2-1
「友達だから、ですね」
浅木キミヨの治療は、思った以上に時間がかかった。「ディストキーパー」でないがため、再生力が低く傷を塞ぐのに苦労した。
パサラがどこからか調達してきた血液パックで輸血まで行い、どうにかキミヨは一命を取り留めた。気を失ったままの彼女を保健室に寝かせ「インガの裏側」へ入ったが――そこで衝撃的なものを見つける。
校舎裏に転がった、首のないのと、焼け焦げたものの二つの死体。変わり果てた二人の仲間を見て、トウコはアキナの暴走が深刻化しているのを知った。
そこからは「インガの改変」の気配を追って、ここまでやってきたのだが……。
「これはどういう趣向かしら」
トウコは、傍らのエリイの死体を見下ろす。転がった弓と、伸びた右手。彼女も最後まで戦おうとしたのか。クズなどと言われていた男なんかのために。憧れに手を伸ばして、太陽に近づきすぎて焦がされ、溶かされ。
いや、わたしだって似たようなものか。日陰の住人のはずが、光を背負って戦うことになった。そして今は、憧れた彼女のために、彼女自身に銃口を向ける。
「トウコさん、前にいるのは、姿は変わっちゃってますけど、アキナさんで……」
「あなたも随分とおかしな格好をしている」
前衛型のような短いスカート、そして開くことのない目。責任に感じて無茶でもしたのだろう、と容易に想像がついた。
「みんな、死んでしまって、でも暴走だからきっと元に……」
「分かっているわ」
トウコはサヤの頭をぽんと撫でた。
「ここからは、わたしが何とかする」
休んでいなさい。言い置いて、トウコは「エクリプス」の引き金を引いた。
「ルビー・アエーシェマ」は光の弾丸をものともせず、紫の炎を噴き上げて躍りかかってくる。
燃え盛る右腕の一撃を最小の動きでかわし、近距離から銃弾を叩き込む。
ダメージはない。あの紫の炎の性質は、三ヶ月前と同じ攻防一体か。
ならば、とトウコは「ルビー・アエーシェマ」を蹴りつけて飛び退き、右の拳銃を指で回して弾を装填する。そして右目を金色に輝かせ、引き金を素早く三回引いた。
銃弾は光の尾を引いてくるくると飛び回り、「ルビー・アエーシェマ」にまとわりつく。いつか闘士型に使った気をそらす弾だ。ハエのように飛び回るそれを「ルビー・アエーシェマ」は体から炎を噴き上げてかき消す。
大きく燃え上がり、一瞬炎の消えた隙をつき、トウコは右の拳銃を発砲した。
「『パーシャル・エクリプス』」
「部分蝕」の名の示す通り、束ねた弾の数は少なく控えめな威力であったが、虚をつかれた「ルビー・アエーシェマ」はたたらを踏んだ。
思ったよりダメージは少ないが、本命はこちらだ。充填しておいた左の拳銃を向ける。
「『ルナ・エクリプス』」
九発分の弾丸を束ね、増幅した光が「ルビー・アエーシェマ」を飲み込む。
やったか? 巻き起こった土煙を見やり、トウコは油断なく拳銃を構え直す。
「ディスト」の、あの叫び声がした。ダメージを受けた悲鳴というよりは、雄叫びのようだった。
トウコは両手の拳銃を前に突き出す。再充填からの「トータル・エクリプス」で一気に――!
