5.生徒のみいる入学式(1)
「ああ……どうして僕はこんな所にいるんだろう……」
見たこともないような広さの講堂。木と鉄で作られたその建物は天井もまた高く、圧迫感をまるで感じさせない。正面にはどこまでも広がるかのような舞台があり、その中央に講壇がでんと存在している。そして人々はそれと向き合うように広がり、その最前列にアルカスとリネアは並んで立っていた。場違いな雰囲気に思わずこぼしてしまった弱音を、リネアが聞き咎める。
「あの日の啖呵はどうしたのよアルカス、そんなんじゃ先が思いやられるわ」
「あのときは色々あった後だったせいで感覚が麻痺してしまってたんですよ……」
「敬語禁止。パートナーの自覚を持ちなさい」
「ふええ……」
“随伴魔導師”の証である、漆黒のローブが肩に重い。果たして自分はこれから無事に過ごせるのかと思いながら、アルカスはここに来るまでのことを思い出していた。
“随伴魔導師”として“玉座競選”に参加することを決めた日には、また来ると言い残しリネアは自分の宮殿へと帰って行った。廃墟になった家とともに残されたアルカスはとりあえず可能な限りで修繕して一夜を明かした。ジークは見舞金を払うようなことを言っていたし、リネアから貰った金貨もあったが、金があるからと言ってすぐに家が建つわけでもない。あの時の勢いはどこへやら、すっかり小心者に戻ってしまっていたアルカスは翌日、自分でちゃんとした修繕を行おうとして――それが終わる前にやってきたリネアに連れて行かれた。
そこで待ち受けていたのは立派な宿と、身なりのきちんとした使用人たちで、アルカスは目を白黒させた。そんな彼にはおかまいなく、使用人たちはてきぱきとアルカスの丈にあった服を新調し、アルカスに“玉座競選”の基本的な知識を紹介し、アルカスに豪華な食事を振る舞ったのだった。
そして、“玉座競選”の事前手続きが全て終わった日に、リネアはアルカスを迎えに来て、二人はここ、ジャーマリス魔導学院の入学式へと向かったのだった。
“玉座競選”の始まりは、ジャーマリス魔導学院へ継承権者と“随伴魔導師”がそろって入学するところから始まる。すなわち、“玉座競選”の第一段階が、このジャーマリス魔導学院を卒業することなのであるが、この建国のときからあるジャーマリス魔導学院は、“玉座競選”のときにしか開校されないという何とも不思議な性質を持っていた。普段は重厚な建物も、その周囲に厳重に掘りや柵が巡らされ、何人たりとも入ることを許されない。そのような状態で前回の“玉座競選”以来数十年放置されているのだから、さぞ埃も溜まっていることだろうと思いきや、驚くべきことに内部は清潔に保たれていた。継承権者が入ってくるから、事前に近衛兵などが掃除でもしたのかと思うところだが、どうやらそういうことではないらしい。普段からあまり魔法には慣れていないアルカスにとっては奇妙なことだと思ったが、周囲の人々は特に気に留めてはいないようだった。
その、周囲。
実に数百名か、千人にも上るであろう人々が講堂に入っていた。広い講堂であるため圧迫感は少ないが、それでもその光景には圧倒される。
「こんなに人が……」
「臣籍に下っている人の中にも継承権者はいるし、それにここにいるのは継承権者と“随伴魔導師”のペアだけじゃないわ」
「えっ」
聞き返すアルカスに、そんなこともまだ知らなかったのかと言うように溜息を吐いてから、リネアは続ける。
「貴方ね……ちゃんと勉強しときなさいよ。ホント、肝が太いのか細いのか分からない男ね……いい?ジャーマリス魔導学院は“玉座競選”の時にしか開校されないという先例に縛られているけど、本来魔法を使う者にとってはこの学院を卒業することが最高の栄誉とされているの。だから、“随伴魔導師”になれなかったり、ならなかったりしても、この入学式に参加して栄誉を貰おうと考える魔法使いは多いわ――勿論、この中で生きていけるだけの実力があればの話だけど」
「なるほど……」
「まあ、それでも三分の一くらいは継承権者でしょうからね。まったく、臣籍降下の意味も半減だわ」
やれやれと、半ば呆れたように言うリネアだった。
それからほどなくして、舞台の中心にある講壇に、一人の男が上った。
「……先例に従って、開会の辞は最も年長の男性皇子が行うわ」
ぽつりと呟くリネアの言葉に、その男が帝国第一皇子のヒュドーであるとアルカスは知る。リネア程ではないにしろ、庶民の間にも十二分に名前の知られた皇子殿下だ。
「各々方――定刻でございます。“玉座競選”に参加する全ての者が集いし今、僭越ながら私、帝国第一皇子ヒュドーが、ここに“玉座競選”の開始を宣言いたします。
汝ら、帝国の主とならん者どもに問う。
汝、その品格は高潔にして清廉か
汝、その肉体は健全にして頑強か
汝、その精神は賢明にして博識か
汝、その器量は皇帝足るに相応しき者か!!
今このときが、“玉座競選”を去る最後の機会と心得よ。この時を逃せば皆、継承権者の証をその命尽きるまで背負うこととなる!その覚悟はありや無しや!危うき者はとくと去れ!」
広い講堂に響き渡るその言葉は、全員の心を震わせるのに充分だった。しかし、その場を去ろうとするものはいない。そのことを確認し、ヒュドー皇子は再度口を開いた。
「ならば、次にこの地に集まりた魔導師達よ!古の約定に従い、汝らが末永く我が国を支えることを切に願う。しかし!ゆめゆめ忘れてはならぬ。汝がためにもまたこれは試練なり、それを迎える用意なき者は、やはり今すぐここを去りたまえ!」
その言葉に、反射的に帰りたくなったアルカスだが、服の裾をリネアに握られていたためバランスを崩すにとどまった。
「何、逃げ出そうとしているの、馬鹿」
「――すみません」
そしてやはりと言うか、他に一人も逃げ出すような人はおらず、こうして“玉座競選”の開始を飾るジャーマリス魔導学院の段は、つつがなく始まったのだった。