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深淵少女シマモモコ  作者: 雨宮ヤスミ
[一]闇と光の彼岸
33/46

1-4

(髪が長いのがいけないのよ。目立ってしまったから、目を付けられてしまう――)

 

 

 「インガの裏側」の灰色の町並みの中で、トウコは一人立ち尽くしていた。


 足元には「ルビー・アエーシェマ」が横たわっている。だが、ぴくりとも動かない。体はほのかに温かく、生きてはいるようだが、元の姿に戻ることはない。輪郭線のぶれた「ディスト」のままだ。


 戦いが終わってから、長い時間が過ぎたように感じられる。トウコは揺さぶりも呼びかけもせずに、ただじっとアキナとして目覚めるのを待っていた。


 背後から聞こえた足音に振り向くと、オリエが立っていた。オリエはエリイの遺体を琥珀の中に収め、じっとりとした目でトウコを見やる。


「サヤちゃんは?」


 トウコは手にしていた白い杖を差し出した。


「全身を影に変えて、死んだ」


 バカな子。そう呟いて、オリエは受け取った杖を琥珀の中に収めた。


「四人も死んでしまうなんて」

「初めての経験?」

「残念ながらこれよりも悪い時はあったわ」


 ただ、とオリエは足元を見下ろす。


「この事態を引き起こした者が、のうのうと生きているのは、今までにないほどの最悪ね」


 オリエはゆらりと体を揺らしながら、背中の輪から琥珀を手に取る。それを見てトウコは立ち上がった。


「まさか、とどめを刺すつもり?」


 二人の間に張りつめた空気が流れる。


「……サヤちゃん、最期に何か言っていた?」


 どこかけだるげな様子でオリエは尋ねる。


「漆間を救ってやれ、と……」


 オリエは目を伏せ、深々とため息をついた。


「どれだけ……」


 かぶりを振った。涙声のようにも聞こえる。


「どれだけ、お人好しなのよ……」


 オリエは膝をついて「ルビー・アエーシェマ」の体に触れた。胴から肩、腕へと指を這わせていく。左の手の甲で指を止めると、琥珀と自分の「ホーキー」を取り出した。


「成田さん、これから漆間さんを元に戻すわ。協力なさい」

「分かった。どうすればいい?」

「今から漆間さんの心を開くわ。そこは彼女という人間の言わば『インガの裏側』……」


 あなたが入りなさい。オリエはトウコの顔を見上げる。


「入る、とは具体的にどうすればいいの?」

「文字通りの意味よ」


 「ルビー・アエーシェマ」の左手の甲に琥珀をあてがうと、それはどろりと溶けるように「コーザリティ・サークル」に姿を変える。その中心に、オリエは「ホーキー」を差し入れてひねる。大きな鍵穴は、開くとそのまま入り口に変わる。人一人なら通り抜けられるほどの穴となった。のぞきこむと真っ黒で、底は見えない。


 オリエはトウコに琥珀を一つ手渡した。卵形で中には何も入っていない。


「暴走の原因を探し出し、これに捕らえて来なさい」


 トウコはうなずいて琥珀を握りしめた。


「ただ、開いていられる時間には限度があるわ。わたしも疲れているから、あまりもたない。早めに戻ってきて」

「分かった――」


 立花、とトウコはオリエに向き直った。


「なあに?」

「感謝する」


 言い置いて、トウコは穴の中へ足を踏み入れていった。




 どこまでも、ただ落ちていくようだった。前後左右上下、すべてが底の知れない暗闇だった。


 穴から降りたという感覚があるために、落ちているように思うだけなのかもしれない。上がっている、と強く念じると、自由落下は上昇するリフトになった。


 そういうことか。トウコは踵を踏みしめる。しっかりとした感覚が伝わってくる。空中でなく、地に足をつけることができた。


 後は行く先か。トウコはふと思い付いて、自分の「ホーキー」を取り出した。


 鍵山の部分をつまみ、後ろについた羽箒で汚れを払うようにぐるりと振り回すと、一気に暗闇は晴れる。


「これは……?」


 現れたのは、異様な世界だった。暗闇の方がマシに思える、一面紫色に染め上げられた景色だった。


 なるほど、「インガの裏側」と言っていたな。トウコは一人うなずいた。本来の「インガの裏側」が色の失せた灰色になっているように、この心象風景は紫に染まっているのか。


 色合いのせいで、少し気づくのに時間がかかったが、ここはどうやら鱶ヶ渕にある運動公園らしい。漆間アキナがあの男に襲われたという場所だ。舗装された道の中に、島のように点在する芝生。この公園はトウコも何度か訪れたことはあるが、ここまで広々としていただろうか。


