7-1
「馬鹿な、その態度でチャラよ」
トウコとシイナは左右に飛びのいてかわす。黒い塊が地面に着弾するや否や、大きな異音と共に地震のような衝撃が「インガの裏側」に走る。それは空間全体を揺らすようであった。
『強烈な「インガのゆらぎ」を検知。シイナ、何があったの?』
すぐに脳裏にパサラの声が響く。少年のようなその声も、いつもより緊迫しているように聞こえた。
「うぇっ、パサパサがこういうこと言ってくんの、初めてなんだけど……」
「敵巨大『ディスト』の攻撃が『道路オブジェクト』へ着弾、その地点が陥没した」
シイナに代わり、トウコが冷静に状況を伝える。
『被害状況を確認。すまないが二度は撃たせないでくれ。次のダメージは避けたい』
「……了解」
それほどの攻撃ということか。直撃していたらこちらの身もまずかっただろう。ただ、大技ということもあってかあちらも連発はできないようだ。クジラ型は更に高い位置に舞い上がり、ゆっくりと旋回していた。
「いいね、条件付き戦闘。燃えてくるじゃん」
シイナはメガネの弦を押し上げる。このゲーム脳が。トウコは「エクリプス」の充填を始める。
昨日のライオン型よりかは大きいし、さっきの「ルナ・エクリプス」で吹き飛ばした群れの数倍のヒトデ型が寄り集まってできている。一撃で倒せるかは怪しいが、ノーダメージでは済まないだろう。
トウコはチャージを続けながら手近の建物に上る。クジラ型はトウコの動きに気付き、緩慢に体を翻して向かってきた。たくさん集まっても、突進が主体なのは変わらないようだ。確かにこの大きさならば脅威だが――
「遅い」
チャージは完了していた。白い光を放つ「エクリプス」の銃口をクジラ型に向ける。
「『トータル・エクリプス』」
放たれた二本の光の帯が、クジラ型に迫る。だが、その光は巨大な「ディスト」を飲み込むことはなかった。
(――バラけた!?)
クジラ型は無数のヒトデ型に再び分かれ、分散することによって光線をやり過ごしたのだ。「トータル・エクリプス」が撃ち落したのは、逃げ遅れた数匹だけであった。
数百のヒトデ型は再び一所に集まり、群れのままトウコに向かって突進してくる。避けねば、トウコは建物から飛び降りようとしたが、体が思うように動かない。「トータル・エクリプス」の反動であろうか。
「くっ!」
止むを得ず身構え、ヒトデ型の突進を受ける。大きな石の混じった突風のようだ。更にヒトデ型は、トウコの肩や腕にぴたりと張り付いてくる。吸われるような感覚と嫌悪感で、腕の下で顔を歪ませた。
そこで不意に、右足に何かが巻き付く感覚があった。ヒトデ型のものではない。疑問を覚えたと同時に、一気に建物の下へ引っ張られる。
「がっ!?」
したたか体を打ち、地面を引きずられた。衝撃で何匹かのヒトデ型が剥がれる。顔を上げると、にやにやとシイナがこちらを見下していた。
「間一髪だねえ」
「助けるにしてもやり方がある」
シイナの大砲から伸びたツタ状の植物を見て、トウコは鼻を鳴らし立ち上がった。このツタも、シイナの「種」から生える植物の一つで、触れたものに巻きつく性質があるのだ。普段は「ディスト」を拘束するのに使われているが、緊急時にはこのような応用も利く、汎用性の高い「種」であった。
トウコはしつこく右肩に張り付くヒトデ型を引きはがし、地面に叩きつけて踏みつぶした。そして上空を見上げる。ヒトデ型の群れは、また集まってクジラの形を形成しつつあった。
「バラけるのは一瞬、って反則だにー」
ちょいと失礼、と言いながらシイナはトウコの背中に張り付いていたヒトデ型を手に取った。
「次は当てて見せる」
「いんや、その必要はないね」
シイナはヒトデ型を何やら弄りながらトウコの顔を見据えた。
「我に秘策あり、だぜい?」
「策?」
眉根を寄せたトウコの顔を見て、シイナは「あ、信じてないにゃ?」とおどけた。
「大丈夫だって」
だから協力して、とシイナは自信ありげに笑う。
「トウコちんはもう一発さっきのを撃って、あのクジラ型をヒトデの群れに戻してくんない?」
「ヒトデ型に?」
シイナの手の中でもがく「ディスト」、そして今は一つに戻った群れ。なるほど、バラバラにすれば何かやれることがあるようだ、とトウコは見当をつける。
「了解。ただ、少し充填に時間がかかる……」
あの名状しがたい鳴き声が響き、トウコとシイナは同時に「ディスト」を仰ぎ見た。クジラ型は大きく口を開けて吠えている。一〇枚の胸ビレと尾ビレをピンと伸ばし、何かを集めているかのように見えた。
「もしかして、またあの潮吹きが来るんじゃ……!」
チャージ急いで、とシイナに言われるまでもなくトウコは充填を開始していた。だが、さっきよりも遅い。やはり、連発していい技ではないのだ。
クジラ型は口を閉じ、頭頂部をこちらに向けた。まずい。まだ半分ぐらいだ。トウコちん早く! シイナが叫ぶと同時にあの黒い塊がこちらに飛んでくる。
避けるのは簡単だ。だが、また「オブジェクト」を傷つけることになってしまう。「インガの裏側」の損傷は、人間界の「インガ」に大きな影響を与える。それはパサラたちでも修正できない決定的なほころびになる。
その時、光る何かがトウコらの鼻先をかすめた。蜜色をした小さな卵形の宝石、あれは――琥珀?
