1.先例のみない皇女様(1)
林道を駆け抜けて来たのは、まばゆいばかりの金髪と吸い込まれそうな碧眼、はちきれんばかりに躍動する豊満な肉体が印章的な、アルカスと同じくらいの年の美少女だった。高貴な衣に身を包み、全身からやんごとない身分であるぞというオーラをぶんぶんと発散している。
「――ちょっと、そこの貴方!!追われているの、力を貸しなさい!」
少女は肩で息をしながら、アルカスにそんなことを言う。いやいや勘弁してほしい。今日も今日とて単調な農作業を繰り返すだけの農夫である自分に、どう考えても厄介の種を持ち込もうとしているではないか。
「なにぼおっとしているの!金ならほら、ここにあるわ!」
そう言って少女は金貨を数枚、投げてよこした。いったい見るのは何年ぶりになるだろうか。まばゆいばかりのきらめきが、アルカスの心をざわめかせる。しかし同時に、平民には金さえ与えれば言うことを聞くだろう、という少女の内心が透けて見えたような気がして、少し嫌な気分にもなった。
とはいえ、事実でないと言えば嘘になる。金は大事だ。これだけの金貨があれば予期せぬ不作や飢饉に見舞われたとしても、生き残ることができるかもしれない。
「――どのような助けをお求めですか?」
なのでアルカスは口を開いた。おそらくは高貴な生まれであろう彼女に対して、敬語を正しく使えているか不安ではあったが、今は相手にも余裕はなさそうだ。多少の粗相は見逃してくれるだろう。
「もう少ししたら、時間切れになって追手は諦めてくれる。だからそれまでの間、私を匿ってもらうわ。貴方の家に入れて頂戴。緊急事態だから、多少ボロくても勘弁してあげる」
いちいち口の悪い人だ。どうやらのっぴきならない状態らしいのに、アルカスに横柄な態度を取って、もしもアルカスに裏切られたらどうするつもりなのだろうか。そんなことを考えたことがないほど、甘い環境で育ってきたのか――あるいは、そんな所で裏切られるなら、もはやそれまでの器だったと達観しているのか。
なんにせよ、アルカスは別に裏切る予定はない。金を貰った時点でこちらのほうが下手になることは、そこまでおかしくはないだろう。
「――ではこちらに、お越しください」
そう言ってアルカスが少女を導こうとした矢先に、ブーンという音が聞こえた。最初は虫の羽音みたいだったその音は、やがて徐々に大きくなってくる。
「――くそっ!!あいつら、もう追いついて来た!!」
美貌に似合わない言葉で毒づく少女の視線の先を見てみると――空に浮かぶ小さな点がいくつかあった。見る間にそれは大きくなってきて、その全容を現す。深緑の鱗に包まれた大型動物と、その背にまたがる真紅の鎧。その姿は子供でも知っている。
「……魔導竜騎士団!なんてものに追われてるんですか!お尋ね者?もしかして極悪非道の殺人鬼とか――」
「なんでよ!私がそんな女に見えるの!?」
ちょっとは見える、とはアルカスには言えなかった。まあ実際、目の前の少女に危険な雰囲気はないが、相手は国の英雄。自然災害の復旧から要人警護、果ては戦争に至るまで最前線で戦う帝国第三航空騎士団――通称、魔道竜騎士団である。そんな彼らに追われるとは一体何をやらかしたのか。
「とにかく急いで!運が良ければまだ見つかってないわ!とっとと貴方の家に連れて行って!」
少女に引っ張られるようにしながら、アルカスは道案内をした。
「ボロくても勘弁してあげるとは言ったけど、本当にボロいわね……」
アルカスの藁小屋に入って、少女の第一声がそれだった。もうこの人蹴り出しても誰にも文句は言われないんじゃないだろうか、という思いをアルカスは必死に抑える。
「すみません……何せしがない農夫ですから……」
曖昧に微笑んで誤魔化し、窓から頭だけ出して様子を伺う。魔導竜騎士達は各自の竜を付近に着陸させた。アルカスの家は村はずれにあるのに、その彼の家を囲むように降り立つあたり、少女が逃げ込んだのがここだとばれているとしか思えない。
「――あの、どう見てもここに迫って来てるんですけど……さっき、時間稼ぎって仰ってましたよね――どのくらい、時間を稼げばよろしいのでしょうか?」
アルカスは少女に問う。何故か彼女は目をそらした。
「――お答えいただかないと、僕としてもどう対応すればいいか分からないのですけれど」
「――っか」
「はい?」
「三日よ!あと三日時間稼ぎすればなんとかなるの!!」
「三日って!!もう目の前に迫ってるんですけど相手は!」
「仕方ないじゃないの!これでもなんとか目をかいくぐってこんなところまで逃げてくることになったんだから!!これ以上私にどうしろって言うのよ!!」
少女は逆切れしたようにアルカスの胸を掴む。がくんがくんと体を揺らされ、アルカスは目が回るかと思った。
「ちょ、ちょっと落ち着いてください――」
慌ててアルカスは少女を引きはがそうと、彼女の手を握る。
「な、何勝手に私の手を握ってるのよ!!離しなさ――」
その、アルカスの手を振りほどこうとした少女が、彼の右手を見て動きを止めた。
「――これ、何?」
言われて、アルカスは自分の右手の甲を見る。彼の右手には、数年前から浮き出て来た竜の形のような痣が広がっている。どたばたしていたから、今初めて少女は気付いたのだろうか。もはや自分にとっては見慣れたものだったので特に違和感もなかったのだが、初めて見ると刺激が強いということか。ちょっとショックを受ける。
「何って――ただの痣ですよ。何年か前から、徐々にこんな形のが浮き出て来て、今日は突然いらっしゃったので何も対応できませんでしたが、普段は手袋をして隠しています」
「ただの――痣? あなた、“適正試験”の結果は?」
「――レベル0ですけど、何か?」
どうしてこの少女はいちいち自分が気にしていることを聞いてくるのか。だが、当の本人はそれを聞いて、何か考え込むように黙ってしまった。何が何なのか、アルカスは聞こうとして――今はそんな状況じゃなかったことを思い出す。
藁小屋の粗末な扉が叩かれる、ノックの音で。