王子様の呼び方
マリィナの住み慣れた高原を出てしばらく進んだところで、レットが「そろそろ休憩にしないか」と、ぜいぜい荒い呼吸をしながら提案した。
そんなレットを、リューが冷たい目で見やる。
「もうひとつ峠を越えたところで昼食の予定ですが?」
「でもほら、こんな小さな女の子を歩かせ続けるのは可哀相じゃないか。この先長いんだから、無理をさせたらいけないだろ?」
「いえ、わたし、歩くのは好きなので、ちっとも無理なんてしてないですよ?」
ずっと山で暮らしていたマリィナは山道に慣れているし、散歩に出かけて、歩き続けた末、山をひとつ越えてしまったこともある。
マリィナにとって、数時間歩くくらい、なんてことないのだ。
「え……」
レットが、頬をぴくりと引きつらせる。
「あ、でも、心配してくれてありがとうございます! レットさん、とても優しいんですね」
「あ、ああ……、うん」
マリィナが笑顔を向けると、レットはぽりぽりと鼻の頭を掻いた。
「僭越ながら言わせてもらうなら、その、黒くて重そうな服が、問題なんじゃないですか? もっと動きやすい服のほうがいいんじゃないかなって思いますど」
「あーこれね。だよね。やっぱりそう思うよね? ディン、聞いてた?」
「ダメだ。それを着ていないと、誰もおまえが神官だってわからないだろうが」
「そんなのわかってもらわなくてもいいよ。それよりこの重い神官服を脱いで、楽ができるほうがよっぽどいい」
そんなマリィナとレットのやりとりを見ていたリューがやれやれとため息を吐く。
「マリィナさん、申し訳ないのですが、レットのあの服を脱がせることはできないのです」
「そうみたいですね。ごめんなさい、余計なことを言ってしまいました」
ぺこりと頭を下げて、マリィナは反省する。
なにごとにも、理由や事情があるものなのだ。
「ああ、そういえば、まだマリィナの演奏をしっかりと聴かせてもらっていなかったな」
一番前を歩いていたディンが、ふいに振り返った。
「あ、じゃあ弾きましょうか? 王子様が満足できるような演奏じゃないと思いますけど……。わたし、王子様の楽師なんで、王子様のご要望とあればいつだって弾きますよ?」
マリィナは立ち止まり、リアラの入った袋を軽く持ち上げる。
「予言者だ」
素早くディンが訂正する。
「あ、すみません。……じゃあ、予言者、様?」
「いや、おれを呼ぶときはディンでいい」
「ディン、様?」
「だからディンだけでいい」
「ええっ!?」
「レットもそう呼んでいる。そうだな?」
「出奔してふらふらしている王子に『様』をつけるなんてもったいないからね」
レットが肩をすくめて、面倒くさそうに言う。
「ああ、わたしのことはどうぞお気になさらず。わたしはもうこの呼び方が癖になっていて抜けないだけですから」
救いを求めるように見たリューに言われて、マリィナは追いつめられる。
王子様を呼び捨てなんて、たぶんすごく畏れ多いことだ。
でも。
再び、ディンを見上げる。
払暁の空の色をした瞳で真っ直ぐに見つめられると、とても逆らえないという気持ちになる。
「ディ、ディン……?」
うむ、と満足そうにディンがうなずく。
その顔に浮かんだ笑みに、マリィナはどきりとする。
出会ってからのディンは、いつも不機嫌そうな顔をしていたから。
こんな風に笑ってもらえるのなら、名前で呼ぶのもやぶさかじゃない。
そう、思ってしまうのだった。




