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深淵少女シマモモコ  作者: 雨宮ヤスミ
[三]雷の目覚め
24/46

3-4

 

 

 「ディストキーパー」は睡眠もとらなくていいらしい、と気付いたのは食事のことを知った後のことだった。


 しかし、トウコはこちらを削る気にはなれなかった。眠ると精神的な疲れがとれるように感じるからである。


 その朝、電話の音をトウコは夢の中で聞いた。ベッドから身を起こし、部屋を見回して現実だと気付く。トウコの携帯電話の番号を知っているのは二人しかいない。ディスプレイを見ると、その片方サヤからだった。


「トウコさん、テレビ!」


 テレビつけて下さい! えらく慌てた口調だった。


 一体何の用だ、と深夜アニメや洋画を録画するくらいにしか使っていないテレビの電源を入れる。


「何? 表参道の人気スイーツ特集がどうかした?」


 チャンネルが違います、とサヤの言うものに変えると、見覚えのある場所の映像が映っていた。


「……察は、自殺の可能性が高いとして、捜査を進めています」


 ジングルが鳴り、映像は次のニュースに切り替わる。


「あー、終わっちゃいました……」

「今のは、鱶ヶ渕の駅前ね?」


 そうです、とサヤは応じた。


「焼身自殺があったっていうニュースだったんですけど……」


 えらくアグレッシブな珍しい死に方をしたものだ。


 しかし、どこか引っ掛かる。同じようなことが前に……。


「三ヶ月前、アキナさんが加入した時のこと、覚えてます?」


 そうだ、とトウコは思い当たった。あの時も、近隣の公園で似たようなことがあった。


「それで、アキナさんが襲われたのってその公園だったじゃないですか」


 不埒なリベンジにおよんだあの変態は、「ディストキーパー」になったアキナに殺された。


「そうか、恐らくは焼き殺されたでしょうから……」

「パサラさん、焼身自殺で処理したんだと思います」


 翻って、今日の話です。サヤの口調に緊張が走る。


「今回の焼身自殺も……?」

「ええ、駅前にアキナさんいたじゃないですか。それにすごく近いあの『インガの改変』……」


 状況証拠は揃っていた。


「何があったのかしら?」

「分かりません、前みたいな話だとは思うんですけど……」


 つまり、相手に非があると言える場合だ。


「大した理由もなく、人は殺さないでしょう」


 暴走でもしていない限りは、と言いかけてトウコは思いとどまる。昨夜会った時、アキナからは暴走の気配が消えていた。やけにすっきりしていたようにも見えた。


 まさか、一度身を任せてしまったから?


「トウコさん?」


 どうかしました? 何か思い当たることでも? 問われてトウコは「別に」と応じた。


「ともかく、昨日の話を漆間に聞いてみる必要があるわね……」




 登校すると、クラスの中が妙に騒がしいようだった。


 トウコは一人席に座って交わされる噂話に耳を傾けた。


 関心がなくとも、ただ座っているだけで、ある程度の情報は嫌でも耳に入ってくる。隣のクラスの誰々がいじめられているとか、そのいじめの主犯が有名な不良の妹で誰も逆らえないとか、どうしようもない話ばかりだが。


 今日のトウコは、いつもより集中して周囲の話に耳を傾けていた。何せ話題の中心は、駅前の焼身自殺のことだったのだから。


 さすがに地元で起きたことだけあって、死んだのが何者かはすぐに分かった。


 だが、これは……。トウコは表情には出さなかったが、強い戦慄を覚えていた。


 偶然だろうか。いや、そんなはずはない。何かしらの「インガ」関係があってのことだ。


 始業時間を過ぎても、ただ一つ空いたままの席をトウコは見やる。その日、若草エリイは登校してこなかった。



 昼休み、トウコはアキナのクラスをのぞいた。


 アキナは平時と変わらぬ様子で、友人と弁当を広げているところだった。


「漆間」


 つかつかと近付いて、トウコは彼女に声をかけた。


「トウコか、学校で声をかけてくるなんて珍しいな」


 いたって普段通りだ。自分の推察が何かの間違いのようにすら思えてくる。


「少し顔を貸してもらえる?」


 アキナは向かいに座った友人にちらりと視線を向ける。


「キミヨ、悪いちょっと行ってくるわ」

「いいけど……」


 浅木キミヨは不審げな目でトウコを見上げた。


「大丈夫、こいつは別に悪いやつじゃないよ」


 薄く笑って、アキナは席を立った。



「で、何の話だ?」


 校舎裏の壁にもたれ、アキナは尋ねる。


「できるだけ急いでくれ、お腹空いてるんだ」

「あなたが素直に答えれば、簡単に済む話よ」


 トウコは向かい合うように立ち、後ろ髪をかき上げる。


「昨夜、何があったの?」

「何が、って一緒に『ディスト』と戦ったじゃないか」

「質問を分かりやすくするわ」


 アキナがとぼけて見せたことに、若干の苛立ちを感じながら、トウコは続ける。


「何故、若草エリイの彼氏を殺したの?」


 アキナが答えるまでの間は永遠のように感じられた。唇を湿らせ、言いかけて止め、しかしためらいがちに開く。五秒もない間だったが、一挙一頭足がはっきり見えるほど時間がかかったかのように思えた。


