サイレンは冬に哭く ~キャロル~
誰も救われない、暗いだけの話です。
幼いふたりがはにかみつつも口付ける姿を見て、両親らは子の幸せを確信せずにはいられなかった。
厳しい冬が過ぎ、暖かな陽射しの降り注ぐ小春日和。
緑の芽吹始めた、そんななだらかな丘で行われたのは幸せな未来を想像せずにはいられない、ささやかな誓い。
お互いの鼻と鼻を押し付けながら口付けを交わす幼い少年と少女は、皆が思わずつられてしまいそうになる程の満面の笑みを浮かべる。
ふたりを見つめる母たちが優しく微笑む中、少女の父だけは多少顔を顰める、そんな優しい光景だ。
それでもそこにあるのは家族のぬくもりと温かな言葉の恵雨。
ピクニックにと作られた素朴な食事は、いつもよりずっと美味しくて、いつまでもそこにいたいと、そう思わせる様な、そんな幸せがそこにはあった。
「リトルジーク。 キミはうちの子と結婚をするのかい?」
「うん! ぼくはきゃりぃとけっこんするよ」
堂々と言ってのける少年に、彼女の父は衝撃を受けた様に仰け反った。
前々から仲が良いとは思っていたが、こうもはっきり言われるとその衝撃は想像以上のものであった。 それはもうクラッとするくらいには衝撃的だ。
それでも父は気を持ち直して少年を ――将来の息子を見つめた。
「……そうか。
だがそれはまだ早い。
キミが将来ジーク坊でもジークちゃんでもなく、ひとりのエゼキエル・パーマーとしてキャロルを迎えに来たら、その時はおじさんと対決だ!」
少女の父、ロジャー・ブルックスはそう言うと、脅すかの様に全身の筋肉を膨らませた。 ムキムキっと盛り上がる筋肉は正しく巌の如し。
「ちょっと待て、ロジャー。 お前は今錯乱している。 もしそれ以上やるというならオレが相手になろう!」
ジークを庇う様に前に出たのは父、リチャード・パーマー。 彼もロジャーと同じ様にポーズを取った。
暖かな空気、長閑な空気。
そんなふたつの家族の和気藹々とした集い。
エゼキエル・パーマーが6歳、キャロル・ブルックスが5歳の時である。
そんな優しい時間から十年が過ぎた。
* * *
「早く、急いでよジーク、ほらこっちよ」
そう言って少年を呼ぶのは長い金の髪の少女。 その髪は緩やかなウェーブを描き風に棚引いていた。
そんな彼女の口から生まれるのは澄んだ ――小川のせせらぎの様な、鈴の音色の様な澄んだ声。
心地良いその声色に浸りながらジークは彼女へいつもの様に言葉を返す。 寒くなり始めたこの時季でも、彼女とのやり取りはそうそう変わらない。
「お菓子は逃げないよ、キャリー」
声を掛けられた少年は苦笑しつつもその足を速める。
まるで少女と対になりそうな銀の髪は肩程まで伸ばされており、綺麗に櫛で梳かされているようだ。
「あら? 美味しいお菓子は逃げてしまうのよ、ジーク。
貴方の前から何度も消えてしまった事があるじゃない」
「あのね、ボクが気づいていないと思っているのかい? あれはキミが摘まんだんだろう」
「あら? そんな事があったかしら?」
そう微笑む彼女に、ジークは苦笑するしかない。
世は常に惚れた者の負けなのだ。
「ほら。 急いで急いで」
キャロルはジークの手を取り駆け出そうとして、足を止めた。 いや、止められた。
ふたりの前には見慣れない男達が立っていたのだ。
その男達の異質な雰囲気にキャロルは足を引いた。 迫る彼等の様子に引かざるを得なかった。
「キャロル・ブルックスだな」
問いかけではなく、それは断定。 確認ですらない言葉に彼女も、ジークも声を出せない。
「貴様が魔女だとの告発を受けた。 我々と来て貰おう」
男が広げ、提示するのは治安判事の出す逮捕状。
つまり彼等は治安維持官、もしくはそれらに雇われた民兵なのだ。
「馬鹿な!? キャリー……キャロルは一家揃って敬虔な清教徒だぞっ!? 魔女の筈がないだろう!?」
問い詰めるジークに迫られても男の表情は変わらない。 そう言われるのは分かっていたのだろう、無表情に口を開く。
「それを判断するのはお前でも私でもなく、教会だ」
男がそう言い右手を挙げると、直ぐさま後方の男達が動き出した。 ふたりがジークを抑え、ふたりがキャロルを捕縛する。
その動きには明らかな慣れがあった。 必死に抵抗しようにもまだ少年のジークには為す術もない。 腕関節を今にも折らんとする程に極められ、痛みに藻掻く間すらないまま足を払われ地面に押さえつけられたのだ。
そんな相手を前に、キャロルの抵抗など言わずもがなであろう。 抵抗らしい抵抗など出来もせず、縄を打たれ、猿ぐつわまで噛まされている。
