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深淵少女シマモモコ  作者: 雨宮ヤスミ
[四]怪物と人の心
19/46

4-5

「『ディストキーパー』の覚醒、『人間』としての力の深淵――」

 

 

 このマンションの周辺を、トウコはよく知っている。何せ「改変」前に住んでいたのだから。


 敷地から出て、道路の左右を見回すが、アキナの姿はない。「人間界」に出たのだろうか。もう遅い時間だから、「インガの裏側」を通った方が安全だとアキナも知っているはずなのだが……。


 その時、道の右側から大きな火柱が上がった。


 灰色の空を焦がす紅蓮の炎。まず間違いないだろう。「ディスト」と出くわしたのかもしれない。今のアキナならそうそう危険はないだろうが……。トウコはそちらに急いだ。


「漆間……?」


 マンションから程近い住宅地の行き止まり、アキナは家の外壁に手をつき、うつむいて肩で荒い息をしていた。足元の道路が黒く焼け焦げている。


 アキナはトウコに気がついて、顔を上げてこちらを向いた。じっとりと脂汗がにじんでいる。


「よう……」


 外壁にもたれるようにしたまま、力なく笑った。


「まずいとこ、見られちまったな……」

「体調が悪い、わけではなさそうね」


 トウコはアキナに近付く。


「どうしたの?」


 乱れた呼吸を整え、アキナは額の汗を拭う。


「運動だよ……」


 トウコは片眉をぴくりと動かした。場違いな言葉は、放り投げられたように思えた。


「運動?」


 そうだ、とまた弱々しい笑いを浮かべる。


「色々してるんだよ。空手の稽古もそうだし、他にも走ったり……」

「何のために?」


 えらく疲れているようだけど。アキナはそれに直接答えず続ける。


「『ディスト』との戦いも、いい運動だ。最近はちょっと物足りないけどな」


 トラなんだから、もっと強いと思うよな。そう語る目はどこか虚ろで濁って見えた。


「体を動かすのはいいことだよ。こうやって力を使うのも、ちょうどいい」


 右手を握りしめ、また開く。手の平の中に炎が揺らめいて消えた。


「さっきの火柱も、運動ということ?」

「そうだ。体を動かさなきゃな。動いてなきゃ来るんだよ……」


 アキナは胸当てを強く握りしめる。


「得体の知れないものが、あたしの体を破ろうとしてわき立つみたいに出てくるんだ。体を動かさなきゃダメなんだ、この体はあたしのだって、あたしが動かしてるんだって……!」


 アキナはすがるような目でトウコを見た。


「でなきゃ、取られちゃうよ……。またあの紫の炎に……」


 闇の中で炎に照らされたように、アキナの顔には不気味な陰影が落ちている。見たこともない表情だ、こんなものを隠していたなんて。三ヶ月前の比じゃない。追い詰められているんだ、鬼気迫るほどに。


 暴走の危険は消えてなんてなかったのだ。


「あなた、そのこと、どうして相談……!」


 途中でトウコは息を飲んだ。


 これは高い感知の能力が見せたものなのだろうか。アキナの内側からあの炎のような不気味な紫色が、どろりと這い出ようとしている。


 暴走の原因がこれなのだとしたら。相談するしないで何とかできるものじゃない。アキナはそれを分かっていたから、こうして一人で抱えていたのだ。


「パサラには話した?」


 でも、放っておくわけにはいかない。トウコの提案を、しかしアキナは、うつむいて首を横に振った。


「とっくに。一時的なものだろうってよ……」


 戦って収まるならべつにいいだろう。そう応じたそうだ。何て役に立たない毛玉だ。今度あったら五百円玉大のハゲを作ってやる。


「でも、戦いでも押さえきれなくなってきた……。今日みたいな相手じゃダメだ。いや、『ディスト』じゃダメなんだ……」


 アキナは顔を上げた。「ルビー」の「ディストキーパー」の証、赤い瞳の奥にぎらついた闇が映っている。


「トウコ、お前ぐらい強いのと戦えたら……」


 伸べられた手を、トウコは咄嗟に振り払って飛び退く。あの黒い塊が、そのまま触手を伸ばしてきたかのように見えた。


 アキナは目を見開き、「あっ……」と漏らした。


「すまない、何だか……」


 謝るその瞳からは、あの暗い色は消えていた。収まった、のか?


