2.先例のみない皇女様(2)
窓の方から回って中を覗こうとか、扉を強行突破しようとか物騒なことを考えず、律儀にノックする辺りはさすが魔導竜騎士団、大陸最高の軍紀と噂されるのも伊達ではないが、そんな悠長なことをしていられるのも勿論、それを裏付ける力量あってのことである。アルカスとしては鍋に入れられてしまった兎のような気分で、ただノックに応対するしかなかった。
「はい――どちら様でしょうか」
「帝国第三航空騎士団、イエリカ隊に所属しております、ジーク乙級騎士と申します。こちらに金髪の女性が逃げ込んでいますね?彼女と、話をさせていただきたい」
礼儀正しい声が返って来る。ちらりと少女の方を見ると、手をひらひらと振って“追い返せ”のジェスチャーをした。無茶言うな、と思うが声には出せない。
「あの、それがですね……ちょっと取りこんでおりますと言うべきかその何と申し上げればよろしいのか私にもちょっと定かではないのですが――」
しどろもどろになりながらの言い訳は、我ながら聞き苦しい。扉の向こうから、苦笑するような声が聞こえてきた。
「あー、まあ、お気持ちは分かります。高貴な身分ですよと言わんばかりの服装に、横柄な態度とあれば、失礼ながら普通の平民の方は委縮してしまいますよね――」
まるで、農作業の愚痴を聞くような気軽さでジークは話しかけてくる。どうやら手荒なことはされないらしい――と安心しかけたのもつかの間、彼の次の言葉でそれはきれいさっぱり吹き飛んだ。
「――この家、時価にしていくらですかねぇ……多分金貨十枚は越えませんよねえ」
十枚どころか、三枚の価値すらほぼ間違いなくない。だが今はそんなことを気にしている場合ではなかった。何やら猛烈に嫌な予感が全身を駆け巡る。
「加えて住宅全壊の場合のお見舞い金を含めても――十五枚あれば充分賄えるでしょうし――私の責任で、えいやっとやっちゃいますか!扉の後ろの方――形見の品みたいな、値段で表せない価値のある物はしっかり守っておいてくださいね――」
ヤバい。何か分からないが猛烈にヤバい気がする。アルカスは口を開きかけて――何かを言う前に轟音が鳴り響いた。
思わず目を閉じる。そしてもう一度目を開いたときには――アルカスの育った家はすでになく、ぱらぱらと木材の破片が散らばっているだけだった。真紅の魔導騎士に周囲を囲まれて。
隣の少女を見るが、彼女も自分と同じく怪我はないらしい。どうやら、家だけを何らかの魔法で吹き飛ばされたようだった。
魔道騎士のなかでも、一際明るい金髪の男が髪をかきあげる。それだけでも絵になる美青年が、先程まで扉の向こうにいたジークだと、アルカスは位置関係から確信した。あれだけのことをされても、もはや呆れの方が上回り怒りが湧いてこない。そんな気持ちのアルカスの方はちらりと一瞥し、少し申し訳なさそうに肩をすくめてから、ジークは少女に向き合った。
「さて――リネア殿下。もはや殿下だけなのです。大人しく“玉座競選”の辞退届を提出していただけないでしょうか?」
リネア殿下。その名前には、世間知らずのアルカスにも心当たりがあった。先日亡くなった皇帝陛下の娘の一人であり、その姿、振る舞いは美しくも、同時に武道にもすぐれ、また政治的経済的な手腕も著しく高く、個人資産は皇帝を抜いて我が国最高だとか――
しかしそんなスーパー皇女殿下は、今や下を向いて屈辱にプルプルと震えている。いったい何が起こっていると言うのか。そう思っているアルカスの目の前で、リネアが口を開いた。
「――貴方達は、どうして分からないの!私が女帝になれば、みんなの暮らしをもっと豊かにすることもできる!田畑の実りを豊かにし、市場を活気づけて、帝都を金貨の飛び交う街にして見せることができる!他のどの候補者に、そこまでの力があると言うの!貴方達のやっていることこそが、国家に対する不敬だと知りなさい!」
恐ろしいほどの剣幕で怒鳴りつけるリネアを、しかし魔道騎士の面々はただ涼しい顔で眺めるのみ。そして淡々と、ジークが口を開いた。
「しかし――先例がございませんから。我が国には女帝陛下の先例がございません、ゆえに魔道協会は“玉座競選”への女性継承権者の参加に反対いたしております」
