5-2
「わたしも長く『ディストキーパー』をやってますけど、あんな相手は初めてでしたよ……」
戦況は一見して互角であった。闘士型の剣はアキナの体を覆い、動かす「紫の炎」を貫くことはできずにいた。一方のアキナも、その火力をもってしても闘士型の守りを崩せずにいた。
(だけど、このままじゃ……)
朦朧とした意識の中、アキナは体の主導権を取り戻そうと必死であった。彼女には分かっていたのだ、徐々に闘士型が圧し始めていることを。
こんなものに身をゆだねても、尚勝てないというのか。アキナは歯噛みする。
天才空手少女と呼ばれたアキナとて、敗北を知らないわけではなかった。ただ、その負けというのは大抵、友人の浅木キミヨの優しさには敵わないとか、テストの点とか、友達の数とか、アキナの苦手な分野に関してが大半であった。
こと、荒事で負けたのは片手の指で数えられるほどの回数しかない。同年代はおろか年上の男と試合をしても勝ったし、五人を相手にケンカをしても勝った。
だが、あの一回。痴漢野郎の卑劣なリベンジマッチ。あれからケチがついた気がする。
パサラはアキナのことを「過剰に不幸だ」と言ったが、それこそ負け犬への評価そのものではないか。
「ディストキーパー」になったことが間違いなのか。敗北から立ち上がったつもりが、アキナはまだあの公園で倒れたままなのかもしれない。
体と精神は乖離しているせいか、余計なことばかり考えてしまう。取り戻そうとする意識が緩み、「紫の炎」はまたアキナに大きく叫ばせた。
そして跳び上がり、闘士型の首筋目掛けて後ろ回し蹴りを放つ。甘い蹴りだ、ただの力任せでしかない。あたしならもっと、うまく力を使えるのに。
アキナの危惧通りと言うべきか、闘士型は大味な技の隙を見逃さなかった。するりと身をかわし、がら空きの脇腹に剣を叩きつけた。
「があっ!?」
人間の声がアキナの口から漏れた。紫の炎を貫通し、腹部が大きく切り裂かれる。地面に伏すアキナは、その痛みで体の主導権が自分に返ってきたことを知る。
期せずして暴走は解けた。それは勝機が完全に失せたことと同義であったが。
腹を押さえ、立つに立てないアキナを闘士型の白い眼が見下す。大上段に剣を構え、その首筋目掛けて振り下さんとしたその時、アキナの視界の隅で黒い影のようなものが動いた。
この「インガの裏側」には、影は存在しない。影を作る太陽が空にないためである。唯一の例外は、闇の「ディストキーパー」である彼女の足元だけ――
「……サヤ!?」
闘士型の足首に影は絡み、その全身を覆うように上っていく。闘士型は鼓膜を引っかくうめき声を上げて、剣を振りかぶった状態で静止した。
「『秘技・影縛り』! なーんて、わたしも名前付けちゃいました」
「『シャドウ・スナップ』にしなさい」
闘士型の背後、数メートルのところにトウコとサヤの姿が見えた。トウコの両腕は無事で、アキナは目を見開く。
「アキナさん、早くこっちに! あんまり持ちませんよこれ!」
気力を振り絞り、体を引きずるようにしてアキナは二人に合流した。
「厄介な暴走が解けていてよかった」
皮肉のようなトウコの言葉に構わず、アキナは尋ねる。
「お前、腕は……?」
「くっついた」
端的に述べ、トウコはアキナの腹部に銃口を向ける。
「手をどけて。傷を治す」
言われるがままにそうすると、拳銃から暖かな光が照射され、たちまちの内に痛みが引いていく。そればかりか、体力すら戻ってくるようだった。
「こんな力が……?」
「さっきできるようになった」
淡々とした口調だが、自慢げに聞こえる。何とご都合主義な。だが、助かった。三人揃えば、何とかできるやもしれない。
ガラスを割るような音が響き、振り向くと影色のツタを引きちぎり、闘士型が改めて剣を構え直していた。
「『影縛り』を……」
「『シャドウ・スナップ』」
