5-3
「あんたは他の誰かのことなんてどうでもいいんじゃないかって思ってた」
『再び揺らぎを感知。早く逃げるんだ』
「逃げてもこいつ、勝手に暴れるんだろ!?」
パサラにアキナが怒鳴り返す。
『この「ディスト」は何故か「ディストキーパー」を襲うことを主眼にしている。君たちが離脱すれば暴れるリスクは下がる』
「悪いが、逃げられそうにない」
闘士型は地面にめり込んだ剣を抜き放ち、油断なくこちらの気配をうかがっている。背を向ければ、すぐにでも斬りかかってくるだろう。トウコかアキナ、どちらか片方が囮になれば逃げられるかも知れないが――その案はさっき却下した。
闘士型は、今度はアキナに刃を向ける。突進をボクシングのバックスウェーのような動きでかわし、アキナはパサラに尋ねる。
「誰か手は空いてないのか!?」
『いるにはいるけど、下手な戦力投入は、死体を増やすだけだ』
残る四人の内、最も強いオリエと連絡がつかないらしい。
「この二人で、ここで倒すしかない」
トウコは闘士型の背後から引き金を引いた。弾丸は闘士型の面前で破裂し、強烈な光を放った。闘士型がひるんだその隙に、アキナは横をすり抜けるようにして離脱しトウコと合流した。
『勝てる可能性は低いよ?』
闘士型はこちらを向いた。「ディスト」に感情があるのかは知らないが、怒っているように思えた。
「勝機は、ゼロでないのでしょう?」
トウコの心に迷いはない。ゼロでないならばやれる。何故かと聞かれても明確な答えは用意できないが、確信があった。
「それに他の『ディストキーパー』を殺しているなら、ここで倒すべき」
トウコがそう言い切ったとき、アキナは少し不思議そうな顔をした。
『私は止めたからね。一応健闘は祈る』
パサラはそれだけ言って通信を打ち切った。
「意外だな、あんたは他の誰かのことなんてどうでもいいんじゃないかって思ってた」
「別に。なめられるのが嫌いなだけ」
闘士型は剣をこちらに向けて払った。アキナも向き直って構えをとった。
「それで、何か作戦でもあるの?」
「剣の威力と盾の硬さが厄介」
見たままの感想だが、それ以上はない。シンプルに強いから手強いのだから。
「特に盾。硬さに攻撃が弾かれている。だから、盾を壊せれば……」
「だから、こっちの攻撃が盾に防がれるんだろ? 矛盾してるぞ、その作戦」
その通りではある。あの盾をも壊せるとなると……待てよ? 矛盾?
「どうやら、やれそうだ」
「マジかよ。で、どうすればいい?」
「剣を持つ手を狙って」
援護する。その声を合図に、アキナは闘士型に肉薄した。大振りな剣の攻撃をかわし再び懐に潜り込むと、闘士型の剣を持つ右腕を抱え込んだ。
「燃えろッッ!」
発火を試みるが、またもつかない。何回でも、と締め上げようとしたアキナの体が浮いた。
「うわっ!?」
闘士型はアキナごと右腕を持ち上げると、更に彼女の足を左手で掴んだ。
「ちっ!」
両腕が使えない今しかない。作戦通りではなかったが、トウコは充填を終えた「エクリプス」向ける。
「『トータル……』ッ!?」
トウコは思わず引き金を引く指を止めた。闘士型は強引に腕からアキナを引き剥がし、こちらに向かって放り投げたのだ。
「がっ!?」
「ぐうっっ!?」
アキナとトウコはもつれ合うようにして倒れた。そこへすかさず闘士型が距離を詰めてくる。
避けねば。だが、トウコに覆い被さったアキナは、痛みに顔を歪め動けないでいる。闘士型はその上から剣を振り下ろそうとしていた。
やむを得ない。トウコはアキナを無理矢理引きはがし、突き飛ばした。刃が彼女の身に迫る。
「ッッ!!」
