3-1
「そんな悲壮な顔しなくても。誰も死なないわ」
アキナとエリイが戦い始める数分前、トウコは校門の辺りにいた。
さすがに二日続けてアキナを問い詰める気にはならない。何となく、昨日から気力も萎えていて調子が悪かった。
校門を出る制服の群れに混じって歩いていると、前から声を掛けられた。
「トウコさん!」
「やっほー」
サヤとシイナだった。サヤは例の私立中学の制服、シイナはラフなTシャツ姿だった。
「あなた達、どうしたの?」
「アキナさんの記憶を摘出するために、力を貸してくれってオリエさんが」
「急に学校に来いって言うから、制服見つかんなくて焦ったにー」
焦った割に私服のままで、そうかと思えば頭の三つ編みはばっちりくくっている。というか普段学校に来ていなかったのか、とトウコは呆れた。
「トウコさんも来れるなら来てほしいって」
「何か、戦力集めてるみたいだぜい」
聞いてませんか、と問われてトウコは首を横に振った。昨日そんなこと一言も言っていなかった。何とかしようとは言っていたが、まさか翌日すぐに実行するとは。
「まったく、立花は何を考えているのやら……」
「あの人のことは深く考えたら負けだべ」
どこかしみじみとシイナが言った時、校舎の方から悲鳴が上がった。
「何ですか、今の?」
「うちの学校民度が低いから、時々サルみたいに叫ぶバカがいるんだよ」
「いや、今のはその類ではない」
気楽なシイナを尻目に、真剣な顔でトウコは校舎をにらむ。
「……アキナさんって、暴走状態にあるんですよね?」
「まさか、はあるかもにー」
トウコは下校する生徒たちの流れに逆らって走り出した。サヤとシイナも後を追ってくる。
校舎の中に入り、二年生の教室がある二階の廊下へ向かう。階段を上ってまず目に入ったのは人だかりだった。
血のにおいがする。トウコは野次馬をかき分け、廊下の奥へと進む。
「キミちゃん! キミちゃん! 大丈夫!?」
女子生徒の悲鳴に近い呼びかけが響く。人垣の中心には赤い水たまりができていた。そしてその上に転がる、わき腹に穴を開けた浅木キミヨ。
「これは……!?」
その時、急に重石を乗せられたような感覚がトウコを襲った。次いで、「インガの改変」の時に感じるあのちりちりした気配を、大きくしたようなものが体を通り抜けた。
やがて腹の底に響き渡るような重低音と共に、重石はふっと軽くなる。
「あれ? 何か急に静かに……?」
よく見ると、周囲にいた生徒たち声どころか動きがぴたりと止まっていた。
『「空間断層結界」を張ったのさ』
いつの間に現れたのか、廊下の真ん中にパサラが浮いていた。
『一旦、この廊下だけを現世の「インガ」の流れから切り離した』
一時的な処置で五分程度しか持たないがね、と付け加える。
「一体この場で何があったの?」
『エリイとヒメが、アキナに攻撃を仕掛けた。巻き添えでアキナの友人が倒れた。三人は「インガの裏側」に移動、現在も戦闘中だよ』
淀みなく簡潔に、パサラは状況を伝えた。
「にゃるほど……復讐かい」
先走り過ぎだぜエリりん、とシイナはかぶりを振った。
「そう言えば、オリエさんは?」
二人を呼び出していたのだから、帰ってしまったとは考えにくい。この騒ぎに気付かないオリエではないだろう。何か企んでいるのか、とトウコはつい警戒してしまう。
『オリエは現在、別の場所で「ディスト」と交戦中だ』
「今、『ディスト』が出現しているというの?」
『ああ。少々特殊な相手でね。君達がかつて遭遇した闘士型なんだが……』
パサラは体を揺すった。
『オリエは「自分が片付ける」と引き受けて今朝から「インガの裏側」に入って、一人で戦っているんだよ』
「今朝ぁ?」
「しかも、一人でってどうしてそんな……」
確かに闘士型は強力な「ディスト」だが、それにしたってあのオリエが負けるとは思えない。本人も軽く片付けて戻ってくるつもりだっただろう。だからこそ、サヤやシイナに予定が変わったと連絡しなかったに違いない。
だが、そうはならなかった。何らかのアクシデントがあったと考えるのが妥当であろう。
「オリエさん、大丈夫なんですか?」
『かなり苦戦しているようだ。五十体近い闘士型を相手取っているからね。当然と言えば当然か』
「そんな、すぐに助けに行かないと……!」
「ちょい待ち、サヤサヤ」
シイナはサヤの肩を押さえる。
「アッキーの方、どうすんのさ? 後、そこの血まみれちゃんも」
さすがにほっとけないっしょ、とシイナは肩をすくめる。
傍目に見て、浅木キミヨの出血は酷い。この状況ならば、「インガの改変」で消してしまった方が効率が良いのではないか、とトウコはちらりと思う。
『その少女なら、一応「インガ」が進むのは止まっているから、まだ死んではいないよ』
それでも一刻を争う状況であることに変わりはない。
「彼女の治療ならわたしが当たるわ」
けれど、トウコはそう名乗り出た。この場で治癒能力を持つのは、トウコだけであるし、それに何よりこの子はアキナの友人だ。正気に返って、友達が死んでいましたではやりきれまい。
「オッケー、トウコちん。じゃあそれ終わったら、オリエさんの方に回ってくんない?」
「わたしが?」
「不本意かもだけどさ、あたしらが先にアッキーの方に行って何とかした方が、いいと思うんだよね」
あっちは最悪三人とも死ぬ、なんてことにもなりかねないし、とシイナは推論を述べる。
「トウコちんなら一人でも十分な戦力だしね。アッキー倒しとくから、オリエさん助けてこっちに連れて来てよ」
手分けしての効率プレイは基本さね、とシイナは笑ってみせた。
トウコは大きく息をついて、硬直している女生徒らの人垣をかき分け、浅木キミヨの体を抱え上げる。
「トウコさん……」
サヤは上目遣いにトウコを見上げた。
「オリエさんのこと、よろしくお願いしますね。アキナさんは、絶対にわたし達が助けますから」
約束します、とサヤは小指を出した。それにトウコは指を絡めず、そっと押しのけた。
「そんな悲壮な顔しなくても。誰も死なないわ」
『「空間断層結界」保持可能期間残り一分、急いでこの場を離れてくれ』
パサラがそう告げるのを聞いて、三人は「ホーキー」を取り出した。
「いくよ、サヤサヤ」
「トウコさん、本当によろしくお願いしますね」
「分かっている」
うなずき合って、三人はそれぞれのすべきことのために別れた。
この時、指切りをしなかったことを、後にトウコは大きく後悔することになる。