「し、『シャドウ・スナップ』をこんなに早く破るなんて……!」
律儀に言い直し、サヤは白い杖を握り直す。
「で、作戦は?」
「やはり剣を狙ってほしい」
「囮はわたしが。アキナさんはその隙に」
既に話し合ってあるのだろう。サヤはそう言って杖を地面に突き立てた。影がどろりと広がり、闘士型の足元へ迫る。
闘士型は剣を叩きつけ、最前のように影を断ち斬った。アキナは一跳びで距離を詰め、剣の鍔を両足で挟み込むように着地した。同時に、振り下されたその腕を抑え込む。
「いい加減燃えろ!」
かつてサヤが語ったように、「ディストキーパー」の攻撃はすべて「インガの改変」である。闘士型のような密度の高い強力な「ディスト」は、「インガの改変」に対し高い抵抗力を持っている。何度も攻撃を仕掛け、回数を重ねることでその守りは崩すことができる。
暴走時の紫の炎が何度も触れていたことも影響しているのだろう。アキナの半ば自棄のような叫びと共に、遂に闘士型の手首に火が灯った。
闘士型は耳をつんざく叫びを上げた。これまでとは違う、苦悶の音を残して響く。
緩んだ手を強引に剣の柄から引きはがし、「おまけだ」とその腹を蹴りつけた。
「剣を拾って!」
サヤからの指示が飛ぶ。地面の上に残された剣をアキナは持ち上げた。重い。よろめいたが、一太刀浴びせるぐらいならば何とでもなる。
「邪ッッ!」
気合一閃、振り抜かれた剣を闘士型は盾で受け止めた。重い金属音、そしてみしりと軋むような音が聞こえた。
アキナは衝撃に震える腕を抑え込む。刀身にひびが入っている。受け止めた盾にも。どちらのひびも蜘蛛の巣のように、あるいは稲妻のように広がり、砕けた。
「避けろ!」
トウコの声が飛ぶよりも早く、アキナはつんのめりながらも姿勢を低くし右に転がるように飛び退いていた。
盾を失った闘士型にトウコは二つの銃口を向け、引き金を引いた。
「『トータル・エクリプス』」
必殺の光の奔流は、闘士型の体を飲み込み消し飛ばした。
「ヤバかったなあ……」
あんな奴がいるのかよ、とアキナはため息を吐く。
「わたしも長く『ディストキーパー』をやってますけど、あんな相手は初めてでしたよ……」
作戦うまくいったわね、と言おうとしたトウコの視界がぐらりと回る。
「と、トウコさん!?」
「大丈夫か!?」
立ちくらみか。サヤに体を支えられながら「大丈夫」と応じようとしたが、声がうまく出ない。駆け寄ってきたアキナが、トウコの左肩を抱く。
『能力の使いすぎだろうね』
「パサラ!」
戦いが終わったことを感じ取ったのか、テレパシーで話しかけてきた。
『よもや、あのレベルの「ディスト」に勝ってしまうとは。正直驚いたよ』
今更出てきやがって無責任な、とアキナは毒づいた。
「そ、それより能力の使い過ぎって……」
『三人を回復させた上に大技を撃ったんだ、負担は大きいだろうね』
特に回復は体に蓄えた「インガクズ」の消費が大きい、とパサラは説明する。トウコの行った回復は、トウコの「インガクズ」を相手に分け与えるものだそうだ。
『「インガクズ」は君達にとっては、血液や細胞みたいなもの」
「貧血を起こしたようなもの、ということですね」
先回りしたサヤを、パサラは『そうだよ』と肯定する。
「それで、トウコは大丈夫なのかよ?」
『急激に使いすぎただけだからね、少し休めばよくなるだろう』
そうか、とうなずきアキナはトウコを抱え上げる。いわゆる「お姫様抱っこ」の形であった。
「家まで運んでやるよ」
駅の方だよな、とアキナが確認すると、何故か元気よくサヤがうなずいた。
「この間とは逆ですね」
「ちょ、ちょっと……」
「何? 『インガの裏側』通るから、いいだろ?」
きょとんとするアキナの顔が近くにあるのが、妙にむずがゆかった。
「別に……」
トウコはそっぽを向いた。顔が赤いのを見られたくなかったのである。