4-6
「じゃ、帰るわ。明日『デート』だし」
トウコとアキナの加入から三ヶ月が過ぎた。鱶ヶ淵の「ディストキーパー」は、この間誰も欠けることなく「ディスト」を倒し続けていた。
「エリりーん、左、左!」
灰色の町並みをビルの上から見下ろし、シイナが地上に指示を飛ばす。
「うっさい、バカァ! 分かってるっての!」
怒鳴り返し、エリイは左側に回り込んだ虎のような「ディスト」に振り向きざま矢を放つ。
四つの白い目を持つトラ型は、五メートルを越す巨体に似合わぬ敏捷さで矢をかわすと、エリイに向かってきた。
「危ない」
後ろから追い付いてきたヒメが、エリイを飛び越えトラ型の前に立ちふさがる。低い構えから扇を振るうと、トラ型の前肢を凍らせた。
「シイナ」
短く叫び、ヒメはエリイを抱えて大きく飛び退き距離をとる。
「あいあーい」
気の抜ける返事で応じ、シイナは右腕の大砲をトラ型目掛けて放った。「種」はトラ型の頭上で爆ぜ、散弾が降り注ぐ。
トラ型は散弾に体を貫かれ、あの「ディスト」特有の引き裂くような悲鳴をあげた。穴の開いた箇所から「インガクズ」が流れ落ち、そのまま塵となって崩れた。
「おっつー、いやあトラ型は強敵でしたねぇ」
ビルから降りると、わざとらしい口調でシイナはエリイとヒメに近づく。
「何が、強敵でしたね、よ! おいしいとこだけ持っていって!」
悪態をつくエリイをなだめるように、ヒメはその頭を撫でた。
「シイナがいないと、勝てなかった」
「凍らせりゃいけたよ」
不満げにエリイはヒメの顔を見上げた。
「その後、砕くのにすごく時間がかかったと思う」
「む……そうだけどさ……」
エリイの風の矢は威力が低く、巨体の「ディスト」を相手にするには向いていない。それはヒメも同じで、故にこのコンビで戦うならシイナやトウコの力を借りねばならないのだが、それがエリイには苛立たしい。
「エリりんさあ、まだ能力成長の余地があんだから、頑張んなー」
「うっさい、クソメガネ! 余計なお世話!」
「はい、クソメガネですが、何か?」
挑発するように、シイナは眼鏡の弦を押し上げる。
「エリイ、止めとこう」
ヒメはエリイを手で制した。
「ま、エリりんが焦んのもわかるわー」
シイナは住宅街の奥、大きなマンションを振り仰ぐ。
「あの二人の成長、半端にゃいもんねー」
マンション前の広場では、アキナとトラ型がにらみ合っていた。
エリイらが三人がかりで倒した個体よりも、一回りばかり大きい。
それでも、アキナは臆すことなく拳を構える。
じりじりと、円を描くように両者は間合いを計っていた。
やがて焦れたのか、トラ型が咆哮と共に飛びかかった。アキナは前髪に爪が触れるかどうかの、最小限の後退でそれをかわす。
すぐに踏み込み、トラ型の鼻先に拳を見舞った。
トラ型は唸り声を上げる。アキナはその隙をついてトラ型の首にしがみつき、しっかりと胴を腿で挟んでその背に乗り込んだ。両手を組み合わせ無防備な後頭部に叩きつける。
更にトラ型は暴れるが、アキナはためらわずにもう一度後頭部を狙う。何度も殴りつけ、ついにトラ型の頭に炎が揺らめいた。
アキナはトラ型の背から転がって降りる。炎は頭から体に回り、トラ型はのたうち回る。やがて断末魔ともに燃え落ちていった。
あっちは終わったか。トウコはマンションの屋上から下の様子をちらりと見下ろす。
こちらもそろそろ終わらせるか、と屋上の貯水タンクの上に伏しているトラ型を見上げた。
アキナが相手どった個体よりも、更に大きい。エリイらが戦ったものと比べると、親子ほどにも違うだろう。十メートル超の巨体であった。
トウコには気負った様子もない。かと言って侮ってもいなかった。冷静に勝利を確信した足取りで近づいていく。
トラ型は身を起こし、大きく吠えた。トウコは拳銃「エクリプス」を抜き放つと、銃口を向けた。身を翻すトラ型の足を、左手の拳銃から放たれた弾丸が貫く。
トラ型のスピードは、トウコが初めて戦ったライオン型と同等であった。あの頃は捉えきれなかった速さだが、今は誘導弾を使わなくとも追い付ける。
後肢を撃たれ、地に倒れたトラ型をトウコは「金色の眼」に映した。
「『アブソリュート・ヒット』」
左の拳銃に残るすべての弾丸が、トラ型の八方から襲いかかる。
更にトウコは右手の銃をトラ型に向けた。既に充填は完了しており銃口に白い光が輝く。
「『ソーラ・エクリプス』」
強烈な光が消えた時には、トラ型は跡形もなかった。
「何だ、終わってたのか」
屋上へ上がってきたアキナが後ろから声をかけてくる。
「手伝ってやろうかと思ったんだけどな」
「この程度、一人で十分」
まあお前ならそうだよな、とアキナはにやりとする。
「大体、わたしの方が先輩。心配だったのはこちら」
「お前、それよく言うけど、三日しか変わんないんだろ……」
「三日でも先輩は先輩」
やれやれ、とアキナは頭をかいた。
「お、倒したねー」