それは『被疑者』に対するものではなく、明確な敵意を感じさせる魔女に対するそれだ。
「巫山戯るな! こんな無法がゆるぐふっ!?」
砂を喰らいながら吐くジークの言葉は暴力によって殺される。
荒事に慣れた複数を相手に、十六の少年がひとりではとても対抗出来ない。
周囲の人間はただその様子を遠巻きに見ているだけだ。
『魔女狩り』の凄惨さは街にも村にも届いている。 関わりたくないし、関わって欲しくもなかった。
「――――――――っ!?」
少女の、キャロルの声にならない叫びにジークは応えられない。
応えようとした時、彼の腕は乾いた音を立てて、折られていた。
* * *
それからロジャーを筆頭にブルックス夫婦とパーマー夫婦、ジークの五人は何度も何度も教会へ足を運んだ。 直談判である。
だがその対応は『にべもない』としか言いようのないものだった。
曰く「被疑者は帰せない」
曰く「尋問中の被疑者に会わせる訳にはいかない」
曰く「告発者を教える訳にはいかない」
曰く「牧師様はお会いにならない」
仕舞いには、
「お前たちも魔女か?」「神敵か? 浄火が必要か?」
である。
魔女扱いされ自分達だけが犠牲になるならまだいい。
だが神敵などと認定されようものなら街ごと焼き払われかねない彼等の言動に、五人は結局その場を後にするしかなかった。
そんなやり取りを幾度も繰り返し、やがてジークの腕が治りかけた頃、街の広場に三本の十字架が立てられた。
何処か異質で不気味な、そんな十字架が……。
* * *
真冬の、身を切るような風の吹く中で女達は素足で歩かされていた。
白い貫頭衣を着て、そのくせ彼女たち自身は酷く不衛生な肌色とすえた臭いを発していた。
ひとりは老婆。
街ではなく村はずれに住む、一見偏屈だが根は優しい老婆。
ひとりは中年女。
街中で雑貨店を営む気さくな未亡人。
ひとりは少女。
明るく朗らかな、十五になったばかりの少女 ――キャロル・ブルックス。
彼女たちは一様に手枷を付けられ、ただ歩いていた。
足を引きずるように、まるで死んだような瞳で、一歩、また一歩と……。
* * *
その光景は異常だった。
先頭を歩くのは老婆。
他のふたりと比べ、足腰がしっかりしているように見えてしまうのは、恐らく怪我が少ないせいだろう。 顔や肌の見える腕や足に、打ち身のような跡や痣が無数にあるものの、五体満足なのだ。
彼女に対する『尋問』は比較的落ち着いたものだったのだろう。
恐らくは『尋問』がエスカレートする前に、彼女は自身が『魔女』である事を『自白』したのだ。
二番目に歩くのは中年女。
見れば歩きにくいのは明白だった。 彼女の手足の指には爪がない。 全て剥がされているのだ。
しかしそれ以上に足の歪みが大きな原因だろう。 酷く歪んだ片足はどんな事をされたのか、足全体が紫色に変色しているのだ。
また顔中には殴打と血の跡が残り、その整っていたはずの鼻は大きく歪みを見せていた。
最後尾を歩くのはキャロル。
彼女の姿は見る者が顔を背けるほどのものだ。 ましてや以前の姿を知る者なら尚更な、酷い状態だった。
蒼い瞳にジークの見ていた輝きはなく、酷く虚ろな目で前を、前ではない何処かを映している。
棚引く金の髪は乱雑に引き千切られかつての様相はそこにはなく、爪を剥がされるだけでは済まなかったのだろう、指が何本か欠けていた。
身体の彼方此方からは未だに血が流れ落ち、足跡を赤く染める。 その傷は殴打した程度のものではない。 切り裂かれた肌から滲む血は、白の服を紅く染めるのだ。
そんな彼女は歩く事も億劫なのに違いなく、虚ろな目のまま荒い息を吐いている。 時折覗く口内には、歯が全く存在していなかった。
「「キャロル!!」」「「キャリー!!」」
家族の、ジークの声が聞こえているのかいないのか、キャロルは反応を見せない。
近づきたい彼等だが、民衆が、民兵達が壁になりその邪魔をする。
彼等の声は届かない。 何故なら彼女の心は既に半ば死んでいるからだ。
彼は、彼等は近づけない。 物理的にも精神的にも近づけない。 だからこそ、その声は決して届かない。
彼女が最期に望むのは解放。
ジークとの幸せを夢見た少女は苛烈な拷問に耐えたものの、その夢を絶たれ絶望した。 彼方此方が壊され穢された肉体は、既にただの枷と化したのだから。
だから彼女は自失しながらもその足を止めないのだ。
「キャリー!!」
叫ぶジークも近づけない。
民兵たちはそうさせないのが仕事だ。
