予言者ディン
「待てー!」
追いかけられてるっ!?
アネと並んで走りながらちらりと後ろを振り返ると、すぐそこに青年が迫っていた。
「で、でもなんで? わたしなにもしてないよね、アネ?」
メ。
「おい、待て」
背後から肩に手をかけられる。
「いやぁぁぁぁ!」
強引に肩を引かれて、振り向かされた。
青年の瞳が、すぐそこにあった。
その青紫色の瞳に吸い込まれそうになって、マリィナはどきりとする。
澄んだ青とも深い紺とも違う、日が沈んだばかりの白い空と、濃紺の空のあいだに広がる色に近い。
「逃げるな。おれはおまえを捜していたんだ」
「え? 捜してた……? わたしを?」
「そうだ。おれにはおまえが必要だ」
「わたしが?」
なにを言われているのか理解が追いつかず、相手の言葉を繰り返すことしかできない。
青年がこくりと神妙な顔でうなずく。
メェェェェ!
ドス、と鈍い音がして「ぐほっ」という声がしたかと思うと、青紫の瞳が遠ざかった。
アネの蹴りがさく裂したのだ。
「ありがとうアネ」
メェ。
「大丈夫ですか? ディン様」
追いついたひとりが、吹っ飛ばされて仰向けに倒れている青年に声をかけている。
男装だから遠くからじゃわからなかったけれど、それは女の人だった。
きめの細かい白い肌にすっと通った鼻梁、青空のような瞳に、首の後ろで束ねられた金の髪。
なんで男装をしているのかはわからないけれど、かなりの美人だ。
「だ、だいじょうぶ、だ……」
ディンと呼ばれた青年は、数度瞬きをしてから擦れた声で応えた。
そこへ、ぜえぜえと息を切らしながら、よろよろと最後のひとりがやってきた。
「ま、待ってくれって、言ってるじゃ、ないか……」
マリィナに対してではなく、同行者のふたりに向かって話しかけている。
息も絶えだえといった風のその男は、ひょろりとした長身を折り、膝に両手を当ててなんとか立っている状態だ。
身に纏う黒い服は丈が長く重そうで、旅には不向きだろうと思わずにはいられない。
赤毛は風にあおられたのかぼさぼさで、褐色の瞳はどこか焦点が定まっていないように見える。
大丈夫かなこの人、と心配になったところで、ぐい、とアネに服の裾を引っ張られた。
そうだ、他人の心配をしている場合じゃなかった。
「え、えーと……わたしが必要っていうのは、いったい……」
そんなことを言われるのは初めてだったマリィナは、逃げるのをすっかり忘れて訊いた。
人違いか、なにかの勘違かもしれないと思ったからだ。
「だからそれは――」
「ディン様」
上半身を起こした青年がそのまま答えようとしたところへ、男装の女性が手を差し出した。
その手につかまって、ディンと呼ばれた青年が立ち上がる。
メェ、とアネが威嚇するように鳴く。
アネをちらりと見てから、彼はこほん、とひとつ咳をついた。
「あー、おれは予言者ディン。世界を救うため旅をしている途中だ。そしておれたちの旅にはおまえが必要だ。一緒に来てほしい。速やかに旅支度を整えろ、すぐに出発する」
「……?」
メ?
マリィナとアネは顔を見合わせた。
なにを言っているかはわかるけど、なんで自分が必要なのかがさっぱりわからない。
「予言? でも、世界を救うための旅なんでしょ? わたし、なにもできないし、きっと人違いだと思うけど……」
メェ。
「いや間違いない。おまえ、さっきその楽器を奏でていただろう? おれは楽師を求めている。こちらの方角へ進めば楽師が見つかるという夢を見た。これはまさに夢の通りだ」
楽器? とマリィナは脇に抱えたルラアを見た。
確かに弾いていたけど、あの距離で音がちゃんと聞こえていたとは思えない。
「じゃあ、もっとこの先に、あなたの求めてる楽師がいるのかも。わたしは時間のある時にたまに弾くくらいで、楽師とかそういうのとは違うから」
「いや、おまえだ。予言者のおれがおまえだと言うんだから、おまえなんだ」
おまえなんだと言われても。
困惑して顔を上げると、ディンの斜め後ろに立っている女の人が、こくりとマリィナに向かってうなずいた。
いや、うなずかれても困るんだけど。
マリィナはどうしたものかと、小さく嘆息した。




