第四話
いつの間にか眠ってしまって、目を覚ますと一人の女性と向き合っていた。少し慌てて腕時計を確認すると、到着予定時刻の一時間前を指していた。
一息ついて腕時計から目を離したら、前に座る女性と視線が重なってしまった。二十代半ばくらいの彼女は申し訳なさそうに会釈して、窓のほうに顔を向けた。淡い栗色のセミロングが揺れた。喉の手前までシャンプーの匂いが入り込んだ。
僕も窓の外を眺めてみた。都市開発の工事を三日であきらめたような山村が映った。再び彼女の方へ視線を戻す。見るべき景色など何もないのだ。
彼女は生真面目に車窓の風景を眺めていた。右手にはペットボトルのミルクティーが握られていて、時々それを柔らかそうな唇まで運んでいた。その動作は、テレビの中で張り込みを続けるベテラン刑事を思い出させた。
やがて彼女はあきらめたように視線を落とした。見るべき景色など何もないのだ。
彼女は隣に居座る黒いグッチのトラベルバッグから携帯電話を取り出した。2、3回キーを鳴らしたあと、少し乱暴にバッグの中へ放り込んだ。今我々が移動を続けるこの場所が圏外だということは、車窓の風景を見ていれば分かることだった。
十分くらいのあいだ我々は読みかけの推理小説のしおりを引っこ抜いて、ミルクティーを飲んで、しおりを元に戻して、空いたペットボトルをトラベルバッグに押し込んだりしていたが、結局は風景を眺めることに落ち着いた。
列車はさび付いた鉄橋に差し掛かった。赤茶色の鉄格子の隙間から地球を一周してしまいそうな長い川が見えた。彼女が安心したように短い溜息をついた。
トンネルに入ったようだ。窓から太陽の光が消え失せて初めて天井の蛍光灯の存在に気付いた。
誰かが咳をした。痰が絡まったような不吉な咳で、ずいぶん長い間苦しそうに撒き散らしていた。その最中に、他の誰かが窓を押し上げる音がした。人間とはつまり、そういうものだ。
トンネルを抜けると、そこは開拓を一週間であきらめたような集落だった。田んぼすら見当たらない。僕は帰郷するたびにこの辺りの人たちがどうやって生計を立てているのか疑問に思うのだ。月に一度、集落総出で列車強盗をするのかもしれない。
彼女はまた視線を落としていた。僕の革靴のあたりを見て、窓のほうに顔を上げ、ためらいがちに僕を見た。
「オレンジを、一緒に食べませんか?」
彼女はそう言った。