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「わたしはエリイと、本当の友達でいたいのだと思う」
『君の言った通りだったよ』
部屋の中に突然現れたパサラに、驚いた様子もなく空井ヒメは応対した。宿題から顔を上げ、回転椅子ごと振り向くと、パサラに自身の膝の上に乗るよう勧めた。
『危ないところだった。ことに及ぶ直前だった』
「そういうのって、先に知ったりできないの?」
『気配は分かるけれど、こうして事前に分かっていた方がこちらとしても負担は少ないからね』
助かったよ、とパサラは丸い目を細めた。
「こちらこそ、ありがとう。わたしからは言いにくいから……」
『そこなんだけどね』
パサラには、いや「エクサラント」には、人間の特に少女の抱く感情について、これまで数多の「ディストキーパー」を作り出してきた経験が、データとして蓄積されている。そのことから真実を歪めて伝達することもままあった。
例えば、パサラがエリイに告げた内容、すなわち「性交で『ディストキーパー』は暴走する」という話は事実ではない。確かに不都合や弊害は存在するのだが、それらの真実を伝えるよりも暴走にまつわる話にした方がより有効で、且つ精神的ショックも少ないという判断である。
これらのデータを踏まえて、『一つわからないことがある』とパサラはヒメを見上げた。
『こういうことをすると、大抵の場合反感を買うんだ。「かわいそうだ」とか「恋くらいさせろ」とか、そういう意見が他の「ディストキーパー」から出てくる』
しかし、ヒメはむしろ率先してパサラに協力した。このことが不可解だ、と首を傾げるような仕草をする。
『特に、君はエリイと仲がいい。こういう立ち位置にいる子は、大体食ってかかってくるんだけれど』
「そうかもね」
ヒメはパサラの頭部の毛を撫でた。
「だからわたしも、面と向かっては言えない。きっとエリイは、わたしに応援してほしいから」
ふむ、とパサラはうなずいた。
『そこまで考えていて、どうして?』
「えらく気にする……」
データの収集さ。パサラはあくまで事務的な調子だった。ヒメは一つ息をつくと、パサラを抱きかかえるようにしてその頭頂に顎をのせた。
「わたしはエリイと、本当の友達でいたいのだと思う」
『「本当の」?』
「そう。わたし、友達いないから」
卑下するような口調でもなく、きっぱりと。彼女のまとう冷気のような厳然さで言い切った。
『そうなのかい? ここの「ディストキーパー」の中では、多い方だと思うけれどね』
学校でたくさんの子に囲まれているじゃないか。そう言うパサラに、「そんなことまで知ってるの」とヒメは呆れたように笑った。
「でも、あれは友達じゃない」
『君への憧憬は見て取れるけれどね』
「憧れは、分かり合うこととは違う」
嫉妬とかも、もちろん。ヒメは言い添えた。
「傲慢な言い方だけどね、みんな一歩引いてるんだ。わたしと勝負しない。並びたくない、って思ってる。わたしが絶対に勝つから」
言葉ほどには驕りの感じられる口調ではなかった。あくまで淡々と、事実を述べている風に聞こえた。
「わたしの『最初の改変』はもちろん覚えているでしょう?」
この年の春休みのことだ。四方が真っ暗い空間で、ヒメはこの「エクサラントの使い」と出会った。
パサラはその場所を『君の脳の中、もう少し人間に寄せた言い方をするならば、心の中』と説明した。ヒメはこの時、交通事故に遭って意識不明の重体であった。死にゆく彼女をパサラは「過剰な不幸の犠牲者」と呼んだ。
命と引き換えに「ディストキーパー」となったヒメは、それから検査等もあり一週間ほど入院していた。
「その間、クラスメイトは誰もお見舞いに来なかった。春休みだからというのも、あったのかもしれない。大きな事故だったから、遠慮したのかも。そういう理屈はいくらでもつけられるけど……」
ヒメは少しうつむいた。パサラに触れるのをやめ、右手をだらりと垂らした。
「友達と呼んでいるだけの上っ面な関係なのかな、って。十年後とか二十年後、名前も忘れているのだろう、って。もしかしたら、いなくなればいいのにって思われてるのかもって、色々と考えた」
でも、とヒメの目は少し穏やかになる。
「エリイは、あの子は違う」
エリイが「ディストキーパー」になったのは、ヒメから遅れて一か月ほど後のことだ。
「最初は同じだと思っていた。きゃーきゃー騒ぐだけの、理解してくれない子たちと」
知り合った当初にエリイの示した反応は、ヒメの厭うそれだった。
「でも、一緒に戦ってるからかな、段々違うんじゃないかって、思えて」
だから「本当の」友達になろうと考えた。戦いの中でエリイと出会えてよかった、ヒメはそうも言った。
「真っ直ぐに、わたしに負けないような女の子になろうって、そう思ってるから」
『戦いに対しては後ろ向きだけれどね。そろそろ、強くなってきてもいいころなのだけれど』
優しい子だから、とヒメは柔らかく笑った。「そう、だからこそ」とすぐに厳しい表情になる。
「あんな男とは、別れた方がいい。本当の友達なら、そう言うべき」
『ならば、直接言えばいいんじゃないかい?』
ヒメはかぶりを振る。
「わたしがそう思っていても、エリイがどう思っているかは別。わたしの片思いかもしれないし、それに……」
ヒメの語ったことに、パサラは体を縦に揺すった。『確かにね』と応じ、ふわりと宙に浮きあがった。
『なかなか貴重な話が聞けたよ』
「何だか、愚痴を聞いてもらったみたい」
気にしないでくれ、とパサラは応じる。
『「ディストキーパー」の精神の安定も、私達の仕事だから』