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深淵少女シマモモコ  作者: 雨宮ヤスミ
[二]死に行くもの達の終わり
32/46

2-1

「友達だから、ですね」

 

 

 浅木キミヨの治療は、思った以上に時間がかかった。「ディストキーパー」でないがため、再生力が低く傷を塞ぐのに苦労した。


 パサラがどこからか調達してきた血液パックで輸血まで行い、どうにかキミヨは一命を取り留めた。気を失ったままの彼女を保健室に寝かせ「インガの裏側」へ入ったが――そこで衝撃的なものを見つける。


 校舎裏に転がった、首のないのと、焼け焦げたものの二つの死体。変わり果てた二人の仲間を見て、トウコはアキナの暴走が深刻化しているのを知った。


 そこからは「インガの改変」の気配を追って、ここまでやってきたのだが……。


「これはどういう趣向かしら」


 トウコは、傍らのエリイの死体を見下ろす。転がった弓と、伸びた右手。彼女も最後まで戦おうとしたのか。クズなどと言われていた男なんかのために。憧れに手を伸ばして、太陽に近づきすぎて焦がされ、溶かされ。


 いや、わたしだって似たようなものか。日陰の住人のはずが、光を背負って戦うことになった。そして今は、憧れた彼女のために、彼女自身に銃口を向ける。


「トウコさん、前にいるのは、姿は変わっちゃってますけど、アキナさんで……」


「あなたも随分とおかしな格好をしている」


 前衛型のような短いスカート、そして開くことのない目。責任に感じて無茶でもしたのだろう、と容易に想像がついた。


「みんな、死んでしまって、でも暴走だからきっと元に……」

「分かっているわ」


 トウコはサヤの頭をぽんと撫でた。


「ここからは、わたしが何とかする」


 休んでいなさい。言い置いて、トウコは「エクリプス」の引き金を引いた。


 「ルビー・アエーシェマ」は光の弾丸をものともせず、紫の炎を噴き上げて躍りかかってくる。


 燃え盛る右腕の一撃を最小の動きでかわし、近距離から銃弾を叩き込む。


 ダメージはない。あの紫の炎の性質は、三ヶ月前と同じ攻防一体か。

 ならば、とトウコは「ルビー・アエーシェマ」を蹴りつけて飛び退き、右の拳銃を指で回して弾を装填する。そして右目を金色に輝かせ、引き金を素早く三回引いた。


 銃弾は光の尾を引いてくるくると飛び回り、「ルビー・アエーシェマ」にまとわりつく。いつか闘士型に使った気をそらす弾だ。ハエのように飛び回るそれを「ルビー・アエーシェマ」は体から炎を噴き上げてかき消す。


 大きく燃え上がり、一瞬炎の消えた隙をつき、トウコは右の拳銃を発砲した。


「『パーシャル・エクリプス』」


 「部分蝕」の名の示す通り、束ねた弾の数は少なく控えめな威力であったが、虚をつかれた「ルビー・アエーシェマ」はたたらを踏んだ。


 思ったよりダメージは少ないが、本命はこちらだ。充填しておいた左の拳銃を向ける。


「『ルナ・エクリプス』」


 九発分の弾丸を束ね、増幅した光が「ルビー・アエーシェマ」を飲み込む。


 やったか? 巻き起こった土煙を見やり、トウコは油断なく拳銃を構え直す。


 「ディスト」の、あの叫び声がした。ダメージを受けた悲鳴というよりは、雄叫びのようだった。


 トウコは両手の拳銃を前に突き出す。再充填からの「トータル・エクリプス」で一気に――!


 立ち込める土煙を貫いて、「ルビー・アエーシェマ」は姿を現した。予想よりも接近が早い。急に目の前に現れたその姿に、反応が一瞬遅れる。


 「ルビー・アエーシェマ」はトウコの手から「エクリプス」を蹴り飛ばす。更に着地した足を軸に、流れるような回し蹴りを首筋に見舞う。


「ッッ……!」


 よろめいたトウコの腹部に、「ルビー・アエーシェマ」は膝蹴りを放った。


「……ぐっ」


 うずくまるように腹を押さえるトウコの無防備な首筋に、「ルビー・アエーシェマ」は両腕を組み合わせ、ハンマーのように降り下ろした。


 潰されるようにうつ伏せに倒れたトウコの頭に、「ルビー・アエーシェマ」はゆっくりと足を乗せる。めりめりと、徐々に体重をかけてくる。


「ぐぁ……!」


 いたぶるのを楽しむようにゆっくりと。性質の悪い……! トウコは手足を踏ん張って踏み潰されないように耐える。自慢できることではないが、生憎と昔のわたしのころに、こういう体勢はとらされ慣れている。