やっるぅー、とシイナがエリイとヒメを伴い、こちらにやってきた。
「すごいね、大きい相手なのに」
「ま、相性の問題だよ」
ヒメの言葉に、アキナは謙遜した風に応じた。それにエリイが鼻を鳴らす。
「おや、エリりん面白くなさそうだね?」
にやにやとシイナはエリイの顔を見やる。
「別にー。ただ、ケンカが強いからどうこうって、バカらしいなって思っただけ」
アキナが苦笑してエリイに視線をやると、エリイは目をそらした。
「あっれー? あんたの彼氏、モロそういうタイプじゃなかったかに?」
「昔はそうだったかもだけど、今は違いますー。少なくとも、あたしには優しいし」
「へぇー、そうにゃん?」
シイナに水を向けられて、ヒメは曖昧に笑った。
「そうなの!」
「仲いいみたいだにー」
シイナは頭の後ろで手を組んで伸びをした。
「アッキーどうよ? 彼氏とかほしいと思う?」
「あたしより強いならね」
脳筋の基準……ゴリラかよ。エリイは聞こえるか聞こえないかくらいの大きさでつぶやく。特に気を悪くした様子もなく、アキナは首を傾げてみせた。視線を外したままエリイは小さく舌打ちした。
「じゃ、帰るわ。明日『デート』だし」
デートをいやに強調するのに、シイナは思わず吹き出した。
「何よー?」
「いやいやー、お熱いことで」
気ぃ付けてね、というシイナに「えいえい」とエリイは背中で応じた。
「嫌われたもんだな」
苦笑いを浮かべアキナは頬をかく。
「大体暴走のせいじゃね?」
ごもっとも、とアキナは肩をすくめる。この三ヶ月、エリイはアキナに対してはずっとあの調子だった。
「ごめん、言い聞かせておく」
代わりに、というつもりなのだろう、ヒメがアキナに謝る。これもいつもの光景だった。
「別に気にしてないって」
「おヒメちんが謝ることじゃないけどに」
そうそう、とアキナは何度もうなずいて見せた。
シイナは暴走のせいと言ったが、エリイと同じように被害を受けたヒメとは比較的良好な関係を築いていた。本人の性格の問題だろうな、というのは身も蓋もないアキナの分析だった。
「いつものことだしな」
ヒメはますます恐縮した様子だった。
そこに「ヒメー、早く!」と当のエリイから声がかかる。
「じゃあ、また」
ヒメはエリイの後を追っていった。
「なあ、エリイの彼氏って見たことある?」
アキナは小声でシイナに尋ねる。シイナは「んにゃ」と首を横に振った。偶然見かけたことあるんだけど、とアキナは前置きした。
「まあ顔はいいんだろうけど、ちょっと……」
「ちょっと?」
少し言い淀んでから、真面目な顔で続ける。
「気に入らない目を、嫌な目をした男だった」
アキナは彼の目から暴力の暗いにおいを感じ取っていた。
「エリイには直接言いにくいからさ、ヒメに言ってみたことはあるんだけど……」
知ってる。そうヒメは言ったのだ。また、だから心配とも。
「ありゃー、ホントに今は優しいのかにー?」
シイナは肩をすくめてみせた。
「そう言えばトウコは……?」
背後にいたはずなのに、いつの間にか姿を消していた。
「アッキーが、相性の問題だよとか言ってた辺りには、もういなかったよん」
「最初も最初じゃん……」
帰ったのか、とアキナが辺りを見回すと、先ほどトラ型が寝そべっていたマンションの貯水タンクの上に、トウコがこちらに背を向けて立っていた。
「トウコ、何やってんだ!?」
呼ばれてトウコはタンクから飛び下り、アキナの前に着地する。
「くだらない話は終わったようね」
「避難してたのかよ……」
エリイがアキナに突っかかっていくのはいつものことなので、最近は取り合わないようにしていた。
「ま、二人ともエリりんとはビミョーだもんげ」
避けて正解かもね、とシイナはのんきに言った。エリイはトウコにもつっかかってくることがあった。どうやら、同じクラスなのに挨拶がなかったことが腹に据えかねたらしい。
「エリりん内心ではびびってるから。だから余計にムカツキなんだろうけど」
「若草も、窮屈な生き方をしているものね」
「そりゃトウコちんと比べたら誰でもね」
「のしを付けてお返しするわ」
二人のやり取りをアキナは笑って見ていたが、不意に顔をしかめる。
「どしたん?」
「いや、ちょっとな……」
疲れたから帰るわ、とアキナは妙に明るい声で言って、ふらふらと歩いていった。
「体調でも崩したかに?」
首を傾げ、シイナはトウコの顔を見る。そして「おや」と目を見開いた。
「どしたのトウコちん?」
随分と怖い顔して。険しい顔でトウコはアキナの背中をにらんでいた。
「山吹」
問いに答えず、トウコは短く言った。
「わたしも戻る」
「そう? お疲れぃ」
疑念を特に口に出さず、シイナは軽く手を挙げた。挨拶を返すのも早々に、トウコはアキナと同じ方角へ駆けて行った。
「さて……」
一人残されたかっこうとなったシイナは肩を回し一つ息をついた。
報告に上がりますか。シイナは灰色の町並みの向こう、小さく見えるタワーマンションに目を向けた。