6-4
「先手、行きます!」
「というわけでして……」
トウコとサヤは、鱶ヶ渕中学近くの小さな公園のベンチに腰かけていた。長い話を終えて、サヤは一つ大きな息をついた。
「漆間……」
そう言えば昨日、今日と見かけなかった。成田トウコとなった今でも、アキナのことは気にしていた。
しかし、「ディストキーパー」になっていたとは。そんな不幸を抱えるようには思わなかったが……。
少し考え込むようなトウコの素振りを見てか、サヤは意外そうに言った。
「漆間さんのこと、ご存じなんですね。他の人に興味を持つ方とは……ああ、いやいや、その……!」
この多弁な少女は、余計なことをつい言ってしまうところがあるようだ。目隠しより口枷の方がふさわしいのではないだろうか、などと思いつつトウコは「気にしてない」と左手を振った。
「別に。有名人というだけのこと」
「天才空手少女、でしたか。痴漢を捕まえたとか」
わたしはオリエさんから聞いたんですけど、とサヤは言い足す。
「それで、やりますか?」
「やらないという選択肢があるの?」
「いや、まあ、ないですけど……」
「なら、無駄なことは聞かないの」
トウコがポケットから「ホーキー」を取り出したのを見て、サヤは目を見開く。
「え、今から行くんですか?」
「早い方がいいでしょう」
まあ、確かに……と言いつつもサヤは不満そうだった。いや、不安そうと言うべきか。
「どうしたの?」
「いえ、ちょっと心の準備が、と言いますかその……」
エリイさんもヒメさんも決して弱いわけではないんですよ、とサヤは言う。
「連携もいい二人ですし、それでダメだったっていうのが、ちょっと……」
「知ったことではないわ」
ぴしゃりとトウコは言い切った。
「強い弱いは結果でしかない。今から不安がって何か変わるの?」
むう、とサヤはうなった。
「トウコさんって、ホントに新人離れしてますよね……」
答えず、トウコは公園を出る。「インガの裏側」へ向かうには、このいわゆる変身アイテムでもある「ホーキー」を適当なドアに使う必要があった。ドアにこの羽箒つきの鍵をかざすと、「コーザリティ・サークル」と呼ばれる鍵穴が出現、それに「ホーキー」を差し入れ開くことで「インガの裏側」へと侵入できるのだ。
トウコは手近のコンビニエンスストアへ足を向けた。中のトイレを使おうか……いや、まどろっこしい。そう判断し、入り口の自動ドアに「ホーキー」をかざした。ドアは開かず、「コーザリティ・サークル」が中央に浮かぶ。ガラス戸の向こうは、もう人のいない灰色の世界に繋がっていた。
「ああ、もう目立つところで……」
「どうせ『改変』するのでしょう」
ため息をつくサヤにトウコはそう言い返す。その右目にも「コーザリティ・サークル」が浮かんだ。
「あれ、トウコさんも目なんですね」
わたしもなんですよ、と言うサヤの両の瞳の奥にも「コザーリティ・サークル」が見える。片方ずつ鍵を差し込んで回し、開錠するらしい。
「じゃあ、行きましょうか」
黒い宝石のはまった「ホーキー」を右手に、サヤはトウコの顔を仰いだ。
「……ええ」
左手の白い宝石が輝く「ホーキー」を、トウコは右目に差し込んだ。
「あら、ずいぶんと早かったのね」
目的の場所、「インガの裏側」の運動公園で待ち受けていたのは、立花オリエと人間大の大きな琥珀であった。その中に透けて見えるのは、紛うことなく漆間アキナその人だ。
「暴れるから、ってことでオリエさんが閉じ込めてたんですよ」
サヤが横から説明する。
「それで、どうしたら勝ちかは聞いているかしら?」
「ええ。大きなダメージを与えて意識を失わせる」
「できる?」
トウコは無言で拳銃「エクリプス」を構えた。
「自信があるようね」
「わたし、あんまりないです……」
「がんばりなさい。サヤちゃん、あなたベテランなんだから」
「で、ですよねー」
「それに、これでダメなら処分するしかないわ」
処分。つまりは殺してしまうということだ。
「さ、さすがにそれはひどくないですか……」
「けれど、いつまでもコレにかまけていても仕方ないわ」
オリエとサヤの会話をよそに、トウコは琥珀の中の漆間アキナに目をやる。構えをとった彼女の瞳は、虚ろで何も映していないように見えた。
何がそんなに不幸だったのか、何に怒って暴走してしまっているのか、それは分からないが――。
