4.先例のみない皇女様(4)
「――ふう、なんとかなったわね」
魔導竜騎士団が完全に空の彼方に消えるのを見送って、リネアはほっと息を吐いた。その姿があまりにも絵になっているのでついつい見とれてしまいそうになるが、今のアルカスはそんなことを言ってはいられない。
「――えっと、それでは無事うまくいきましたことですし……殿下におかれましてはお帰りになられるのがいいかと――なんだったら帝都までお送りしますけれど……」
「何を言ってるの、貴方も一緒に“玉座競選”に参加するのよ。“随伴魔導師”になっておいて今さら不参加だなんて許されないわ」
さも当然とばかりに言ってのける皇女様に、さしものアルカスも開いた口が塞がらなかった。
「な、何を言ってるんですか!!だいたい僕の手にある痣が魔紋だなんてそんなわけないでしょう!“適正試験”レベル0だって言いましたよね!!あの場を丸く収める方便ならともかく、なんで魔紋持ちのふりしてこれから生きていかなくてはならないんですか!」
「しょうがないでしょう!辞退届から逃げ切るのに必死で、そのあとのことはちゃんと考えられてなかったし、今の私には、貴方の魔紋っぽい痣は何にもまして貴重なの!」
「だからって……僕は魔法も何も使えないのに……」
泣きそうな気分になりながらアルカスは抗議する。しかし、千載一遇のチャンスを得たリネアがそれを認めてくれるはずもなかった。
「うるさいわね!そんなのは私が権力とお金でなんとかハンデを補うから、貴方は黙って着いてくればいいの!なんだったら、私が皇帝になった暁には好きなだけ褒美を取らせてもいいわ!金銀財宝、酒に女に、およそ貴方が望むものならば全て与えてあげる!」
リネアの剣幕に、アルカスはもはやどうしようもなくただ諦めの境地に入りかける。
――入りかけたところで、気付く。
この皇女様――僕に断られたら相当まずいんじゃ?
当たり前のことだが、当たり前であるがゆえに見逃しかけていた事実が、アルカスに認識されていく。“随伴魔導師”なしでは“玉座競選”に参加できない以上、アルカスがリネアの“随伴魔導師”になるかどうかは、そのまま彼女の命運を握る。
(いいか――アルカス。世の中には、相手の命を握るような商談というのもある。そんなときには情けをかけるのもいい。ただしそうするに値しない人物が相手なら――そのときは、遠慮なく吹っかけろ)
また、父の声が脳内に響き、それを感じたときには、アルカスは口を開いていた。
「褒美は、望みのままと仰いましたよね?」
それを聞いて、リネアの表情が緩む。内心ではやはりアルカスが必要であったということが伝わって来るような緩みで――隙だった。その隙を、アルカスは逃さない。
「ならば僕は――殿下が欲しい」
リネアの表情が、途端に固まる。理解が追い着いていない彼女に対して、アルカスは更にたたみかける。彼女にとって、その価値もその意味も、最も大きい要求を――吹っかけた。
「その御美しい御顔を僕の手で恍惚にとろけさせてみたい。その御心を、ただ僕のことを想うだけではちきれんばかりの感情に溺れさせて見たい。その美しい肌に――僕だけの印を刻んでみたい。――だから、貴女が“玉座競選”に勝ち抜いた暁には、この“随伴魔導師”アルカス=フォワードを、皇帝陛下の第一の夫としていただきたい」
「な、な――」
数瞬の間硬直していたリネアは、やがて壊れた機械のように声にならない声を上げた。顔が茹でたタコのように赤い。
「何を言ってるの貴方!誰に向かってその言葉を言っているか、もう一度よく考えてみなさ――」
「こっちの台詞です、皇女殿下」
肝が据わる。体中に何かエネルギーの基が駆け巡るような奇妙な感覚に、アルカスは酔いしれた。今は何でもできるような気がするし、何でも言えるような気がする。そしてアルカスはそれに従った。
「今僕が貴女の申し出を断れば、貴女の立場がどうなるかよく考えていただきたい。だいたい、僕にとっても命懸けになりうる戦いだ。本来ならばその条件でも不十分だけど――それで受けてあげると言ってるんです」
言うに事欠いて、最高の皇女殿下の夫となることをそれでは不十分と切り捨てる。本来ならばアルカス自身が切り捨てられても仕方のないようなその暴言に――しかしリネアは顔を俯き、屈辱に震えながらも、逆らうことができなかった。そしてついに、彼女はやけになったように叫ぶ。
「ああもう、分かったわよ!アルカス=フォワード、貴方が私の“随伴魔導師”として私を玉座に導いてくれた暁には、貴方を我が夫として、玉座の隣に迎えましょう!」
「そうこなくては。それではこれから、末永くよろしうお願いいたします――」
アルカスはそう言って、そして急に足に震えが走って来た。今さらながら、なんと大それたことをしてしまったのかという思いが、全身の力を抜く。そのまま、ぺたりと腰を抜かすかのように座りこんでしまったアルカスを、リネアは怪訝そうな目で見ていた。