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「これがわたしの『インガの改変』の結果だというのね……」
どうやら、状況は最悪らしい。サヤの通信を受け、オリエは唇を噛んだ。
シイナとヒメが死んだか。仲間の死には慣れっこだとは思っていたが、やはり心が痛むものだ。
それにしても「臨界突破」を引き起こすとは。アキナは「最終深点」が近かったとは言え、「ディスト」を産むのはまだまだ先だったはず。暴走が引き金になるなんて、サヤの倍以上のキャリアをもつオリエにとっても、初めての経験だった。
こんなことならば、自分の責任だからと一人で闘士型退治を引き受けるのではなかった。最初は一体だけであったが、戦いを続ける中でどんどんこの鱶ヶ渕へ合流し始めている。少々、甘く見過ぎたようだ。少なくとも、戦いに出ることをサヤやシイナには伝えておくべきだったか。エリイが仇討ちに動くだろうと思って、先回りしてておいたのが裏目に出てしまった。
だが闘士型と戦うと告げれば、シイナはともかくサヤは「わたしにも責任があります」などと参戦してきたことだろう。「計画」の仲間を、不用意に危険な戦いにさらすのはオリエの本意ではなかった。貴重な賛同者を失うリスクは避けたかった。
お人好しで優しく、自分の身よりも相手が一番で、自分よりも誰かのために泣いてしまうサヤ。だからこそ、愛しく思う。せっかく「最初の改変」によって、生来の盲目という「不幸」を解消したのだから、もっといい世界を見せてやりたいのだ。
早く助けに行かねばならないけれど。オリエは降り下ろされた剣の一撃を、琥珀を使った結界で受け止める。すかさず別の琥珀を弾丸のように飛ばすが、めり込むだけで貫通しない。ならば、とめり込んだ琥珀を爆発させる。巨人型程度ならまとめて吹き飛ばせるのだが、至近距離の爆破にもかかわらず、のけ反らせるのがやっとだった。
聞きしに勝る厄介さね。爆発の間に距離をとったオリエは、目の前の「ディスト」を見据える。
鎧兜に剣を携えた闘士型は、正眼に構えこちらの様子をうかがっている。
オリエは背中の「インガの輪」から琥珀を三つ取り外す。宙に浮いたそれらを闘士型目掛けて飛ばした。闘士型は剣を振るってそれを叩き落とそうとするが、琥珀はそれをするりと避けた。その周囲を円を描くように飛び回る。
「閉じなさい」
オリエは闘士型に手をかざし、言葉と同時にぎゅっと拳を作った。琥珀はその軌跡で締め上げるように闘士型に衝突し、爆発した。鎧がへこみ、大きくバランスを崩す。
その隙に、更にもう一つ琥珀を取り出した。オリエの胸の高さで静止したその琥珀は、強烈な光の矢となって飛び、闘士型を貫いた。
光に飲まれるように、闘士型は「インガクズ」となって消えた。
手こずったわね。オリエは一つ息をつく。早くサヤに合流しなければ。彼女を失うわけには……。踵を返したオリエの目前にそれはいた。
剣を構えた闘士型。もう一体いた!? 身構える間もなく、「インガ」を揺るがす刃がオリエを袈裟斬りに斬り裂いた。
「くっ……!」
膝をついたオリエに二撃目が襲いかかる。下から斬り上げられ尻餅をついたのを見て、闘士型は大上段に振りかぶる。
「さすがにそれは通らなくてよ」
オリエは琥珀を二つ取り出す。一つで防壁を作り、剣を受け止め弾き返した。もう一つは手の中で握りつぶし、斬り裂かれた部分にあてて傷を癒した。
たたらを踏んだ闘士型からオリエは後退して距離を取る。使うしかないようね。そう呟いたオリエの体が光に包まれる。大きな琥珀が彼女の体を包み込み、砕け散った。
現れたオリエの姿は、大きく変わっていた。
特徴的だった背中の「インガの輪」は三つに分かれ、頭と腹、足首を土星の輪のように取り巻いている。
これがオリエの「最終深点」、その一形態である。
長きに渡る戦いの中で、彼女は相手によって四種類の「最終深点」を使い分ける術を身に付けていた。この形態はタイプB、今は亡きかつての仲間の付けた名で呼ぶならば「如来」。多対一の戦いに向いた形態である。
そう、闘士型は一体ではなかった。剣を構え直す二体目の背後、灰色の建物「オブジェクト」の陰から、五体の闘士型がこちらに向かってきている。
何てこと。オリエは歯噛みした。「最終深点」をもってしても、さすがにこの数の闘士型は辛いものがある。
腹部を取り巻く一番大きな輪から琥珀を撃ち出し、牽制しながらオリエはまた後退する。
五体の闘士型は「オブジェクト」には目もくれず、一目散にこちらへ向かってくる。
普通の「ディスト」は自らを構成する「インガクズ」、世界の多数派が望まず切り離されてしまった結果を実現するため、この「インガの裏側」から今の「インガ」を破壊しようとする。「オブジェクト」が破壊されれば「インガ」が揺らぎ、あやふやとなった部分に自分の「インガクズ」を流し込んで、現実を歪めることができるからだ。
だが、この闘士型は、先にトウコたちが交戦した個体も含めて、「ディストキーパー」を倒すことを目標としている、言わばイレギュラーな存在だ。
「これがわたしの『インガの改変』の結果だというのね……」
オリエは自らの「計画」のため、他の「アンバー」を殺害し、彼女らの持つ「インガの輪」を集めていた。
「計画」は「エクサラント」に知られるわけにはいかない。そのため、奪った「インガの輪」を繋ぎ、琥珀の力を増幅させて疑似的な「インガの改変」を行って隠している。すなわち、「オリエらが手にかけた『アンバー』は、『ディスト』によって殺されたことにする」という「改変」である。
これにより、「ディスト」に殺されたという結果だけが残った。
「インガ」の流れという大きな仕組みは、自動的にその結果を補完した。そうして「原因」として生まれたのがこの闘士型なのだ。
「ディストキーパー」を殺した、その結果を生み出すために、「ディストキーパー」を狙う「ディスト」となったのだ。
身から出た錆、いえ「インガ」応報といったところね……。オリエは自嘲気味につぶやいた。
ならばこの戦い、覚悟を決めねばならない。
「ディストキーパー」の最期は、みんな「最初の改変」に喰われるように死んでいく。それがオリエの持論であり、経験してきた結果であった。
誰かのためを願えば、人をかばって死ぬ。誰かを傷つける「改変」ならば、思わぬ逆襲を受けて殺される。それを百人以上見送ってきたオリエだったが、今日、自分もその中に加えられるかもしれない。
何せオリエは「最初の改変」で「世界平和」を願ったのだ。「計画」は、自ら平和を実現しようとしたものだが、他人に手にかけ、それが原因で生まれた者たちに、殺されようとしているのだから。
剣によって立つものは、剣によって滅びる。何の言葉かは忘れたが、よく言ったものだ。
だが、無為に死んでやるわけにはいかない。まだ道半ばなのだ。それに、ここでグズグズしてサヤまで死なせるわけにはいかない。
「早くかかってらっしゃい」
胴を取り巻く「インガの輪」から、百をくだらぬ琥珀が浮き上がり、オリエの周りを漂う。
「こちらは急いでいるのだから」
百の琥珀は一斉に輝き、光の雨となって闘士型へ降り注いでいった。