第三話
「招待状はカバンに入れた?」と彼女は言った。
「入れたよ」と僕は言った。
「いってきます」と僕は言った。
「いってらっしゃい」と妻は言った。
ドアを開けると、秋を通り越した冷たい空気に触れた。半袖のシャツから伸びる腕にタオルを一枚かけたくなるほどの冷たさだった。少し考えて、これが秋なんだと認識するように努めた。肌はつい先日までのぬるま湯のような熱気は覚えていたが、一年前の冷ややかさは忘れていた。僕は秋がどんなものだったかを忘れていた。
いつもそうだ。僕は訳もわからぬまま秋を通り過ぎ、染み入る寒さの中にいた。
ガチャン。鍵をかける音。
僕がいなくなる二日間のあいだ、妻はどう過ごすのだろうか。きっと洗濯物を片付けて、僕の部屋に掃除機をかけて、安物のインスタントコーヒーを淹れて、真昼間のニュースを見ながら・・・。考えるだけ無駄だった。彼女はとてもまともな女性で、それ以外の無駄な説明は必要としなかった。
もしかしたら、二日間のあいだに映画を見に行くのかもしれないし、古い友達とどこかのレストランへ出掛けるのかもしれない。でもそれはとてもまともな流行の恋愛映画で、とてもまともな女性誌に載るようなレストランだ。ヒロインの一途な想いが切なかったとか、子羊の肉が口に入れた瞬間溶けてしまったとか、そういうまともな感想を抱いて彼女は帰宅する。そして僕が帰宅する。彼女はまた洗濯物を片付ける。
まるで悲劇だった。時間をかけて流れ落ちた、角のない川石のような悲劇だった。
角を曲がる。ざわめきが単音になって聞こえてきた。
大通りに出ると、まばらに人々が点在していた。ラッシュアワーの時間は過ぎていたから、まさに人々はまばらだった。ロータリーの先に見える駅に真っ直ぐに吸い込まれたり、吐き出されたりする人もいたが、たいていの人は何故そこにいるのかが分からなかった。本人たちも分かっていないような顔をしていた。
僕は同窓会に参加するためにここに来たはずだ。でもそんな事は、僕も含めて誰も分かりはしなかった。