追跡者
教会を出ると、空が赤く染まっていた。
信者のひとりから薦めてもらった宿屋を目指して歩いている時、レツトが「あ」と短い声を上げた。
「なんだ?」
「ちょっと、所用を思い出した。悪いけれど先に宿屋へ行っておいてくれ。僕はあとから行く」
「所用って……あ、おいレット!」
ディンが名前を呼ぶが、レットは振り返らず、通りの人ごみの中へ消えてしまった。
「放っておいて構わないでしょう」
リューが目の端でレットを追いながら言う。
「どうしてそう思う?」
「知り合いでも見かけたのでしょう。若い女を追って行ったみたいです」
「見たのか?」
「ええ、二十歳そこそこ……レットと同じくらいの年に見えました。女のほうはレットに気づいて逃げ出したようでしたが」
レットは21歳だと、旅の途中に聞いた。
ちなみに、ディンは19歳らしい。
「なんだって!?」
ディンが突然大きな声を出す。
「ですから、逃げる女をレットが追って……」
「それはわかった。リュー、マリィナ、急いで追うぞ!」
「は?」
「え?」
「そんな面白そうな展開、どうなるか見届けずにどうするんだ!」
「面白そうですか? わたしは別にレットには興味がないので……」
「いいから追え。追うんだ、リュー」
「わかりました」
ディンの命令を受けて、リューが軽い身のこなしで人のあいだを駆け抜けてゆく。
「マリィナは……ついて来られるか?」
「頑張ります!」
「よし」
リューのあとを追って、ディンとマリィナも駆け出す。
「すみません、あ、ごめんなさい」
ディンの背中を見失わないように必死に追いかけるけれど、小柄なマリィナはすぐ人の波に埋もれてしまう。
ディンの栗色の髪が、時々人の陰に隠れる。
「あっ」
上を見上げっぱなしだから、足元への注意が足りなかった。
転ぶっ――!!
「おい」
がしっ、と腕を掴まれた。傾いていた体が支えられ、倒れるのを免れる。
顔を上げれば、払暁の空色の瞳が、すぐそこにあった。
「ディン!」
「大丈夫か?」
「す、すみません! ありがとうございます。あの、リューさんとレットさんは……?」
マリィナが自分の足でちゃんと立つのを待ってから、ディンはぐるりと周囲を見回す。
「見失ったな」
「本当にごめんなさい! わ、わたしのせいで……」
足を引っ張ってしまった申し訳なさに、マリィナは体を縮こまらせる。
「いや。まあいい。リューが帰ってくれば、詳細はわかるしな」
「でも……」
「おれのほうこそ、無理を言ってすまなかった」
「いえそんな……」
「おまえは楽器を弾いてくれればそれでいい。楽師なんだからな」
「……はい」
マリィナが俯いて答えると、ディンに頭をぽんぽんと撫でられた。
「落ち込むことはない。おまえは別に失敗をしたわけじゃない。咄嗟に、おれが判断を間違っただけのことだ。おまえは楽器を抱えているんだから、この人の多い中、走るのは無理があった」
「ディン……」
頭を撫でてくれる手があんまり優しいから、涙で視界がぼやけてしまう。
いつも偉そうで不機嫌そうな顔ばかりしているのに、なんでこの手はこんなに優しいんだろう。
涙を引っ込めようとがんばっていると、ふいにぐいと力強い腕に抱き寄せられた。
ディンの堅い胸に頬がぶつかる。
マリィナの鼓動が跳ねた。
思わず、涙も引っ込む。
「ディ……」
「しゃべるな。少し歩くぞ」
耳元で囁くディンの声が、少し擦れている。
がらりと変わったディンの雰囲気から、マリィナは緊迫したものを感じ取り、黙って小さくうなずいた。
ディンに肩を抱かれたまま、ゆっくりと行き交う人々の流れにのって歩き出す。
自分の置かれている状況は全くわからないけれど、ディンがなにかを警戒しているのだということは伝わってくる。
ディンを追うのに必死だったせいで、マリィナは今、自分が街のどのあたりにいるのかすら把握できていない。
そもそも、この街の全容すら、よく知らない。
目指していた宿からは、たぶん離れているんだろうなというのはわかる。教会とは別の方角のようだ、ということも。
けれどそれだけだ。
やがて初めて見る広場に出た。
これまでに見たどの広場よりも大きい。
日没まであと僅か。
早足で縦横無尽に横切る通行人や物売りで、広場内は混雑していた。
「ちっ。まだついてくるか」
ぼそりとディンが零した。どうやら追われているらしい。
「誰?」
小さな声で問う。
「さあ、誰だろうな。とにかく、このままじゃ埒が明かない。仕方がないか……」
「ディン?」
「人気の少ない場所まで誘導して、あいつらを片づける」
「あいつら……? 複数なんですか?」
「ひとりだといいけどな。ま、何十人もいるわけじゃないだろう。いいか、なにが起きても、心配するな。おれがなんとかする」
「でも……」
「大丈夫だ。これはおれの予言だ。信じろ」
ディンの目はまっすぐにマリィナへ向けられていて、マリィナはそれを信じたいと思った。
「わかりました」
「よし」
うなずいたディンは、マリィナの肩を抱いたまま、すぅっと人ごみをすり抜けると、脇道へと踏み込んだ。




