味津津らしい。レベル二桁のダカスに対して、一歩も引かずに勝利の自信で満ち溢れていたとなれば、その信憑性もいっそう増す。そう狙ってやったこととはいえ、いざ冷静になってみるとアルカスにとっては大変な重荷が増えたことに気づいてしまった。
なのでその夜。
「またやっちゃった――なんでこう、僕はぎりぎりの橋を渡ろうとするんだろう……変な注目も浴びちゃうし……」
アルカスは自室で頭を抱えていた。ガリオに対して一歩も引かなかった男とは思えないほどの弱弱しさである。こんな姿を他に見せるわけにはいかないのだが、幸いなことにそこは一人部屋だった。アルカスに限らず、ジャーマリス魔導学院において、継承権者と“随伴魔導師”は今日から、それぞれ建物は違えど基本的に一人一部屋を与えられる。アルカスのいるのは当然ながら“随伴魔導師”用の棟にあるとある一室だった。部屋の取り合いも一苦労のはずだったが、なぜかアルカスの希望はすんなりと通った。他に競合した人達が皆譲ってくれたのだが、その目に恐怖の色が浮かんでいたように見えたのは気のせいだと思いたい。
ともあれ、今は“玉座競選”のこと。考えたくもないが、ハッタリをかましてしまった以上それを最大限利用する方向で考えなければならない。いったいどう振る舞うのがいいかと頭を抱えるアルカスに、部屋の扉をノックする音が聞こえて来た。昼間に暗殺の話をされていたアルカスは心臓を掴まれたような気分になるが、よく考えたらわざわざノックするような暗殺者がいるとは思えない。それでも用心しながら、アルカスは扉の前に行った。
「……誰ですか?」
「私よ、開けなさい」
驚くべきことに、聞こえてきたのはリネアの声。アルカスは扉を開けた。まばゆい金髪が踊り、リネアが部屋の中に入ってくる。ガウンを羽織ってはいるが、その下は薄い寝間着を身にまとっているようで、アルカスは少しどきりとしてしまった。
「――なんでこんなところに、そんな恰好で……もう夜は遅いのに……」
「だからよ。他の継承権者は全員男。しかも私のことを快く思っていない可能性が高い。念のため、これくらいの自衛はしておかないとね――」
ベッドに腰掛けたリネアは悪びれもせずに言う。その意味を取るのに、アルカスはしばらくかかった。
「え、それってどういう……」
「私も寝るときはここで寝るってことよ。多少狭いけど、なんとかなるでしょう」
「でも、いや僕も男なんですけど……」
「あら、“玉座競選”に勝てば、文句なく私に手をつけられる約束なのに、自らそれを反故しに行くのかしら?言っておくけどね、私にとって貴方の無礼な振る舞いを許容できるのは、私がそれ以上に玉座を重要視する場合のみなんだから――もしも私を、“玉座競選”なんてどうでもいいて思うほどに本気で怒らせたら――貴方の命はないからね」
最後の言葉は、アルカスの背筋を凍らせるのに十分なほどの迫力を持っていた。硬直してしまうアルカスをよそに、リネアはさっさと彼の布団に入ってしまう。
「ちょ、リネア――」
「ちょっとだけ、貴方のことが分かってきたわ。修羅場になると頭が切れるけど、普段はボンクラな臆病者なのね。そんな貴方が一緒の布団に寝ようが――どうせ手出しはできないでしょうし、くっついて寝るくらい、私は別に気にしないわよ?貴方が気にするというのなら、勝手に床で寝てくれればいいけれど」
そう言い残して、本当にまるでアルカスがいないかのように、リネアはすうすうと寝息を立て始めた。しばらくその寝顔を見つめていたが――アルカスはやがて深い溜息をついて、床になんとか、いい寝床を作れないかと工夫を始めたのだった。