リネアはぎりりと口を噛み締める。横でぼんやりと話を聞いていたアルカスにも、何が起こっているのかは何となくわかった。
魔法とは、一切の理論構築を許さない現象だ。連続性も不偏性もなく、ただ単に、“こうすれば起こる”という知識しかない。それを少し変えて、望むべき結果を求めた者もいたがことごとく失敗し、魔法には理論が存在しないという結果だけが残った。
それゆえに、魔法を使う者は先例を大事にする。こうやったからできた、という魔法での経験は、魔法だけでなく日常生活にまで及び、遠回りでもこれと決めた一つの道を必ず通り続けるとか、朝は右足から必ず踏み出すとか、その他もろもろ、かつての成功例に沿った行動しかできなくなると聞く。
そして、魔法の才能ある者を束ねる魔道協会ともなれば先例の虜。国政にも口を挟み、とかく先例のある行為かどうかを大事にする。帝位継承者を決める“玉座競選”についても、女帝の先例がないことを理由に魔道協会が反対し、帝位を求めるリネアと対立しているのだろう、とアルカスは思った。大事な話ではあるのだろうが、自分の家を吹き飛ばすのは勘弁して欲しいというのが正直な気持ちである。
「さあ……皇女殿下、早く御辞退を。殿下程の方であられましたら、例え玉座に腰掛けずとも、我が国をよりよくしてくださることでしょう」
あくまでも敬意を保ちつつ、どこか迫力のある強い口調でジークはリネアに迫る。彼女はぎりりと奥歯を噛み締めていたが、やがてふっと力を抜いた。
「辞退届の提出締め切りは――三日後だったわね。そして、“随伴魔術師”の登録締め切りは更にその十日後」
「そうでございますね。もっとも、三日間ここで粘りに粘ったとしても、魔道協会は殿下に対する“随伴魔術師”となることを認めません。魔道協会から除名されてまで“随伴魔術師”になろうとする人間は居りませんから――結局は“玉座競選”に参加することはできなくなります。殿下、早いか遅いかの話なのですよ――それならば、“随伴魔導師”なしの失格というこれまでにないケースではなく、先例に従って辞退届を書いていただきたく」
“随伴魔術師”。その言葉の意味を真に理解するには、この国、ノール帝国の歴史を溯る必要がある。建国神話によれば、初代皇帝ノールは、親友の魔法使いジャオリスと共に帝国の基盤を築きあげた。それがこの国で魔道協会が力を持っている理由であり――そのために、次代以降の皇帝を決める“玉座競選”においては、必ず候補者は誰か一人魔法使いとペアを組むことになっていた。それが、“随伴魔術師”である。ゆえに、魔道協会から“随伴魔術師”としての派遣を認められないというのは、“玉座競選”における死刑宣告にも等しいのだが、それでもリネアは表情を崩さなかった。
「もう一つ確認。“随伴魔術師”がいれば、辞退届を出さなくて済むのよね?」
そこで初めて、ジークは怪訝な顔をした。
「それは――確かに、これまでの先例では女性継承権者には“随伴魔術師”を得られなかったことを辞退理由としていただいておりますが……」
少し言い淀むジーク。リネアが次に何を言おうとしているのか、読みとることができなかったのだろう。勿論、アルカスもそうだし、それについて彼を責められる者などいはしまい。
そして、リネアはその場の誰もが予想できない言葉を紡ぐ。
「“随伴魔術師”なら――ここにいるわ!!」
そして彼女は、アルカスの前に跪いた。
「我が友、天地開闢の時より友情を約束されし、誓いの魔導師よ。我は古の習わしに基づき、汝によって玉座に導かれんと欲す。我らただひとえに友情の元に助け助けられたしも、現世の実利、浮世の無常がはびこる世には、それを形とする必要のありて、此処で示せる誠意に限りがあれば、ただ他になき誓いの方法でそれを認めん――これを見た者と、帝位継承者たる我が誇りにかけて、ここに誓う――」
高らかにリネアが紡いだ言葉が、帝位継承権者と“随伴魔術師”のペアを結成する際の儀式の言葉であるということは、このときのアルカスはまだ知らなかった。しかし、ただただ神聖で厳かな何かが、ここで起こっていることだけは分かった。
そして――リネアは、この国で最も高貴な女性は、アルカスの手を取り――恭しく、口づけをした。