表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
深淵少女シマモモコ  作者: 雨宮ヤスミ
[五]精神の安定
17/46

5-1

「あなたと肩を並べて戦えるのは、わたしにとっては意味のあること、価値のあること」

 

 

 パサラの言葉通り、「インガの裏側」を通り家に着くころには、トウコは立って歩けるほどには回復していた。


「でも、まだ無理しちゃダメですよ」


 ベッドに寝かされて、すぐに身を起こしたトウコに、サヤは釘をさす。


「あの回復、危険ですよ。『インガクズ』を分け与えるのは、自分の身を削るのと同じですから……」


 トウコの体すべてを回復のエネルギーに変えて照射することもできるだろう、とサヤは推測を述べた。


「まあ、そんな使い方はしないでしょうけど……。大けがを治そうとして勢い余って、とかありえるので……」

「覚えておく」


 アキナはトウコをベッドに寝かせてから、少し遠巻きに二人の様子を見ていた。


 サヤの肩越しに見えるアキナの顔色は曇っているようだった。


 じゃあこれで、と帰ろうとするアキナを、「まあまあゆっくりしていってくださいよ」と、サヤが引き止める。


「親睦を深めましょう。わたし、学校も違いますし、なかなかみなさんとゆっくり話す機会なんてないですし」


 ね、と微笑まれてもアキナはまだ逡巡しているようだった。困ったように立ち尽くしている。


「暴走のことでも気にしているの?」


 トウコが尋ねると、アキナは珍しくうなだれた。


「いや、あたしは……」

「今帰って一人で悩むより、ここで話をした方が有益だと思う」


 おや、とサヤが目を丸くする。


「トウコさんからそんな仲間意識的な言葉が出るなんて!」

「だから、あなたはわたしを何だと思ってるの」


 肩をすくめてトウコは続ける。


「それに、馴れ合えと言っているのではない。また暴走されるとこちらが困るから、先に原因を取り除いておこうと思っただけ」


 おお、ツンデレというやつですね。サヤがにこにこと笑うのは無視することにした。


 アキナは少し顔を上げ、遠慮がちに床の上に座った。それを見たサヤは、こっちですよとその手を引いた。


 三人は、トウコを真ん中に並んで座った。


 アキナはじっと床に目を落としていた。サヤが何か言おうとするのを、トウコは手で制した。


「あたしさ……」


 やがて、アキナは意を決したように顔を上げ、口を開く。


「昔、小学生の時だけど、変態男を退治したことがあったんだ」

「知っているわ」


 とてもよくね、とトウコは心中で付け足した。


「有名な話、なんですよね」


 二人の反応を見て、アキナは少し顔をしかめた。


「調子に乗ってたんだよ、あたし……」


 「インガ」応報っていうのかな、と自嘲気味な笑みを浮かべた。


 それからアキナはあの夜の話をした。退治した変質者が出所していたこと、そして復讐にやって来たこと。


 やっぱり、とサヤが小さくつぶやくのが聞こえた。彼女は二の腕をぎゅっと抱いて、我がことのように身を震わせた。


「あれから時々、どうにもならないモノが、あたしの奥からわきだしてくるようになった」


「それが、暴走の原因……」


 トウコの脳裏に「紫の炎」の揺らめきが蘇る。あの禍々しい熱がアキナの心を炙り、焦がしているのかもしれない。心の奥、深淵から燃え上がって。


「あたしのやってきたことなんて、身に付けた力なんて、何の意味もなかったんだ」


 震えるのを堪えるように、アキナの声が大きくなる。


「力があれば、力をつけていけば、ちょっとずつでも世の中を変えられるとか、そんな風に考えていたけど、絵空事だったんだ、そんなの」


 子どもの理屈だったんだよ。吐き捨てて、アキナは頭を振った。


「親友って言っていい友達がいるんだ……」


 幼馴染みでさ、いい奴なんだよ、優しくてさ、真っ当なんだ。あたしが困った時、いつも助けてくれたんだ。頭を抱えたまま、アキナは続ける。