 今、漆間の心の中には、トウコは思う、この公園しかないのだろう。ケチと負けのつき始め、理不尽な「インガ」の始まりの場所。それが心を占有してしまっているから、暴走したのか。


「これらをすべて、この琥珀の中に収めろということ……?」


《いいえ、違うわ》


 トウコの腰のあたりから、オリエの声がした。手で探ってみると、いつの間にか琥珀がくっつけられていた。こちらは中身が入っている。声がするたびに中の丸いものが青白く明滅した。


《根こそぎ持っていくと廃人になってしまう。どこか原因となる部分があるはずよ》


 そうは言われても。トウコは改めて辺りを見回す。色以外に変わったところは――。


 その時、トウコの首筋に何かが押し当てられた。


 振り向くと、真っ黒い影が立っている。下卑た笑い顔だけがついた不気味な影法師。いつの間に、こんな息がかかるほど近くに? 払いのけようとした時、強烈な電撃がトウコの体を駆け抜けた。


 悲鳴を上げて倒れたトウコの周りは、黒い草むらに変わっていた。仰向けに倒れたトウコに、スタンガンを片手に持った下卑た笑顔の影法師がにじり寄ってくる。反撃を……しかし、腕が上がらない。自分の格好も「ディストキーパー」のものではない。いつの間にか、鱶ヶ渕中学の制服姿になっている。


 そうか、これは漆間の記憶。となれば、この後されることは容易に想像がつく。


 影法師がのしかかってくる。嫌らしい笑みのまま、右手にはハサミを持って。


 ハサミ? さっきまでスタンガンを持っていたはず。疑念を感じたトウコの頭をつかんで乱暴に引き起こすと、その後ろ髪をじゃきりじゃきりと切り落とした。


「いやっ!!」


 トウコが逃れようとすると、空いた手が頬を張る。影法師の姿は、いつの間にか変わっていた。身長二メートルを越す大男の恐怖のイメージから、より具体的な過去の虚像に。


 これは一体、何の冗談?


 影法師は五つに増えていた。いや、最早影ではない。トウコの知っている顔、かつての彼女の髪を切り落とした、クラスメイトたちだった。


 茂みもいつしか、あの日の小学校の教室となっていた。汚い床に転がされたトウコの耳に、投げ落とされる言葉が突き刺さる。


(生意気なのよね、あんた)


(根暗のくせに、成績だけがいいぶりっ子)


(こんな髪してたってしょうがないくせに)


(あーもう、こいつ全部が気に食わない)


(全部切っちゃったら? ちょっとはかわいげが出るかもよ)


 ハサミはじゃきりじゃきりと彼女の髪を散らしていく。甲高い笑い声と共に、乱雑に、ばらばらに、きれいな髪だと褒められたわたしが、殺されていく。


 突き飛ばされるように解放されたトウコの目に、見覚えのある靴が飛び込んでくる。


 消したはずの両親だ。のっぺらぼうの顔でこちらを見下ろしている。


(髪が長いのがいけないのよ。目立ってしまったから、目を付けられてしまう――)


(前々から俺は言っていたじゃないか。自分の身を守らなきゃいけないって)


 あの日と同じ重みをもって、その言葉は響く。


(髪が長くても短くても同じだろう? 短い方が便利だ。お前もそう思うようになる)


(そうね、切ってしまいましょう。学校を移る前に。キレイに揃えてね。こんな思いを二度もする必要はないわ――)


 あなたのためなんだから。


 トウコは叫び声を上げた。泣きじゃくり、うずくまるその姿は、「最初の改変」の前に戻っていた。

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