 だが、絶望的な押し合いであることに変わりはない。向こうの方が力がかけやすい上に体重も重い。


 不意に、上からの圧力が弱まる。大きな「ディスト」の声、今度は雄叫びではない。間違いなく悲鳴だ。


 転がって足の下から体を逃がし見上げると、真っ黒い影の塊が「ルビー・アエーシェマ」を取り巻いている。全身の紋様を黒く染め、紫の炎の噴出を抑え込んでいた。


「トウコさん……」


 サヤであった。意外にしっかりした足取りだ。もう回復したのか? いや、その目はまだ固く閉じられている。手にした白い杖で辺りを探るようにしながら、ここまで歩いてきたようだ。


 拘束は強烈なようだ。「ルビー・アエーシェマ」は、ぎこちなく四肢を振るい逃れようとしているが、徐々にその動きすらも鈍くなっている。


「一人で戦わせて、すいませんでした……」

「別にいいわ。ここからが本番ね」


 いえ。サヤはかぶりを振った。これで終わりです。確信に満ちた口調だった。


「わたしの命をもって、終わらせます」


 命……? トウコが眉をひそめた時、サヤは数歩前へ進み出た。


「いつだったか、言いましたよね。回復って自分の『インガ』を削って分け与えるのと同じだって……」


 トウコが回復の光を覚えたときのことだ。


「わたしの闇は回復なんてできません。いつものあの影は、病や呪いのようなものです……。それでも、誰かに与えるのは変わらない」


 この「インガの裏側」で、影を持つのは闇の「ディストキーパー」だけであった。サヤは普段、自分の影を相手に伸ばして攻撃している。だが、今はサヤ自身から闇が染みだしている。いや、サヤの体自体が溶けだしていた。自分の「インガ」をすべて、相手を押さえ込む影に変えているのだ。


「三住、あなた……!」

「止めないでください!」


 強い口調だった。駆け寄るどころか、立ち上がるのもためらわせるほどに。


「本当なら、もっと早くこうしておくべきだったんです。そうしたら、死ぬのはわたしだけで済んだのに……」

「何を言っているの……?」

「見えないふりをしていたんです。見えるようにとお願いして、『ディストキーパー』になったのに……」


 サヤは 手にしていた白い杖を落とした。いや、持てなくなったのだ。右手がどろりとした闇色の液体になってこぼれていく。


「こんなことをしなくても、一緒に戦えば……」

「二人がかりでも勝てないことぐらい、トウコさんなら分かっているでしょう?」


 確かに、トウコもそれは感じていた。元のアキナ以上の体術と、攻防一体の強力な炎。最初の暴走の時と状況は似ているが、相手の強さが段違いだ。一人増えたところで戦況を覆せるとは思えない。


「だからって、あなたを犠牲になんて……」

「二人で死ぬより、どちらかが生き残った方が、うれしいじゃないですか」


 サヤは膝をついた。足も溶け始めていた。


 大きな音を立てて、「ルビー・アエーシェマ」も仰向けに倒れる。立つという感覚を忘れ去ったかのように、じたばたと腕を動かす。


 脚部の紫の炎を吹き出す紋様は黒く変色し、それは脛から腿を経て腰にまで達しつつあった。黒の侵食が進むほどに、サヤの体は闇にほどけていく。


「わたしはこう見えて、あなたより長く生きてるんです。長らく『ディストキーパー』でしたから。だからいい機会で……その……」


 言いかけて、サヤは首を横に振った。


「いえ、違いますね。そんな理屈じゃなくて、そう……」


 友達だから、ですね。


「トウコさんも、そう思ってくれたら、いいなって……」


 見上げるその目は閉じられているが、真摯な思いの伝わってくる言葉だった。


 だからこそ、胸がいっぱいになって何も言えなかった。代わりに、右腕と両足をなくした彼女の、最後に残った手をトウコは握った。サヤも、それを握り返す。


「ありがとう、トウコさん……」


 充分に、伝わったようだった。安心したように、サヤは笑う。笑ったその顔も、闇に溶けていく。


(どうか……)


 幻のように、サヤの言葉が響く。


(アキナさんを救ってください……)


 それを最期の言葉に、トウコの手の中からサヤだった闇がこぼれて消えた。


 「ルビー・アエーシェマ」は、完全にその動きを停止していた。紋様を染めたのと同じ黒が、頭部の七つの目をも覆っていた。


 トウコは、傍らに落ちていた白い杖を拾い上げた。柄を握りしめていると、頬を水滴が伝った。


 こうなってからは、泣くことなんてありえないと思っていたけれど。トウコは、一滴だけ堪えられなかった真珠のようなそれを、拭わずにおいた。

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