「今日は帰るよ」


 またな、とアキナはふらふらした足取りで歩いていく。


 トウコはその背に声をかけようとして、しかしできなかった。気休め以外の、どんな言葉を今のアキナに掛けられるだろうか。躊躇っている内に、その背は見えなくなった。




 立花オリエの家は駅の北側にある巨大なタワーマンションであった。


 学校では超お嬢様とか名乗ってるみたいだけど。相当無理があるにー。オリエの家にやってきたシイナは、ここを訪ねるたびいつも思っていることを、改めて噛みしめる。「インガの改変」も「改変」すぎるんじゃに? ま、毎回寛がせてもらってるからいいんだけど。


 トラ型とシイナら五人が戦っている間、オリエはサヤと共に密かに他地域の「アンバー」の「ディストキーパー」を襲い、「インガの輪」を強奪していた。


 「琥珀」の力を増幅する「インガの輪」は、既に四九個が集まっている。無論、手にかけた「ディストキーパー」の死因も既に改変済みである。


 順調に行ってるスね、とシイナが投げかけると「そうかしらね」と何故かオリエは表情を曇らせた。懸念があるらしい。


「前にサヤちゃん達が交戦したっていう『闘士型』のこと、覚えてる?」

「確か、剣持った『ディスト』ですよね? かなり強かったとか」


 三か月も前の話を今更何故、とシイナは怪訝な表情を浮かべる。


「また、どっかに出てきたとか?」

「ええ。気になるのはその出現地点なのだけど……」


 オリエが指折り挙げていく地名はシイナにも聞き覚えのあるものだった。


「それって、全部あたしらが……」

「そう、見事に重なっているのよ」


 わたし達が「ディストキーパー」を殺した地域と。さすがに、シイナも息をのんだ。


「どういう、こと、なんですかね……?」

「分からないわ。ただ、わたしが『インガの改変』を行っていることと、無関係ではないと思うのよ」


 パサラの話によれば、あの「ディスト」は今まで出現が確認されたことのない形態なのだという。『武器を使い、「オブジェクト」には目もくれずに「ディストキーパー」ばかりを狙うなんて、従来の「ディスト」としては考えにくい』と警戒している様子だったそうだ。


「これまでにないことが二つも重なっているのなら、その二つに『インガ』関係があると考えるのが自然ではなくて?」


 はあ、とシイナは感心したようにうなずいた。うなずいて、しかしすぐに首をひねる。


「でも、それって根本的にオリエさんの『計画』に関係なくないですか?」

「まあ、ないわね」


 あっさりとオリエは認めた。


「ただ、このことを『エクサラント』が究明しようとして、こちらの『インガの改変』に気付かれたら、それはそれで面倒なのよね」


 確かに、とシイナは今度は素直にうなずいた。


「それで、そちらは何か変わったことはなかったかしら?」


 湯呑みに口をつけて、オリエはシイナに尋ねた。ふむ、と少し考えて、シイナはアキナについて報告することにした。こちらも「計画」とは直接関係ないが、再び彼女が暴走するようなことがあれば、進行に支障が出るやもしれないと考えたのである。


「……という感じで、アッキーは何か問題を抱えてるっぽいにゃー」


 高そうなソファーの肘掛けを撫でつつ、シイナは続ける。


「何だと思います? メンタル的なやつかね?」

「そうね……」


 向かいのソファーのオリエは薄く微笑んだ。


「恐らくはまだ、暴走の因子が残っているのでしょう」

「え、もう三か月ッスよ? それにサヤサヤが前になだめたって……」

「『ディストキーパー』というものがどうやって作られるか。それを考えれば、自ずと分かることよ」


 オリエは一口お茶を口に含んだ。


「『エクサラント』の命令を聞く『ディスト』、それが『ディストキーパー』……『ディストキーパー』と『ディスト』は同一の存在」


 少女の子宮に、「インガクズ」を入れて孕ませ、この世の「インガ」から外れた場所「インガの裏側」へと入れる存在「ディスト」に変える。この時使うのは、少女が望んだ「インガの改変」から生じた「インガクズ」だ。