「そいつのお父さん、会社やってるんだけど、うまくいってないんだ」


 でも、あたしにはどうにもできないじゃないか。何だって力になってやろうって、思うのに。アキナは自分の肩を抱いた。小さく小さく、なろうとしているように見えた。


「そんなことばっかりなんだ。負け続きなんだよ、今。さっきもそうだ、わけ分かんない力に体を操られて、死にそうになって……」


 震えるほどに、アキナは縮こまっていくようだった。


「無意味なんだ、無価値なんだ。負けたままなんだ。あたしは自分をそう思うようになっちゃった」


 アキナは奥歯をぎゅっと噛んでいた。溢れるものを、絶対に流すまいと抑え込んでいるようだった。


 外を吹きぬける風の音だけが、やけに大きく聞こえた。


 サヤは眉根を下げ、アキナの様子をうかがうように見ていた。トウコは大きく息をついて、沈黙を破った。


「意味はあったわ」


 アキナは身を固くしたままだった。


「意味はあった」


 トウコは繰り返した。力のこもった言葉だった。


「だって、わたしはあなたに救われたわ」

「救われた……?」


 聞き返したのはサヤだった。トウコはアキナに向かった言葉を続ける。


「わたしは元々、鱶ヶ渕の人間ではない。小学六年生の二学期に、この町へ逃げてきた」


 トウコは少し躊躇うようなそぶりを見せた。


「そう、わたしは今のような人間ではなかった。いじめられるのが当然のような、それこそ無価値で無意味な、いじけたグズだった」


 新しい町にも不安感しか抱いていなかった。トウコは長い後ろ髪をかき上げた。「インガクズ」となって消えた過去を手繰り寄せていくように。


「そんな時、漆間、あなたのしたことを聞いたのよ」

「痴漢退治のこと、ですか?」


 サヤの問いに、トウコはうなずいて見せた。


「そう。まるで異世界の戦士のように感じたのを、今でも覚えている」


 戦士? とサヤは目をぱちくりさせた。


「大人の男に勝てる小学生なんて、早々いない。それも、素手で戦ってだなんて……まるでマンガみたいで」

「だから『異世界の戦士』、ですか」

「ええ、わたしに力があったら。そう思ったぐらいに、あなたに憧れたのよ」


 アキナは身じろぎ一つせず、肩を抱いていた。ぽつりとそのまま言葉をこぼす。


「……憧れるようなもんじゃないって、今分かったろ? あたしもいじけたグズなんだ。変わんないんだ、ただの子どもなんだよ」

「それは……むぐっ」


 サヤが何か言おうとしたのを、トウコは手で塞いだ。


「そうね、その通り」

「……ぶはっ! ちょっと!」


 慰めるの下手すぎでしょ、とサヤが囁いてくるが、捨て置いてトウコは続ける。


「だけど、あなたのしたことがわたしを作った」


 アキナはまだ、石のように動かないでいる。


「わたしは『最初の改変』で、今の人格を上書きした。グズで無価値な、無意味な存在を消した。あなたのように、違う世界の鍵がほしかったから」

「そんなもの、持ってなかったよ……」

「そのようね。でも、今はあなたも持っている」


 トウコは「ホーキー」を取り出した。


「漆間、あなたは今日も負けたと思っているの?」

「と、闘士型には勝ちましたよ、ね?」


 慌ててサヤは助け舟を出すが、アキナはかぶりを振り乗らなかった。


「違う。あたしが負けたのは、暴走にだ……。自分に負けたんだよ」


 強張った体とは対照的に、その言葉に力はなかった。


「そう。だけど、こうしてまた暴走は解けた。わたし達のお陰でね」


 アキナはうるんだ目でトウコを見上げた。湛えた涙の他に呆れが混じっている。


「ちょっと、トウコさん、さっきから……」


 外野の声を無視して、トウコは話を続ける。


「でもそれは、あなた自身の力でもあるわ」


 うるんだ目が、少し揺れた。意味を図りかねているようだった。


「あなたが変質者を殴らなければ、わたしは『ディストキーパー』になったとしても、この人格を上書きしなかったでしょう。あなたに憧れたから、わたしはここにいる。言わば、あなたがわたしを連れてきたの」


