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「とにかく戦わないと! 弱点も分かったし!」
学校から離れ、エリイは逃避行を続けていた。
「ルビー・アエーシェマ」はつかず離れずの位置を保ったまま追ってきている。こちらが少しでも速度を緩めたら、すぐさま追い付いて攻撃してくるだろう。
狩りのつもりか。エリイは弓を握り締める。余裕かましちゃって。だけどこっちは三人分の仇をとらなきゃならないんだ。ここへきて、エリイの戦意はむしろ高まっていた。
学校近くの大通りを走り抜け、住宅街に差し掛かる。この辺りならば、優位に戦えるかもしれない。
エリイは足に力をこめる。風が集まって、速度を助けてくれるようだった。大きく前方に跳躍し、着地と同時に振り返る。弓を引き絞り、眼前に迫った「ルビー・アエーシェマ」に巨大な風の矢を射掛けた。
至近距離で放たれた文字通り突き刺さる烈風に、「ルビー・アエーシェマ」は大きくのけ反った。
よし、とエリイはその隙に、助走をつけて手近の住宅の屋根へ上がる。風が味方していつもより大きく跳べた。風にはこんな使い方もあったのか、と今更ながらに知った。
今のあたしは、エリイは思う、今までのいつよりも強い。相手もそうかもしれないが、こっちの思いは「彼」とシイナとヒメとあたし、四人分だ。
屋根から屋根へ飛びうつり、周囲でも最も高い建物に上がる。
こちらを見上げる「ルビー・アエーシェマ」に風の矢を射ち込む。太い矢は途中で九本に枝分かれした。
「ルビー・アエーシェマ」は右腕から炎を吹き出し、それを大きく薙ぎ払うことで矢を打ち落とす。
だが、それは予想済みだ。エリイは間髪入れずに今度は雷の矢を射ていた。それはちょうど右腕を大きく振るったために無防備となった「ルビー・アエーシェマ」の胸に突き刺さる。
耳の奥を直接削り取るような叫びを「ルビー・アエーシェマ」は上げた。その響きは悲痛ですらある。思った以上に威力が高い? いや、有効なのだ。理由は分からないが、雷が弱点なんだ。
いけるかもしれない。エリイは次の矢をつがえた。雷の矢は、まだ風の矢ほど細かいコントロールはきかない。作り出すのにも時間がかかる。だがその分、威力は抜群だ。
「もう一発!」
速度は充分、「ルビー・アエーシェマ」は身をよじるが、避けきれない。今度は脇腹に刺さって爆ぜた。
動きも鈍っている、このまま畳み掛ければ……!
弓を構え直したエリイを見上げ、「ルビー・アエーシェマ」はよろめきながら手の平に火球を作り出し、こちらに向けて放った。
「!?」
火球はエリイのいる屋上の端を吹き飛ばす。飛び退いたのを追いかけるように、次の火球が撃ち込まれる。
ヤバい! 爆炎の中エリイはもがく。弓を引く暇がない。爆発の範囲が広く、身をかわすのでやっとだ。
前に立ってくれる人がいないと。エリイは歯噛みした。武器や気質との兼ね合いのためではあったが、今までどれだけヒメに頼ってきたか思い知らされた気分だった。
火球の狙いは、だんだんと正確になってきているようだった。ダメージから立ち直っているのか。かなり近いところで爆発が起こり、あおられてエリイは地面を転がった。
体勢を立て直そうとしたその時、爆風の向こうから「ルビー・アエーシェマ」が躍りかかってきた。
エリイの腹にその腕が振り抜かれる。大きく吹き飛んで、建物から落ちて道路に叩きつけられた。
「がほッ!?」
エリイはこれまで出したことのないような声を吐いた。全身がばらばらになるような痛みに、頭が朦朧としてくる。
屋上から「ルビー・アエーシェマ」がこちらを見下ろしている。嘲笑っているかのように見えた。
到底起き上がれない。だが、「ルビー・アエーシェマ」はこちらに降りてくる。五階建ての屋上からの、落下の勢いがついた膝が迫ってくる。
次の瞬間、エリイの視界は暗闇に閉ざされた。
暗いのは死んでしまったから? そう思っていると、急に後ろに引っ張られた。
「すいません、遅くなりました」
聞き慣れた声と共に闇が晴れる。
「サヤさん!」
いたのか。最初の突進で吹き飛んでしまったのかと思っていた。
「エリイさん、ごめんなさい。この『影の結界』でみなさんを守ろうとしたんですけど……」
何をいきなり謝っているんだ。エリイは立ち上がった。まだ痛むが、休んでなどいられない。
「ルビー・アエーシェマ」は二人揃ったことを警戒してか、じわりと距離を取る。
「わたしがしっかりしてれば、シイナさんもヒメさんも死ななくても……」
「今はいいの、そんなこと!」
すっぱりとエリイは切り捨てる。
「とにかく戦わないと! 弱点も分かったし!」
弱点? 聞き返されてエリイは「雷よ」と応じる。
「なるほど……。エリイさんの矢が決め手ですね」
だったら、とサヤは一歩前に出た。
「わたしが前に立ちます」
「え? でもあんた……」
サヤは補助一辺倒で、前衛どころか直接的な攻撃能力すらないはずだ。
「大丈夫です」