悲鳴を上げなかったのは、ひとえにトウコに上書きされている人格が、冷静沈着と設定されていたからであろう。
その身をかばうように出した左腕の、肘から下が斬り飛ばされていた。
「トウコォ!!」
アキナが叫んだのと、闘士型が無防備なトウコの顎を蹴り上げたのは同時だった。トウコの体は宙に舞い、ボールのように地面で跳ねて転がり、動かなくなった。
アキナは痛みに震える体に鞭を打つように、何とか立ち上がった。
闘士型をにらみつけるが、その視線に力はない。相手もそれを理解しているように、ゆっくりとアキナに近付いてくる。
このままでは、やられてしまう。迫りくる危険は記憶を刺激し、あの「インガの改変」の夜のことがそのまま蘇ってくるようだった。
闘士型の姿があの男と重なる。体が重い。まるで黒い水で満たされた沼の中に放り込まれたようだった。周囲は凍てつくように寒く、体の奥だけが燃えたぎるように熱くなってきた。
呼吸が乱れる。動かない体を動かそうと、何か別のものが這い上がってくるようだった。奥底で熱を発していたそれは、口を鼻腔を眼窩を毛穴を、体中のあらゆる穴を通って外へ出ようとし始めた。
やめろ。脂汗がじっとりと滲んでいる。頭を振る。消えない。振り払えない。
全身を内側から熱し、傷つけ、かきむしり、アキナのすべてを食い尽くそうとする。
「やめろぉぉ!!」
振るった腕に紫の炎が揺らめく。その軌跡をなぞるように、その異様な火炎が前方へ飛んだ。闘士型は腹の底に響く「ディスト」特有の声を上げ、盾でその身をかばう。警戒したように後退り、剣を構え直した。
思考はぐるぐると渦を巻いて、周りを見えなくした。体は何も言うことを聞かなくて、頭と完全に切り離されたように思えた。アキナの意思を無視し、足を踏み切り、闘士型に蹴りを見舞う。
闘士型は盾でそれを防ぎ、剣を振るった。これまでの大振りではなく、素早い三連撃だ。
アキナは、いやアキナの体を覆う「紫の炎」は、それを避けるでなく受け止めた。強い衝撃が体に走るが、腕は斬り落とされず無事であった。炎で絡めるように剣をいなし、今度は上段蹴りを放つ。
またも盾で受けられるが、相応の衝撃はあったらしい。闘士型は押し込まれるように後ずさる。「紫の炎」は大きな雄たけびを上げさせ、アキナの体を引きずるように肉薄した。
その声は、人ではなく最早「ディスト」のものと変わっていた。
また暴走している。意識を取り戻し、トウコは半ばあきれたように思った。
闘士型だけでも厄介だというのに。立ち上がろうとして、左腕の肘から先の感覚がないことに気付く。
そうだ、斬り落とされたんだ。辺りを見回すまでもなく、左腕はすぐに見つかった。
こうして自分の左腕を見下すというのは、おかしな気分だった。まったく不気味さも、何も感じないのは、性格をいじくったせいだろうか。
トウコは無造作に左腕を拾い上げ、切断された部分をくっつけてみた。
つくはずもない、か。「ディストキーパー」の回復力をもってしても、切断された四肢を取り戻すことはできないらしい。
回復か。ふとトウコは思い当たる。回復の力が自分にあれば、サヤも治してやれる。アキナの暴走は分からないが、少なくともサヤが加われば今より戦局はマシになるだろう。
ゲームなんかでは、光で回復したりもするのだけれど。胸と右腕で、斬り落とされた左腕を挟むようにしながら、トウコは肘と下腕の接合部に「エクリプス」の銃口を突きつけた。
イメージするのだ。攻撃する弾丸ではなく、包み込む光のような癒しの力を。
そう、太陽のような。
耳の奥に高い音が響く。銃口が微かに光っている。今までにない柔らかい光だった。