琥珀はトウコたちの目の前でぐるりと大きな輪を描いて飛んだ。それは、クジラ型から放たれた黒い塊を遮る壁として実体化し、オブジェクトと二人を守って消えた。
「今のって……!」
つぶやくシイナ尻目に、トウコは手近の建物へ走る。壁を駆けあがるようにして屋上へ上り、更にそこからせり出した看板を蹴って宙に飛ぶ。充填も照準も、既に完了していた。灰色の空に舞い、クジラ型へ銃口を突きつける。
「『トータル・エクリプス』」
再び放たれた強烈な光は、またしてもクジラ型をとらえることはできない。ヒトデ型に分散し、かわされてしまう。だが、先ほどと違うのは、これが予定通りだということだ。
「山吹ッ」
トウコは体をひねり倒れ込みながら着地し、すぐにシイナに声をかけた。
「ほれっ!」
やや気の抜ける掛け声でシイナはさきほど弄っていた「ディスト」を投げ上げる。よたよたと飛びながら、ヒトデ型の群れへ帰って行った。
「あんなことでいいの?」
「いーから、いーから」
シイナは気楽な調子で手をひらひらとさせる。
一方、ヒトデ型は群れからクジラ型に姿を変え始めていた。一体何を仕掛けた、とトウコはその巨体を見上げる。
「あれは……?」
よく見ると、クジラ型の側面から何か灰褐色の茎のようなものが生えているのが分かる。それも一か所だけではない。背面や頭部、尾ビレと見る間にその数が増えていく。
茎はするすると天に向かって伸びる。クジラ型がまたあの「ディスト」特有の声を上げた。今度は悲鳴のように聞こえる。茎が伸びていくほどに、クジラ型の体がしぼんでいっているようだった。
やがて茎の上につぼみができ、膨らみ始める。クジラ型の体はいよいよ目に見えて小さくなる。そして、つぼみが黄色い花を開かせた時、苗床のようになっていた体はしぼんで消え、霧散していった。
「これも、あなたの『種』?」
「イエース。『ディスト』の中の『インガクズ』を吸い取って、花を咲かせるっていうエグめのやつ」
捕獲したヒトデ型に、シイナはこの「種」を埋め込んでいた。そしてクジラ型に戻るタイミングで群れに帰してやり、体内へ送り届けたというわけである。
「ま、こうやって体の中に入れないと意味ないから、あんまり使わないんだけどね」
花は地上にふわりと落ちた。大きさの割にあまり重さはないようだった。見ている間に、花弁の先からきらきらした粉になって灰色の大地に溶けていくように消えた。
「一体、何種類くらいあるの?」
何て万能な、とあきれ混じりにトウコは尋ねる。
「もう一個秘蔵のがあって、それ合わせて四種類だね」
「さっきのバリアは?」
「ああ、あれはさ……」
「わたしよ」
背後からかかった声に振り返ると、背中に大きな輪を担いだ「ディストキーパー」と思しき人物が立っていた。柔和そうな笑みを浮かべている。
「危ないところだったわね」
ウェーブのかかった長い髪の下で、彼女はにっこりと上品そうな笑みを浮かべた。背中の輪には、いくつもの琥珀が光っている。
「この人がオリエさんだよ」
一番ベテランで、「アンバー」の。シイナの補足を聞かずとも、トウコはその情報はよく覚えていた。
「よろしくね」
立花オリエは右手を差し出しながら続ける。
「『今は』成田トウコさん」
トウコは無表情に右手とオリエの顔を見比べた。どういう意味だ? 将来的には分からないが今は仲良くしましょうということなのか、それとも――。トウコはオリエの瞳をのぞきこむ。お前のことは知っているぞ、と見透かしたような色が見えた気がした。
「『今は』って何さ、オリエさん?」
「あなたがジーナだったように、この子にも過去があるということよ」
やはり後者の方か。嫌味ったらしい。優雅な立ち振る舞いも、人好きのする笑顔も、全部がそう感じられる。トウコはオリエの右手を払いのけた。
「馴れ合いはしない」
「あら、嫌われたかしら?」
「クールぶっちゃってー」
肩をすくめて、オリエとシイナは顔を見合わせて笑いあう。
「もう帰るの?」
「戦いは終わった」
それだけ言い残して、トウコはオリエとシイナに背を向ける。
「助けてもらっておいて、お礼の一言もないのね」
「馬鹿な、その態度でチャラよ」
言い捨てて、トウコは人間界に戻るべく歩き出した。
過去、か。
そんなものは、それこそ「インガクズ」になって消えてしまったはずだ。それを何故ほじくり返す? そうやって優位に立ったつもりか。
トウコの手は無意識に後ろ髪を触っていた。さらさらした感触が心地良い。
そうだ、「今は」こうしてここにある。そのために成田トウコとなったのだから。
なかったことにした時間なんて、もう考える必要もないのだ。