柔らかく笑って、サヤは応じる。
「ただ、絶対にわたしより前に出ないでくださいね」
巻き込んでしまいますから。サヤは目隠しに手をかけ、それを首までずり下ろした。
足元から影が立ち上ぼり、サヤの体を覆い隠す。黒い靄のようなそれが晴れると、サヤの姿が変わっていた。
長かったスカートが一気に膝上まで短くなるなど、ヒメやアキナのような前衛型の「ディストキーパー」のような出で立ちであった。目隠しの布は長く伸び、マフラーのように首に巻きついている。
「サヤさん、それ……」
「すみません、説明は後で……」
制限時間がありますので。マフラーをなびかせ、サヤは地を蹴った。
「ルビー・アエーシェマ」はサヤを迎撃しようと火球を撃った。だが、炸裂する前に火球は空中で爆発した。
「たあっ!」
爆風をかいくぐり、サヤは白い杖を振り上げて殴りかかった。
取り立てて鋭い一撃には見えない。闇雲に振り回しているだけのようにも見える。
半身をそらすだけで易々と避けられてしまいそうに見えたが、かわそうとした「ルビー・アエーシェマ」の動きは急に鈍り、強かに首筋を殴り付けられる。
「えーい!」
更にサヤは杖を振るう。ヒメや普段のアキナのような他の前衛型に比べると、あまりに素人っぽい動きだが「ルビー・アエーシェマ」は避けられないでいる。膝をつき、滅茶苦茶に打ち据えられる一方だ。
エリイは呆気にとられていたが、サヤの「制限時間がありますので」という言葉を思い出し、慌てて弓を構える。
「行けッ!」
どうにも動きにくいらしい「ルビー・アエーシェマ」の顔面に雷の矢は突き刺さった。
激しい放電に、「ルビー・アエーシェマ」はのたうち回り、大きな悲鳴を上げた。とどめ! エリイは雷の矢を立て続けに二発放つ。動けない「ルビー・アエーシェマ」の頭部にそれらは命中する。しばらく手足をばたつかせていたが、三発目の矢を受けてついに動かなくなった。
「勝った、の……?」
近づいて確認しようとしたエリイを、サヤは手で制した。
「待ってください」
まだです。緊張した調子でサヤが言ったとき、「ルビー・アエーシェマ」はむっくりと起き上がった。
「ウソ!?」
何で? あんなに苦しんでたのに……。「ルビー・アエーシェマ」の体表に浮かんだ紋様は、紫色に変わりその色の炎を吹き出して全身を覆っていく。不気味に揺らめくその姿は、正に邪悪な炎の化身であった。
「くっ!」
サヤはまた杖を振り上げる。今度はそれをかわし、サヤの肩越しに火球を放った。
「エリイさん!」
不気味な色に燃える火球の速度は、さっきよりも速い。そう認識したときにはエリイの体は爆風に包まれていた。
黒こげになり、仰向けに倒れるエリイの手から弓がこぼれ落ちた。
焼け焦げた腕を、弓に伸ばそうとする。指先が少し動いて、しかし触れることはかなわなかった。
勇んでやってきて、奥の手を出して。仕留めきれない上にエリイまで……。
やっぱりわたしはダメな子だ。しかも、その奥の手の制限時間は迫っている。
目隠しの下に隠された、彼女の気質「導なき闇」の真の能力「邪眼」。これがサヤの奥の手であった。普段影を伸ばして使っていた五感剥奪や運動神経の妨害を、視線を送るだけでおよぼすという、強力な能力だ。
ただ、その代償が「時間制限」であった。効果はおよそ三分、それを越えると……。
「いやぁっ!?」
ぷつん、と音を立ててサヤの両目が潰れた。
また、やってしまった。閉ざされた視界の中でサヤは後悔する。エリイがいる内に、いやもっと早い段階で勝負しておくべきだった。
人間でない「ディストキーパー」なので、眼球は半日もすれば再生するが、それでも見える目を失うことはサヤにとっては何よりの恐怖だった。
もし万が一再生しなければ。また何も見えない地獄の日々が待っている、そんな気がして。それが二の足を踏ませたのだが、躊躇らっている場合ではなかった。
視覚と邪眼を失ったサヤを、「ルビー・アエーシェマ」は殴り付けた。紙のように吹き飛び、サヤは地面を転がる。
ああ、これは。躊躇わない、進むことを止めない力だ。受けた打撃、その感触から強い怒りをサヤは感じ取っていた。立ち止まってしまうわたしが、とても勝てるはずがない。
雷は、電撃は弱点なんかではない。怒りの引き金を引く指だ。それはそうですよね、スタンガンでああしてやられてしまったんですもの。
でも、それは悲しい怒りです。やり場を求めて無差別に振り回す暴走。そんなことをあなたがしたら、悲しむ友達がきっといるでしょうに。
「ルビー・アエーシェマ」の足音が迫ってくる。少なくとも、わたしはとても悲しい。あなたを元に戻してあげられないことが。
死を覚悟したサヤの頭の上を何かがかすめた。「ルビー・アエーシェマ」の足音が止まる。代わって、後ろから別の足音が近づいてくる。
まさか、エリイさん? いや、違う。この警戒した抜き足は……。
「『アブソリュート・ヒット』……」
「トウコさん!」
見えない闇の向こうに、ほのかな光が見えた気がした。