 アキナの目から、呆れの色が消えた。トウコの瞳が真剣だと気付いたから。


「漆間アキナ。あなたと肩を並べて戦えるのは、わたしにとっては意味のあること、価値のあること」


 だから否定はさせない。トウコは左手の「ホーキー」を握りしめた。


「あなたの負けはわたしが消す。いくらでも暴走すればいい。いつだって、戻してあげるから」


 いつだって、隣にいるから。そこまでは口には出さなかったが。


 アキナは小さく息を吐いた。縮こめていた体の力が抜けていく。氷が解けるようだった。目じりを拭って、トウコの顔をじっと見据えた。


「あんたは変な奴だな」

「ですよねー」


 小さくサヤも笑った。


「でも、悪い奴じゃない。それはよく分かった」


 家に帰らなくてよかったよ。アキナは大きく伸びをして、立ち上がった。きっと一人だけでは、またあの悪意の沼に、心の深淵に落ち込んでいただろうから。


「ありがとう。楽になった」


 向き直ったアキナは手を伸べた。トウコは立ち上がって、その手を取った。


「こちらこそ。話してくれたことに感謝するわ」


 一度強く握り、そして離した。アキナは今度はサヤの方を見やる。


「サヤもありがとう。引き止めてくれてさ」

「はい! あー、いえいえ、その、えっと……」


 サヤはがばりと立ち上がったが、その目は宙をさまよっている。言葉を探しているようだった。


「わたし、先輩なのにあんまり、気の利いたこととか言えなくて、何て言うか、その、頼んないなって思ったかもしれないんですけど」


 また少し詰まりながらも、何とか思いや考えを取り出しているようだった。


「その、わたしも、闇の怖さは知ってつもりですから、て言うか闇の『ディストキーパー』ですから! あれかもしれないですけど、何でも言ってくれたら、協力しますんで……」


 ね! と何とかまとめた。アキナは少し苦い笑いを浮かべ、頼らせてもらうと応じた。


「そうだ、トウコ」


 視線を戻し、アキナは自分の「ホーキー」を取り出した。


「また今度、あたしの技の名前も付けてくれよ」

「あなたの技、ただのパンチやキックじゃない」


 想像もつかないわ、とトウコは肩をすくめる。


「じゃあさ、さっきのデカいビームみたいなヤツ」

「『トータル・エクリプス』ね」


 即座に技の名をトウコは挙げた。

「それ。あんな感じのを、あたしができるようになったらさ。その時に頼むよ」

「実際見てみないことには分からないけれど……まあ、考えておく」


 期待してる、とアキナは笑った。腫れたような目だったが、どこか吹っ切れたように見えた。


「そろそろ帰るよ。もう結構遅いし」


 既に時刻は午後十時を回っていた。「ディストキーパー」の戦いは、夜間が多いのである。


「また来ていいか?」

「もちろん」


 うなずき合い、アキナはくるりと背を向けた。


「じゃあ、また」


 軽く手を挙げて、アキナは帰って行った。


 さようならー、とその背に手を振り続けるサヤにトウコは向き直る。


「三住、あなたはいつ帰るの?」

「あ」


 手を振るのをやめて、サヤは口元を押さえた。


「じゃ、じゃあわたしもお暇しますね……」


 サヤはどこか名残惜しそうにスカートのすそをいじった。


「あ、あの、最後に……」


 怪訝な顔を向けると、サヤは咳払いをして真面目な口調でこう尋ねてきた。


「昔、引っ越してきたって言ってたじゃないですか。何があったんですか?」


 トウコは片眉を上げる。無表情の彼女にとっては、これだけでも動揺が顔に表れてしまった、と言えよう。


「面白い話ではない。それに、よくあること」


 言外の意味を察したのか、サヤはそれ以上追及することはなかった。ただ、一言だけつぶやいた。


「わたしも同じです。私立の中学校に進んだのは、そういうことなんですよ」


 薄く笑って、サヤは「それじゃあまた」と部屋を出て行った。


 残されたトウコは自分の体を投げ出すように、ベッドに寝転がる。


 話し過ぎたな。まあ、アキナの気が少し楽になったならいいけれど。


 ごろりと寝返りを打ち、今はどこにもいなくなった少女の名をつぶやく。それは最早他人のように響いて、誰にも聞かれないままに消えていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