異世界で出会った従兄が、ヒロインを秒で諦めた話
朝。
館裏の練習場で、結花は一人、桜を顕現させていた。
淡い光を帯びた刃が、朝の空気を静かに裂く。
踏み込み。
振り下ろす。
その瞬間――
空気が、ぴしりと歪んだ。
光が、弾ける。
思わず振り返る。
館の裏屋根の上。
どん、と鈍い音が響いた。
瓦を擦る音。
人影が、屋根を滑り落ちてくる。
「危ない!」
結花が駆け出す。
影は体を捻り、受け身を取りながら地面に転がった。
砂埃が舞う。
「……っ、いてぇ」
ゆっくり顔を上げる。
「今度はどこだよ、ここ」
茶色の髪。腰には刀。
ふと、目が合う。
黒い瞳――
その瞬間。
風が、ふわりと舞った。
心臓が、強く跳ねる。
目の前に立っていたのは、
刀を携えた少女。
黒髪が風に靡く。
朱色の簪が、きらりと光った。
驚いたまま、まっすぐこちらを見つめている。
……か、かわいい。
思わず頬が熱くなる。
言葉が出ないまま固まっていると、
少女が気遣うように声をかけてきた。
「あの……怪我は、ありませんか?
屋根から落ちてきたみたいですけど……」
優しい。
可愛い上に、優しいとか反則だろ。
いつもは訳の分からない世界に放り込まれて、
理不尽な目にしか遭わないのに――
今回、当たりじゃないか?
「いや、大丈夫大丈夫。
俺、慣れてるし。受け身もちゃんと取れたからさ」
そう言って、すくりと立ち上がる。
服についた砂埃を払う。
少女は、ほっとしたように微笑んだ。
その笑顔に、また胸が跳ねる。
「……俺、武藤飛葉。
ショウハでいいよ。よろしくな」
軽く手を差し出す。
その瞬間、彼女の瞳が大きく見開かれた。
「……武藤?」
動きが止まる。
どうした?
「ああ、苗字。俺の。……君は?」
首を傾げて問う。
彼女は一瞬、躊躇い――それから口を開いた。
「結花。……武藤、結花」
胸の奥が、わずかにざわつく。
「あなた、もしかして……分家の――」
「ユイカ!」
若い男の声が、鋭く響いた。
館の曲がり角から、必死な顔で駆けてくる。
揺れる茶色の髪。
真っ直ぐにこちらを射抜く、赤い瞳。
「……ユーリスさん」
彼女の頬がわずかに染まる。
青年は迷いなく間に入り、結花を庇うように前へ立つ。
「……今の光は?お前……何者だ?」
低く、鋭い声。
赤い視線が、まっすぐ飛葉を射抜く。
その背で、結花の指先が、そっと青年の袖を掴んだ。
――ああ。
そういうことか。
飛葉は小さく息を吐いた。
こりゃ、俺の出る幕ないな。
結花が一歩前へ出る。
「ユーリスさん、大丈夫です。彼は――」
視線を向けられ、飛葉は肩をすくめた。
「怪しいもんじゃないよ。
多分……彼女の血縁だ」
その言葉に、青年の目がわずかに見開かれた。
縁側で、団子をつまみながら三人は並んで腰掛けていた。
「……従兄?」
結花が首を傾げる。
「ああ。俺、ほとんど家に帰らないからさ。みんな忘れてると思うけど」
飛葉は団子を一口かじり、自嘲気味に笑った。
「あ……」
結花が、はっとしたように顔を上げる。
「そういえば、深兄が言ってました。従兄に、界渡りの能力を持つ人がいるって……それが、あなた?」
飛葉は団子をもう一口かじった。
「勝手に飛ばされるんだよ。自分じゃ制御できない」
少しだけ視線を遠くへ向ける。
「どれだけ異世界に行ったか、もう覚えてない」
そう言って、また笑った。
「まさか異世界で身内に会うとは思わなかったけど……」
飛葉は結花へ視線を向ける。
「君、妖刀継承者の結花ちゃんでしょ?
俺の記憶じゃ、まだ五歳だったはずだけど」
「五歳?」
結花が瞳を丸くする。
「……ああ。多分、時間軸がずれてるんだろうな。
俺と、君が飛ばされた時期が違う」
軽く言う。
けれど、どこか他人事のようでもあった。
湯呑みに口をつけようとして、空だと気づく。
「あ」
「おかわり、持ってきますね。待っててください」
結花は自然に立ち上がる。
「悪いな」
湯呑みを受け取るとき、指先が一瞬触れた。
ほんのわずかな温もり。
――どくん。
心臓が、跳ねる。
結花は気づいた様子もなく、厨房へ向かっていった。
飛葉はその背を、少しだけ長く見つめる。
草花が、風に揺れる。
一瞬の静寂。
「ショウハ」
それまで黙っていたユーリスが、低く口を開いた。
「……身内でも、ユイカは譲らない」
赤い瞳が、まっすぐ飛葉を射抜く。
飛葉は一瞬目を見開き、やがて苦笑した。
「心配すんなって」
視線を少しだけ逸らす。
「結花が誰を見てるかくらい、分かる」
短く息を吐く。
「……諦めるのは、慣れてる」
そう言って前を向く。
その横顔を、ユーリスはわずかに瞬きしながら見つめた。
それ以上は、何も言わなかった。
一か月後――
「……行っちゃいましたね」
「ああ」
それだけで、会話は終わった。
飛葉は“客人”としてヴァルガスの館に滞在していたが、ある朝、ふいに立ち上がった。
「帰る準備が整った。そろそろ戻るよ。世話になった」
軽い調子でそう告げる。
裏の練習場――人目のない場所で、結花とユーリスは彼を見送った。
別れは、あっさりしていた。
光が弾け、飛葉の姿が消える。
静寂。
「……飛葉さんか」
結花は小さく呟く。
「日本にいるなら……もう、だいぶ大人なんですよね。なんだか、不思議」
会えるかどうかも分からない。
それでも、深兄に聞けば何か分かるかもしれない――
そんなことを考えていると。
不意に、肩を引き寄せられた。
「……!」
ユーリスの腕。
頬が、じわりと熱を帯びる。
「……ユーリスさん?」
見上げると、ユーリスは飛葉が立っていた場所を見つめていた。
「……そのうち、また来る」
低くつぶやく。
「血縁だ。……気になるのは当然だ」
その言葉に、結花は目を見開いた。
……確かに。
そのうちまた、ひょっこり現れるかもしれない。
あの、困ったような笑みを浮かべて。
結花は、そっとユーリスの肩に額を預けた。
一瞬の間。
抱く腕に、わずかに力がこもる。
何も言わない。
ただ、風だけが、二人を包むように静かに通り過ぎていった。
ここまでお読みいただきありがとうございました☘️
次回は来週金曜21時頃、「結花の小話集」を更新予定です。
未来息子シリーズも、夏に公開予定です。