民衆達は三人の女で済むならその方がいい。 ここで余計な事をされて自分達に飛び火しても困るのだ。
女達は十字架へ磔にされる。
抵抗らしい抵抗はない。 彼女たちにそんな気力はない。 残っていない。
かつての救世主のように十字架へ架けられた女達の足元へ、やがて火が放たれた。
小さな火は油へ、薪へ引火し大きな炎と化す。
――悲鳴。
老婆の、中年女の、悲痛な叫びが響く中、
「アハハハハハ! アハハハハハ!!」
キャロルだけが嗤っていた。
彼女たちを見捨てた民衆達ですら悲鳴を上げる中、少女だけが狂笑していた。
「アハハ/ヽノヽノヽノヽノヽノヽノヽノ\ノ\ノ\ッ!!」
炎の立ち上がる中、煙でくすむ視界の中、彼女から彼女と似つかわしくない狂った声が周囲へ響き渡る。
「――――! ――――――!」
少年の叫びは群衆の悲鳴に掻き消される。 あまりに異質な狂笑は彼等の恐怖心を煽りに煽った。
だがそんな悲鳴ですら彼女の嗤いは消す事が出来ないでいる。
「アハハ/ヽノヽノヽノヽノヽノヽノヽノヽノヽノヽノヽノ\ノ\ノ\ノ\ッ!!」
狂気が その場を支配した。
いつの間にか、ジークは四つん這いの姿勢で泣いていた。
灼き焦げた少女のいた場所を見つめて涙していた。
彼女は、もうそこにいない。 晒されるはずの彼女がここにいないのは騒ぎに乗じて両親らが連れていったからか。
――ボクは…………どうしたらいいんだろう? これから……なにをしたらいいんだろう?
億劫そうに、まるで幽鬼のようにゆらりと立ち上がるジークの視界に、ひとりだけ映り込んだ誰かがいた。
今の彼のように、ただキャロルのいた場所を見て震える誰か。
そう、震えている誰か、だ。
寒さに?
いや――
「――エリザベス・ハバード!!」
怒声をあげた彼に、少女は大きく肩を震わせた。
「お前が! 告発者かっ!!」
まだちからの入らない、治りかけの腕が彼女の襟首を掴む。
少女はジークを見つめ、泣いていた。
恐怖に、自分の起こした惨劇に、泣くしかなかった。
「ごめ……ごめんなさい、エゼキエル。 こんな……まさかこんな事になるなんて……」
「思っていなかったから、何だ? 許せか?
許せ、と言うのか?
お前は許せるのか! お前なら許せるのか!?
どうなんだ、エリザベス・ハバード!!? お前なら許せるとでも言うのか!!??」
「ああ、許して……許して……」
「許せるものか!! お前が死ぬまで! お前が死んでも! 決して許せるものか!!」
激昂し叫んだジークは彼女を離し、そのまま地面へ放り投げた。
「お前は必ず殺す――! だが今は……」
ジークは教会の方に視線を向けると、踵を返した。
昏い瞳で、教会に背を向けた。
一ヶ月後――。
教会と民兵の宿舎が全焼した。
夜中だったせいだろうか、建物内にいた人達は誰も助からず。 ジーク ――エゼキエルはその姿を現わす事はなかった。
エリザベスを……殺さないまま。
そして時は流れた。
* * *
今年も寒さに震える季節が訪れていた。
身を切るような寒さは、家の壁と暖炉の炎が守ってくれる。
だが、吹き荒れる悲鳴のような狂笑のような風音は彼女の耳へ響いてくる。 あの時のように後悔の念を呼び起こしながら彼女の身を震わせるのだ。
あれから、ずっと、ずっと。
「ああ、エゼキエル……。 早く……早くわたしを殺しに来て」
嘆きの魔女の声が聞こえる。
家戸を閉め切り、耳を塞ぎ、布団を被ってなお聞こえ続ける嘆きの声。
美しく、嫉妬すら覚えた喜びの歌の声が、狂った嗤い声に変わったあの日から、冬のこんな夜にはサイレンの様な嘆きと哀しみの唄が聞こえてくるのだ。
「エゼキエル……恐いの……恐いのよ…………。 早く、わたしを殺してよぉ……エゼキエル……」
そう老婆は ――エリザベスは見えない彼へ、来訪する事のない彼へ懇願するのだ。
嘆きの魔女は冬に哭く――。
セイレムの魔女裁判です。
なので登場人物はみんなピューリタン。自殺は不可ですね。
実在の人物はエリザベス・ハバードだけで他はみんなオリジナルのキャラクターになってます。
彼女も実際こんな目には遭っていないはず……。
キャロル 喜びの歌
ブルックス 小川
愛称はキャリー(幼少時はキャディ、周囲からはリトルキャロル、リトルキャディ)
金髪緩やかなウェーブ。
蒼い瞳。
エゼキエル 神は強くして下さる
パーマー 巡礼者
愛称はジーク(幼少時はジーキー、周囲からはリトルエゼキエル、リトルジーク)
銀髪。肩程まで伸ばしているストレート。
キャロルより若干薄い青の瞳。




