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『すべて砂に消えた。御薗市は、鱶ヶ渕はこれ以降存在しない。そういうことになる――』
「奥の手……?」
シイナの買ってきた弁当をかきこみながら、アキナは問い返した。
「そ、誰にも言ってなかったんだけどにー」
腹にものが入って、アキナにはようやく生きている実感が沸いてきた。となると、気になってくるのがシイナがここにこうしている理由であった。
そもそも三ヶ月も前に死んだはずの彼女が何故? そう問うとシイナが持ち出してきたのが「奥の手」という言葉だった。
「あたしの気質が三種類の種を作り出すことだってのは、知ってるよね?」
うなずいて、アキナはペットボトルのお茶を飲んだ。
「実はさ、あんまし人にゃ言ってなかったんだけど、四種類目があったんだよね」
それを「リスポーンの種」とシイナは呼んでいた。
自らの「インガ」をすべて詰め込むことのできる緊急脱出用の種だそうだ。
「アッキーが『ディスト』になった時、こりゃヤバいと思ってさ、こそっと準備しといたんだよ」
「ルビー・アエーシェマ」に首を絞められた時、シイナの撃った種は明後日の方向に飛んだように見えたが、それは狙い通りだった。
「あたしも一旦逃げて体勢建て直してから、すぐ合流しようと思ったんだけど、使い慣れてないワケじゃん? 奥の手だけに」
種は人間界で言うところの鱶ヶ渕の隣の市辺りまで飛び、そこに根付いた。
「それが生長して実ができたら、その中からあたしが出てくる算段なワケなんだけど……」
発芽から結実まで、丸々一週間がかかった。
「あたしが出てきた時には、もう他の三人は死んでて、戦いも収まってたんだよね」
人間界に戻り、どうしたもんか、と思っているとパサラが現れた。
「パサパサもあたしが生きてるとは思ってなかったみたいなんだけどさ、『既に土属性の他の候補を見つけてはいるが、交渉は難航している。君が戻ってきてくれれば、それが一番なんだ』みたいなこと言うわけよ」
だが、シイナは鱶ヶ渕から離れることを選んだ。
「何かもう疲れちゃってさ。ネトゲでもそうだけど、人間関係のこじれで楽しくなくなっちゃう時があるんだよにー」
ゲームに例えるのは何とも軽薄で無責任に聞こえるが、言わんとすることはアキナにもよく分かる。
そうして鱶ヶ渕を離れたシイナは、全国を旅して回る「ディストキーパー」の一団と出会った。
「そんなのがいるのか?」
「うん、あたしも『ディストキーパー』は地域に縛られるもんだと思ってたけぇ、ちょっとびっくりしたよ」
定住し、地域単位で活動する一般的な「ディストキーパー」だけでなく、全国や世界中を回る一団も存在した。彼女らは「ノマド」などと呼ばれ、大きな「インガ」的危機に召集を受けて救援にあたるなどの機能も受け持っていた。
「あたしが出会ったのは、その中でもロクでもない連中でね。でも楽しそうではあったからさ、ほいほいついて行っちまったのさ」
その一団のリーダーは、オリエ並みのベテランでカリスマ的存在であった。
「そんでまあ、楽しくやってたんだ」
そのカリスマ的なリーダーが「北にいる旧知の『ディストキーパー』に会う用事ができた」と言い出した。その途上で鱶ヶ渕を通りがかった。
「そしたらあの騒動じゃん?」
とことんあたしも運がないねえ、と肩をすくめる。シイナらがやってきた日こそ、あの「改変」が行われた当日だった。
「あたしはオリエさんの『計画』のことを知ってたからさ、ああ遂にやったんだって思ったんだよね」
オリエ側で参戦することも考えたが、そうする前にパサラではない「エクサラントの使い」に見つかってしまった。
「サアラ」と名乗るその毛玉は、他地域からの援軍を率いてきていた。鱶ヶ渕に巨大な「ディスト」が誕生した、と緊迫した様子だったという。
そして、シイナ達に援軍として連れてきた「ディストキーパー」たちの露払いを依頼してきた。
「君達も『ディストキーパー』なら戦ってくれー、なんつうのよ」
「ノマド」のリーダーは「興味ない」と言い、シイナを除く他の面々もリーダーに同調した。シイナは「一応地元だし、行ってくる」とそこで一度「ノマド」を抜けたのだそうだ。
「ま、一時別行動って奴でね。事が終わったら戻ってこい、ってリーダーにも言われたんだけどさ」
援軍の一団と共に「インガの裏側」へ入り、発生している「ディスト」をシイナが引き付けている隙に、援軍は巨大「ディスト」の発生地点まで移動する、という算段だった。
「あの剣持ってるヤツ、闘士型だっけ? アレもいたから、かーなーり大変だったぜい」
ま、実際大変だったのはその後だったんだけどね。お茶を一口飲んで、シイナは少し表情を引き締める。
「三十分くらいかな? ようやく『ディスト』の数も落ち着いてきたくらいに、援軍の子らが帰ってきたんだ」
巨大「ディスト」の下へ向かったのは十二人、いずれも鱶ヶ渕のある御薗市とその周辺を担当する「ディストキーパー」である。「最終深点」に達しているものはいないが、キャリアの長いものも多く、充分に整った戦力だった。
「戻ってきたのは三人だった。みんな砂まみれで青い顔をしてた」
正確には、こちらへ自分の足で歩いてきたのは二人だった。もう一人は二人に肩を貸してもらって、ようやく立っているといった塩梅だった。どうしたのか、とシイナが尋ねようとした時、その肩を借りていた一人の姿が視界から消えた。
「急にね、こう視界からいなくなったもんだからさ、倒れたと思ったんだよ、最初は」
だが、倒れたというのは正確な表現ではないとすぐに気付いた。
「崩れたのさ、体が砂になってね」
残る二人の内、一人もふくらはぎが砂になってこぼれ落ちていた。パニックを起こし、落ちる砂をかき集める彼女を、シイナは何とかなだめようとした。
もう一人は、呆然と立ち尽くしている。その顔にシイナは見覚えがあった。
「そう、それがあんただったんだよ、アッキー」
既に空になった弁当の容器に、アキナは目を落とした。
「まったく、覚えてない、あの時のことは……」
「まあ、ショック受けてたなんてもんじゃなかったしねえ」
その後、二人を連れてシイナは「インガの裏側」を脱出、人間界に戻りサアラと合流した。
「そしたら、そこにもう一個毛玉が、パサパサがいてさ」
ちょうどいいからアキナの方についていてくれ、と頼まれた。人間界に戻ってすぐ、アキナも援軍のもう一人も気を失っていたのだ。
『川向市にセーフハウスを用意した、そこで意識が戻るまで面倒を見てやってくれ』
パサラの挙げた街は、鱶ヶ渕のある御薗市の南に位置する。何で鱶ヶ渕のアキナの家ではなくて、そんな場所に? シイナの問いに、パサラは一見平静な、しかしどこかが痛むような口調でこう答えたという。
『すべて砂に消えた。御薗市は、鱶ヶ渕はこれ以降存在しない。そういうことになる――』