「わたしが必ず、元に戻してみせる」
拳銃を持つ手に力が入る。こうして並び立って戦えるかもしれない日が来たのだから。
「あら、えらくやる気ね?」
「が、がんばりましょう……」
二人の顔を交互に見た後、オリエは琥珀に近づきその表面に触れた。呼応するように、琥珀は明滅する。
「時間を動かすわ。気を付けなさい、かなり興奮しているはずだから」
琥珀は光を放って、砕け散った。同時に、こちらへ向かってくる気配に、トウコは気付いていた。
「避けろ!」
サヤを突きとばし、自らはその逆方向に横跳びに身をかわす。オリエは? 砕けた琥珀の方を横目で見やるが、既に姿はない。もう任せるということか。どこか無責任に思えて、トウコは内心舌打ちした。
まあ、今はそっちはどうでもいい。トウコがさっきまで立っていた場所は、大きく陥没していた。拳を地面から引き抜くように彼女はゆっくりと立ち上がり、まとった紫の炎の中からトウコのことをにらみつけた。
「漆間、アキナ……」
名を呼ばれても、返事はない。重苦しくも、こちらを映さないあの瞳で見返すだけだ。
「先手、行きます!」
宣言すると同時に、サヤの足元から影が伸びる。背後から迫るそれの気配を敏感に感じとり、アキナは飛び退いてかわした。
そこにすかさず、トウコは銃撃を見舞う。金色の目を使った誘導弾だ。空中で、防御をとる暇もない。捉えた。
だが、アキナにダメージはない。意に介した風もなく着地すると、トウコに向かって突っ込んでくる。かわして再度発射するが、やはりダメージがない。
「トウコさん、あの紫の炎です! あれがダメージを軽減してるんです!」
アキナの体を包む炎の効果を、サヤはそう看破した。
(誘導弾では火力不足か)
ならば、貫く攻撃を。トウコは後ろに跳んで距離をとり、目視で引き金を弾く。光速の弾丸は、しかしアキナを捉えることはできない。あのライオン型と同じように、トウコの動きから弾丸の着弾を予測しているのだ。
なるほど、かなりやるようだ。この強さが漆間アキナなのだ。今なら、シイナの言うことが分かる。いつかトウコの夢想した、戦士としてのアキナが目の前にいた。トウコはこの場において、強い高揚感を覚えていた。
「そうこなくては、面白くない」
トウコの右目に、再び金色の光が灯る。利き手ではない右の拳銃からアキナへ全弾撃ち込む。
「!?」
九発の銃弾はアキナの目前でぐにゃりと曲がり、散開してその背を狙う。
アキナはそれにも反応して振り向き様に足を薙ぎ、腕を振るい、身をかわす。
だが、本命はこちらだ。気取られぬよう、チャージをしておいた左手の「エクリプス」。姿勢の崩れたアキナへ、九発分を束ねた光の帯を解き放つ。
「『ルナ・エクリプス』」
アキナは眼を強く見開き、防御をとるが間に合わない。紫の炎をえぐるように、光の奔流がアキナに突き刺さる。
「ッッ!?」
獣めいたうめきを上げて、アキナが膝をついた。まとった毒々しい炎も薄く弱まっているようだ。
「よし、今だ、行け!」
弱ったと見るや、サヤは再び影を伸ばした。
サヤの影は、ライオン型の時のように視覚などの五感を使えなくする他、腕や足を動かす感覚や、意識をも奪うことができる。今回の場合、意識の剥奪を成功させれば勝ちではある。ただ、意識を奪うには相手の心のかなり深いところにまで踏み込まねばならず、そこまでの隙を敵に用意するのは難しい。だが、今なら……。
「はい、ちょっと失礼しますねー」
影はアキナを包み込むように取り巻く。この影の五感は、手にした白い杖を通じてサヤにも伝わっている。紫の炎を越えて、体の中、精神の奥の奥、心の深淵にまで……。
ふと、サヤは自分の視界が闇に包まれているのに気付く。影が見ている映像だろうか。そして妙に暑い、いや熱いものに触れている。あの紫色の炎、表出していたそれよりも更に激しい業火の壁が、アキナの精神を覆って……!?
「やだ!?」
と、そこでサヤは声を上げ、影を引っ込めてしまった。今、影を通じて見えたビジョン、あれは……!
「三住ッ」
トウコの声に我に返った時には、アキナの拳が眼前に迫っていた。
衝撃を覚悟した瞬間、アキナが横に跳び、サヤの鼻先を銃弾がかすめる。
「ボーッとするな」
「す、すいません!」
後輩に叱られてしまった。トウコがアキナを引き付けている間に、サヤは戦いから距離を取った。