立ち込める土煙を貫いて、「ルビー・アエーシェマ」は姿を現した。予想よりも接近が早い。急に目の前に現れたその姿に、反応が一瞬遅れる。
「ルビー・アエーシェマ」はトウコの手から「エクリプス」を蹴り飛ばす。更に着地した足を軸に、流れるような回し蹴りを首筋に見舞う。
「ッッ……!」
よろめいたトウコの腹部に、「ルビー・アエーシェマ」は膝蹴りを放った。
「……ぐっ」
うずくまるように腹を押さえるトウコの無防備な首筋に、「ルビー・アエーシェマ」は両腕を組み合わせ、ハンマーのように降り下ろした。
潰されるようにうつ伏せに倒れたトウコの頭に、「ルビー・アエーシェマ」はゆっくりと足を乗せる。めりめりと、徐々に体重をかけてくる。
「ぐぁ……!」
いたぶるのを楽しむようにゆっくりと。性質の悪い……! トウコは手足を踏ん張って踏み潰されないように耐える。自慢できることではないが、生憎と昔のわたしのころに、こういう体勢はとらされ慣れている。
だが、絶望的な押し合いであることに変わりはない。向こうの方が力がかけやすい上に体重も重い。
不意に、上からの圧力が弱まる。大きな「ディスト」の声、今度は雄叫びではない。間違いなく悲鳴だ。
転がって足の下から体を逃がし見上げると、真っ黒い影の塊が「ルビー・アエーシェマ」を取り巻いている。全身の紋様を黒く染め、紫の炎の噴出を抑え込んでいた。
「トウコさん……」
サヤであった。意外にしっかりした足取りだ。もう回復したのか? いや、その目はまだ固く閉じられている。手にした白い杖で辺りを探るようにしながら、ここまで歩いてきたようだ。
拘束は強烈なようだ。「ルビー・アエーシェマ」は、ぎこちなく四肢を振るい逃れようとしているが、徐々にその動きすらも鈍くなっている。
「一人で戦わせて、すいませんでした……」
「別にいいわ。ここからが本番ね」
いえ。サヤはかぶりを振った。これで終わりです。確信に満ちた口調だった。
「わたしの命をもって、終わらせます」
命……? トウコが眉をひそめた時、サヤは数歩前へ進み出た。
「いつだったか、言いましたよね。回復って自分の『インガ』を削って分け与えるのと同じだって……」
トウコが回復の光を覚えたときのことだ。
「わたしの闇は回復なんてできません。いつものあの影は、病や呪いのようなものです……。それでも、誰かに与えるのは変わらない」
この「インガの裏側」で、影を持つのは闇の「ディストキーパー」だけであった。サヤは普段、自分の影を相手に伸ばして攻撃している。だが、今はサヤ自身から闇が染みだしている。いや、サヤの体自体が溶けだしていた。自分の「インガ」をすべて、相手を押さえ込む影に変えているのだ。
「三住、あなた……!」
「止めないでください!」
強い口調だった。駆け寄るどころか、立ち上がるのもためらわせるほどに。
「本当なら、もっと早くこうしておくべきだったんです。そうしたら、死ぬのはわたしだけで済んだのに……」
「何を言っているの……?」
「見えないふりをしていたんです。見えるようにとお願いして、『ディストキーパー』になったのに……」
サヤは 手にしていた白い杖を落とした。いや、持てなくなったのだ。右手がどろりとした闇色の液体になってこぼれていく。
「こんなことをしなくても、一緒に戦えば……」
「二人がかりでも勝てないことぐらい、トウコさんなら分かっているでしょう?」
確かに、トウコもそれは感じていた。元のアキナ以上の体術と、攻防一体の強力な炎。最初の暴走の時と状況は似ているが、相手の強さが段違いだ。一人増えたところで戦況を覆せるとは思えない。
「だからって、あなたを犠牲になんて……」
「二人で死ぬより、どちらかが生き残った方が、うれしいじゃないですか」
サヤは膝をついた。足も溶け始めていた。
大きな音を立てて、「ルビー・アエーシェマ」も仰向けに倒れる。立つという感覚を忘れ去ったかのように、じたばたと腕を動かす。
脚部の紫の炎を吹き出す紋様は黒く変色し、それは脛から腿を経て腰にまで達しつつあった。黒の侵食が進むほどに、サヤの体は闇にほどけていく。
「わたしはこう見えて、あなたより長く生きてるんです。長らく『ディストキーパー』でしたから。だからいい機会で……その……」
言いかけて、サヤは首を横に振った。
「いえ、違いますね。そんな理屈じゃなくて、そう……」
友達だから、ですね。
「トウコさんも、そう思ってくれたら、いいなって……」
見上げるその目は閉じられているが、真摯な思いの伝わってくる言葉だった。
だからこそ、胸がいっぱいになって何も言えなかった。代わりに、右腕と両足をなくした彼女の、最後に残った手をトウコは握った。サヤも、それを握り返す。
「ありがとう、トウコさん……」
充分に、伝わったようだった。安心したように、サヤは笑う。笑ったその顔も、闇に溶けていく。
(どうか……)
幻のように、サヤの言葉が響く。
(アキナさんを救ってください……)
それを最期の言葉に、トウコの手の中からサヤだった闇がこぼれて消えた。
「ルビー・アエーシェマ」は、完全にその動きを停止していた。紋様を染めたのと同じ黒が、頭部の七つの目をも覆っていた。
トウコは、傍らに落ちていた白い杖を拾い上げた。柄を握りしめていると、頬を水滴が伝った。
こうなってからは、泣くことなんてありえないと思っていたけれど。トウコは、一滴だけ堪えられなかった真珠のようなそれを、拭わずにおいた。