一時間目
俺の席は教室の窓側の一番後ろ、俗に言うアニメの主人公席だった。
でも今はその後ろの空席がルアで埋まってしまったため、俺は主人公の座を奪われている。
ルアはこの時間教科書を借りなきゃ行けないのだが、彼女の席は一つだけはみ出た最後列でお隣がいないため、必然席を移動して俺の隣に来る必要があった。
ルアが机を持って俺の右隣にくると、元々俺の隣だった女子「賀古貝さん」と俺の真ん中にルアが挟まり、三人席が繋がった状態になった。なんだこの状況。
「こんにちは来栖さん。私は賀古貝茉結。よろしくね」
「こちらこそ。来栖真希菜です。マキナでいいですよ」
「うん。マキちゃんね。私のこともマユって呼んで」
なんだこの女子同士のお友達スキル。もう親友になったらしい。
授業開始の号令のあと、現代文の授業が始まった。
ルアが横で目配せしてくる。
「……龍ヶ崎くん、教科書見せてもらってもいい?」
「ああ、そうか……」
そうだ、まだ俺教科書もノートも出してなかった。
俺は鞄を探ろうとして、気が付いた。
「……あれ」
やばい。
「バッグ、忘れて来た……」
「え?」
なんでだ? どこで? あー。思い出した。おとといの事件で、突然魔術師に襲われた時に、ビビってバッグ放り出してきてそのままだ。まだあの道ばたに落ちてる。
「バッグの中に教科書が入ってたの? ……じゃあ教科書もノートも、今持ってないの……?」
あたりまえだろ。ついでに言うと筆記具も体操服もない。
ルアが困っていると、横で賀古貝さんが声を掛けて来てくれた。
「マキちゃん、教科書ないの? 私が見せてあげるよ」
なんだこいつ、女神か。マユちゃんが教科書をルアの手元に押しやる。
「怜士くんもでしょ? 一緒に見よう」
聖女か。俺の中でマユちゃんの好感度が急上昇した。
「ありがとう」
授業中は自然と俺とマユちゃんが教科書を持ってるルアの方へ肩を寄せ合う形になるので少し歯痒い。俺は最低限授業の内容についていけるように、チラチラ教科書を盗み見るだけにしておいた。机の上にノートもシャーペンも出してないとなると、相当心許ないし手持ち無沙汰になる。
突然、先生に名前を呼ばれた。
「じゃあー、ここ、龍ヶ崎。読んでくれ」
へっ? 何でここで俺??
「はい」
俺は取り敢えず音読の為起立する。
どうしよう。今は先生は黒板の方向いてるし、こっち向いたとしても俺の机の上は前の席の奴のお陰で見えないだろう。でも下を向きながらルアの手元にある教科書を読んだらどうなる。注意されるかも知れない。かといってマユちゃんの教科書を手に取るのも気が引ける。
黙っている訳にもいない。俺は意を決して、遂に右手で顔を覆った。
近くにいるルアにも見えない。右手を庇のようにして右のこめかみにあてる。何か考え事をするかのようなポーズをとったまま、俺は万人の死角になった右目に、邪眼を発動させた。
邪眼発動中は虹彩が赤く光ってしまう。その為に俺は右目を隠したのだ。
眼球の中で、もう一つの目が開眼される。
その瞬間、視界が一気に開けたような錯覚を味わった。
凄い。右手越しにでも、瞼を閉じていてもマユちゃんの教科書が読める!
開いてあるページだけじゃない。その本に書いてある全ての情報が可視化されて脳に直接送り込まれてきた。
「……『Kは小さなナイフで頸動脈を切って一息に死んでしまったのです。外に創らしいものは何もありませんでした。私が夢のような薄暗い灯で見た唐紙の血糊は、彼の頚筋から一度に迸ったものと知れましたーー』」
俺は右手を下し目を閉じたまま、スラスラと文章を読み上げる。読み終わると邪眼を切って、瞼を開けた。(ドヤァ)
目を開けると先生が、ずっと俺を見ていた。
(……え。……何か?)
「……今、目、閉じたまま朗読してなかった?」
「えっ、い、いや……」
だめだ。下手に誤魔化すと怪しまれる。
「はい。実は俺この小説大好きで、テスト範囲だしってことで暗記してきちゃったんですー」
「ほう! そりゃすごい」
先生に感心された。え、何、この小説、短編じゃないの? クラス中の視線が集まってくる。マズい。
「じゃあ、もしかしてあの有名な冒頭の部分も暗唱出来るの? 教科書には載ってない部分だけどさ、ちょっとやってみてよ」
このオッサンの好きな小説だったのか……。なんか先生がワクワクして俺を見ている。メンドくせえ。
どうしよ。断りづらいし、教科書載ってないなら読めねえよ……。
俺は取り合えず目を閉じ邪眼を開き、思い出しているような間を取った。
目を閉じている俺の前で、先生が何か本を取り出し、開いているのが分かる。あれは……原作小説の文庫本? 俺が本当に暗記しているか試すつもりか!
丁度良い。俺は先生の手に持った文庫本の始めの行から、諳んじてるように見せて読んでやった。
「『私はその人を先生と呼んでいたーー』」
俺が一段落完璧に読み終わり邪眼を閉じて目を開くと、先生の賞賛の眼差しとクラス中の拍手で迎えられた。
俺は照れながら着席し、「すごいね怜士くん!」と目をキラキラさせてくるマユちゃんに「まあね、ははは」と白々しい照れ笑いで返す。
ルアが隣で、もの凄い疑惑の目で俺の事を見つめていた。