 こうして造られるのが、人の心を持ち、「エクサラント」の命令を聞く「ディスト」、即ち「ディストキーパー」である。


 性行が禁じられるのは、「インガクズ」を貯め込んだ「ディストキーパー」の子宮に人間の精子が注がれると、生まれてくる子がすべて「ディスト」となるためだった。


 少女らの「精神の安定」を気遣い、パサラが話さないこの事実を、オリエとシイナ、そしてこの場にいないサヤの三人は既に知っていた。


「そう。『ディスト』と『ディストキーパー』、この二つを隔てるのは『人間』の部分……。シイナ、わたしが前に話したことを覚えているかしら? 『ディストキーパー』が強くなるということについての話」


「えーと、服のボタンに例えたやつです?」


 オリエはうなずいた。「ディストキーパー」が強くなることは、服のボタンを外していくのに似ている。すなわち、「ディストキーパー」になりたてのころは、すべてのボタンが閉まった状態。それが徐々に外れていき「怪物」に近づいていく。それが、「ディストキーパー」として強くなるということだ、と。


「つまり、『人間』を捨てるほどに強くなる。『怪物を追うものは自分が怪物にならないよう注意しなさい』とは、よく言ったものね」


 それでも「ディストキーパー」には、たとえて言うところの「最後のボタン」、つまり裸ではなく着衣の「人間」であることを保つ最後の(たが)、セーフティが存在する。


「このセーフティが、何らかの原因で緩んだり、吹き飛んでしまうのが、『エクサラント』が暴走と呼ぶ現象」

「うげ、つまり……」


 ここまでの情報を頭の中でつなぎ合わせて、シイナは顔をしかめた。


「アッキー、そのセーフティが外れちまってるぜ、ってことッスかね?」

「恐らくはね」


 まだ外れかかっているといった状態でしょうけど、とオリエはまた湯呑みに口をつける。


「一旦収まった、ってのは気のせいだったんかにゃあ……?」

「いえ、あの時は緩んだだけだったから、一度締め直せたのは事実でしょう」


 元に戻ったように見えても、一度緩んだものは外れやすくなる。だから暴走した「ディストキーパー」は処分しなくてはならないのに、とオリエはソファに背を預ける。


「毛玉どもは、このこと知ってるんですかに?」

「漆間さんが相談している可能性は高いわ。ただ、『エクサラント』にはどうにもできない問題だけれども」


 この世の「インガ」を掌握し世界を先に進める「エクサラント」は、ともすれば全能に見えるが干渉できない場所やモノもある。それが、「インガの裏側」であり、「ディスト」であった。故に、「インガの裏側」に立ち入り「ディスト」を片付ける「掃除婦」が必要になるのだ。


 「ディスト」に干渉できないということは、つまり「ディストキーパー」にも干渉できないということでもある。外れてしまったセーフティを元に戻すことは、彼らには不可能なのだ。


「漆間さんも、『エクサラント』の犠牲者と言っていいわね」

「その言い方、つまり助けるンスね?」

「ええ。この話をすれば、恐らくはこちらの計画にも乗るでしょう」


 余程の馬鹿でもない限りはね、と皮肉っぽく言い添えた。


「それに、漆間さんは恐らく『最終深点(さいしゅうしんてん)』に近づいているわ」


 オリエの口にした「最終深点」という言葉に、シイナは身を乗り出した。


「マジで? 早くない!?」


 あたしやサヤサヤでさえまだなのに、とシイナはずり落ちたメガネを直す。


「一度締め直したものがまた緩み、外れかけているのがその証拠よ」


 戦いを繰り返し経験を重ね、ボタンを外してきたがために、「最後のボタン」であるセーフティもまた緩んだのだろう、とオリエは推測していた。


「わたしの見立てでは、漆間さんのボタンが一〇個あるとするなら、今八個目が外れたというところね」

「ちなみにあたしは?」

「あなたも同じくらいよ。サヤちゃんも、停滞しがちだけどそんなものかしら」

 「最後のボタン」を残すのみとなった「ディストキーパー」は、それまでと姿を大きく変える。より強く、自らの望んだ姿・強さとなるのだ。


 身体を介して心を表面化させる。それは「怪物」と「人間」の境目。その先には進んではならない終着点。


 故に、「最終深点」と呼ばれる。


「『ディストキーパー』の覚醒、『人間』としての力の深淵――。あなたも早く目覚めなさい」


 オリエの口調の裏には、どこか教師のような厳しさがあった。

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