「……『改変』とか言ってたくせに、全然効果ないじゃないか」


 ため息と共にまずこぼれたのが、その言葉だった。


「確かにアレは、あたしが殺した」


 やはり、とトウコは息を飲んだ。


「理由は……そうだな、何がいい?」

「ふざけないで」


 アキナの目が据わっているのは分かっていたが、そう言わざるを得なかった。


「ふざけてなんかないさ。どんな理由なら、あの男を殺してよかった? どんな理由なら、お前たちは納得してくれるんだ?」


 教えてくれよ、とアキナはもたれていた壁から身を起こす。トウコは後ずさりそうになるのをかかとを踏みしめて堪えた。


「どんな理由があれば、あたしはクソみたいな連中を殴り倒していいんだ? どういう理屈をつければ、腹いせに女を犯してよくなるんだ?」


 「インガ」はめちゃくちゃだ。狂ってる。放り込んだ原因に見合った結果が返ってこないんだ。それなのに、何でみんな平気なんだ? アキナは頭をかきむしった。


「あたしがおかしいのか? それが分からなくなってきたんだよ」


 アキナの目はぎらついていて、しかし深いところの色を映し出しているかのように暗い。


「……相手が若草の彼氏だと、知っていたの?」

「ああ、とんでもないクソ野郎だってな」


 あいつ浮気してたんだぜ、とアキナは嘲るように笑う。


「だからといって、それをあなたが裁くというの?」

「そうだよ」


 あまりにはっきりと言うので、トウコは目を見開く。


「それがあたしのやるべきことだったんだ。心の奥底がそう叫んでたんだ。その力で、『インガ』の狂いを元に戻せってな」


 聞こえてきた声、それは暴走を助長するものではないのか? 完全に、呑まれてしまったということなのか。


「話は終わりか?」


 口をつぐんだトウコを見やり、アキナはそれに背を向ける。


「あたしは誰に何を言われようと、止まる気はないから」


 じゃあな、と去っていくアキナを、トウコは止めることはできなかった。


 アキナの姿が見えなくなって、トウコは大きく息をついた。


 言いたいことは分かる。「ディストキーパー」とは、簡単に一般人の命を奪うことのできる存在だ。そして、それは咎められることはない。


 トウコとて、もし「上書き」がなければ、かつて住んでいた町に戻り、復讐することを考えただろう。


 だが、明らかにアキナのそれは質が違う。狂気に囚われているとしか思えない。


「厄介なことになったわね」


 背後からかかった声に振り向くと、オリエが立っていた。珍しく難しい顔をしていた。


「立ち聞きとは、相変わらず趣味の悪い」


 とぼけるように首をかしげて見せ、オリエは話を続ける。


「昨日のことをきっかけに、完全に暴走を受け入れてしまったようね」

「あなたの琥珀で取り除けると聞いたけれど」

「サヤちゃんの案ね? 今朝相談されたわ。それですぐにでもと思ったのだけれど……」


 オリエは眉を寄せる。


「ああも暴走が根付いてしまうと、取り除くのは難しいわ」


 暴走の原因となった記憶が、アキナの自己同一性を証明するものになっているようだ、とオリエは推測を述べる。


「この状態で記憶を取り除くと、廃人になってしまうわ」

「その言葉、嘘はない?」


 どうして嘘をつく必要があるのかしら、とオリエは上品ぶった笑みを浮かべる。


「あなたじゃあるまいし」

「わたしが、嘘を?」


 バカな、何を言っているんだ。トウコは不機嫌に鼻を鳴らす。


「ついているじゃない、『最初の改変』以来。今のあなたは、生まれついたあなたの人格ではない」


 アキナの狂気じみた部分に当てられたせいか、この時のトウコは今の人格となってからは珍しく、弱っていた。 そこを突かれた格好になり、動揺を顔に表してしまった。


「その表情よ」


 オリエは、トウコに顔を近付ける。


「そういう情けない表情が、取り澄ましているよりも、よほどかわいらしく、似つかわしいわ」


 そしてトウコの耳元に顔を寄せた。飛び退いたトウコを見て、満足そうに笑う。


「あなたのことが気に入らなくても、漆間さんのことはちゃんと考えておくから、安心してよくってよ?」


 あれを野放しにしておくのは、わたしにとってもよくないの。そう言い置いて、オリエは去って行った。


 残されたトウコは、オリエの呼気の気配が残る左耳を押さえる。


 屈辱的な気分だった。怯まされて、あんな風に言われて。トウコは二の腕を抱いた。オリエの言うように、今のわたしは嘘をついているだけなのか。アキナに何もしてやることができないのが、その証左ではないか。


 本当は、びくついておどおどしているだけの、誰にも好きになってもらえない、どうしようもない子どものままなのか。髪もあいつらに切り落とされた短いままで、成田守人の夢を見ているだけなんじゃないのか。


 トウコは唇を噛んだ。校舎の窓にうっすらと映ったその顔が、別人のように思えた。

「今のあなたは、生まれついたあなたの人格ではない」

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