吟遊詩人
王宮に着いてから一週間が経過した。
フィールもウィネビーの手配を済ませて戻って来て、王宮に滞在している。
いつまでもこんなところでだらけた生活をしていたら体が鈍る、と文句を言いつつも、結局マリィナと一緒にここにいる。
高原に一緒に帰るよう、マリィナを説得するためだ。
高原には帰らない、って言ってるのに。
とはいえ、今後のことをディンに相談したくても、王都に着いてからこっち、ゆっくり話もできていない。
それはリューのほうも同じで、晩餐会が終わったら時間を取ると、それを繰り返すばかりだった。
その晩餐会が、今夜だ。
マリィナたちにも出席するようディンからのお達しが出ている。
昼を過ぎた頃から、マリィナはリューの指示で手配された女官の人たちに囲まれて大変だった。
お湯をはった池(本当は池じゃなくて浴場というらしい)に放り込まれてごしごし洗われたり、髪の毛をぎゅうっと引っ張って結い上げられたりするのは、初めての経験だった。
床をひきずるほど丈の長いドレスを着るのも。
なんとか支度を終える頃には、ちょうどいい時間になっていたようだった。
広間へ向かう途中、前方に灰色の髪が見えたから「フィール!」と呼びかけたら、振り返ったのはフィールに良く似た別人だった。
「ごめんなさい間違えました!」
慌ててぺこりと頭を下げて謝る。
しばらくの間があってから、かつかつと靴音がこちらへ近づいてきた。
間違えられて怒ってるのかな?
びくびくしていると、こつり、と頭を軽く叩かれた。
「誰を誰と間違えたって?」
「へ?」
頭の上から降ってきたフィールの声に驚いて顔を上げたマリィナは、まじまじと相手の顔を見た。
普段は下ろしっぱなしの前髪を整えて、見るからに高そうな、もう一生着ることのないような服に身を包んでいるせいで全く別人のような印象を受けたけれど、目鼻口その他諸々は見慣れたフィールだった。
一方のフィールも、マリィナを見下ろしたまま瞬きを繰り返している。
「……なにか変?」
「あっ、いや。その……。変わるもんだなと思って」
フィールが目を逸らせながら、ぽりぽりと鼻の頭をかく。
頬が少し赤く見えるけど、着慣れない服がきゅうくつなのかもしれない。
大仰な刺繍のほどこされた高襟も、なんだか息苦しそうだ。
「ね。びっくりだよね。まるで別人になったみたい」
マリィナとフィールは並んで大広間へと踏み込んだ。
「うわぁ……」
目の前に広がるまるで現実とは思えない世界に、マリィナは思わず感嘆の声を上げる。
高い天井から吊るされた見事なシャンデリアが、室内をめいっぱい照らしている。
広間に集う大勢の人々のドレスはまるで花畑のように色鮮やかで、動く度に装飾品がきらきらと輝く。
テーブルの上には到底食べきれないだろう量の料理が並び、あちこちから笑い声や楽しそうな話し声が聞こえてくる。
「すごいな……」
隣に立つフィールも、驚いてシャンデリアを見上げている。
その時、ちょっとしたざわめきが起きた。
そちらへ顔を向けると、人垣の向こうに、楽器を抱えた人の姿がちらりと見えた。
「吟遊詩人……?」
旅の途中、何人かの吟遊詩人を見かけた。
演奏も聞いた。
彼らの詩はとても面白くて、マリィナは興味津々で最後まで聴いた。
あの吟遊詩人は、いったいどんな詩を聴かせてくれるんだろう。
人垣の向こうから、ぽろん、とよく響く音が響いた。
「え……?」
今の音……。
マリィナは隣のフィールを見上げた。
けれどフィールには気づいた様子がない。
きょろきょろと広間の中を見回している。
聞こえた音は、マリィナのリアラにとてもよく似ていた。
高原を下りてから知ったことだけれど、マリィナの使っているリアラは古い形をしていて、今では演奏する人がぐんと減っているという。
もしあの人の楽器がリアラなら、ぜひ近くで見てみたい。
そう思った矢先、吟遊詩人の詩が聞こえた。
そこで更にマリィナは驚く。
吟遊詩人は男性が圧倒的に多い。
「フィール、わたしあっちに行ってくる」
「あ、待てよ。俺も行く」
動きにくいドレスがわずらわしいけれど、小柄なマリィナは背を屈めて、人垣を抜ける。
一番前までたどり着いて、マリィナは息を呑んだ。
そこにあるのは、やはりマリィナと同型のリアラだった。
けれど技術は圧倒的にこの吟遊詩人のほうが上だ。
うたわれる物語は、宮廷に相応しい恋物語ではなく冒険譚。
ディンが旅に出かけるきっかけになった吟遊詩人というのは、この人なのかもしれない。
けれどこの人の癖、自分とよく似てる……。
そしてこの歌声。
マリィナははっと気づいて、吟遊詩人の手元に目をやる。
細くて長い、しなやかな白い指が鮮やかに弦を弾き美しい音を鳴らす。
あの指、そしてこの声――。
マリィナは視線を上げた
。吟遊詩人と、目が合う。
楽しそうにうたうその人が、マリィナを見て目を細めた。
やがて曲が終わり、吟遊詩人が聴衆に一礼する。
拍手が湧き上がり、収まると再びリアラを構えた。
その、はじめの一音で、わかった。
「お母さん……」
マリィナの好きな、あの曲だった。
幼い頃、母親から教わって、何度も一緒に弾いた曲。
ふと顔に影が差した。
顔を上げると、すぐそこに、久しぶりに見るディンの払暁色の瞳があった。
「ディン、あの人……」
「おまえにはこれが必要だろう?」
おもむろに差し出されたそれは、マリィナのリアラ。
「持って来てくれたんですか?」
「この展開は予知していたからな。さあ、行け」
ディンと話したいことがいっぱいあった。
でも今は、ディンに後押しされて、一歩、前へ踏み出す。
吟遊詩人が、にこりと笑って少し横に移動し、マリィナのための場所を作る。
マリィナは普段座ってリアラを奏でることが多いけれど、立ったままでも弾けないことはない。
最初の一音。
恐るおそる音を重ねる。
ふたつの音が、溶け合い、新たな音を作る。
大丈夫。やれる。
そのあとはただ、音に集中するだけだった。
相手の音に耳を傾け、自分の音に注意を払い、全体のバランスを考える。
旋律は慣れたそれ。けれど即興が加わる。
楽しい。
どうしよう、すごく楽しい。
マリィナは衆人環視の中だということをすっかり忘れて、演奏を楽しんでいた。




