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第25話 ネネヴァ

 毒の沼の畔に立つ家の応接間。ネネヴァとグレイモンドの粗末な服装とは対照的に、部屋の中の調度品は上質なものに見えた。


 ローテーブルを挟むように並べられた革張りのソファは落ち着いた色の上に光沢があり、座る前から心地がよいと分かる。


 ネネヴァは初めてソファに座る子供のように、何度も座面の上で跳ねて遊んでいた。


 グレイモンドは茶の準備をすると言って、応接間から出て行ってしまった。つまり、ネネヴァと二人だ。


「ウォルト、座りなさい」


 ネネヴァが自分の対面を指差す。なんだか偉そうだな。別にいいけど。


「失礼する」


 ネネヴァは俺の所作をじっと観察するように見ている。まるで、値踏みするように。


「ウォルトはどこから来たの?」


 両ひざの上に両肘を置き、手で顔を支えるような姿勢になり、ネネヴァは俺に尋ねる。


「王都からだ」


 ネネヴァの瞳の光が一段落ちた。王都によくない思い出でもあるのだろうか?


「……ずっと王都に住んでいるの?」

「いや、出身は王都からずっと南にある漁村だ」

「だから肌が浅黒いんだ!」


 まぁ、そうなんだけど……。


「ネネヴァはいつからここに住んでいるんだ?」

「……ずっと、ここだよ……。五歳ぐらいからかな」


 毒の沼なんて呼ばれる場所に、幼い頃から暮らしているのか。その病的な白さと、やせ細った身体の理由は、この場所で成長したことにあるのかもしれない。


 そんなことを考えていると、グレイモンドがティーカートを押しながら応接間に入ってきた。茶葉を蒸した香ばしい香りが空間に広がる。


 沈黙を埋めるようにグレイモンドがティーカップに茶を注ぎ、カタリと小さな音を立てて、ローテーブルに置いた。


「いつぶりかしら? この部屋でお茶を飲むの」

「半年ぐらいですかね」


 ネネヴァの隣に座ったグレイモンドが穏やかな声で答える。


「どう? 美味しい?」


 茶を啜る俺に、ネネヴァは問い掛ける。俺に茶葉の良し悪しなんて分からない。ただ、すっと飲みやすい茶だというのは分かる。【料理人】の期間があったお陰で、味覚はそれなりに研ぎ澄まされている。


「美味い」

「よかった」


 ネネヴァは心底ホッとしたような顔になる。コロコロと表情の変わる子だ。


「爺や。ウォルトは今は王都に住んでいるけど、出身は南の漁村なんだって。だから肌が浅黒くて、髪が赤いのよ」

「髪の色は関係ない」

「爺や。髪の色は漁村出身とは関係ないわ」

「そうですねぇ。お嬢様」


 グレイモンドは俺の顔色を窺いながら、のらりくらりとネネヴァの相手をする。


「ウォルトはいつから【薬草師】なの?」


 いつから……。そうだな。転職の話をするのはやめておこう。


「十五歳の時から【薬草師】としてスキルを磨いている」

「ふーん。そうなんだ。私、もうすぐ十五歳になるの。誕生日にカリア神の神官が来て、私が授かったジョブを教えてもらうことになっているのよ」


 ネネヴァは嬉しいような、不安なような、複雑な表情をしている。


「ネネヴァはどんなジョブがいいんだ?」

「……」


 軽い気持ちでした質問。ネネヴァは下を向いて黙り込んでしまう。その沈黙は、ただの思案ではなく、何かを恐れているようにも見えた。


 助けを求めるようにグレイモンドを見ると、顔の皺を深くして困っている。


 さて、どうしたものか。こーいう時、俺には手札が少ない。気の利いた冗談で場を和ますことも出来ない。出来ることは、自分のことを話すだけ。


「俺の父親は村で一番の漁師で、十五歳の時に【漁師】のジョブを授かっていた。俺も、それを期待されていたんだ。しかし、俺は十五歳の誕生日に【漁師】を授かることはなかった。そして、弟は十五歳で【漁師】を授かった。漁師としての適性は弟の方が高かったんだ」


 ネネヴァは急に顔を上げ、俺の顔をじっと見つめる。心配でもしているように、優しい視線。本当にコロコロと表情が変わる子だ。


「家業は弟が継ぎ、肩身の狭くなった俺は王都に出てきた。そして【薬草師】のスキルで作った薬を売ったりしながら生活をしている」

「故郷を離れて、家族と離れて、寂しくないの?」


 朝の港の潮の匂いが、ふと蘇る。寂しい、か。どうだろう。考えたこともなかった。


「毎日の食事と寝る場所を確保するのに必死で、故郷や家族を想う余裕はないかな……。それに、ちょっとした悔しさもあるんだ。家業を継がなくても、しっかり独り立ちしてやっていけることを証明したい。だから、寂しいって気持ちは大分、心の奥の方に隠れているよ」

「ウォルトは強いね……」


 普段、人には話さないことを今日は話してしまった。ネネヴァ達とは初対面なのに、不思議な感じだ。普段接しているトカゲの尻尾や闇ギルドのメンバーは「素性を隠すことが当たり前」の生き方をしている。俺は、どこかで飢えていたのかもしれない。自分のことを誰かに打ち明けたい、と思っていたのかもしれない。


「私、ママがいるの。ママは王都で暮らしていて、もうずっと会っていない。会わせてもらえないの」

「何故だ?」


 ネネヴァは首を振る。銀色の細い髪が揺れる。


「分からない……。とにかく駄目なんだって。偉い人達が決めてるんだって」

「理不尽だな」


 素性は分からないが、ネネヴァには複雑な事情があるのは間違いなさそうだ。


「でも、私が十五歳になって凄いジョブを授かれば、お母さんにも会えるようになるんじゃないか? って爺やと話しているの」


 グレイモンドはニコリと笑い、軽く頷く。


「凄い力をもったジョブを授かれば、偉い人達も私の願いを聞かざるを得ないでしょ?」

「そんなものなのか?」

「きっとそうよ! ねっ? 爺や」


「はい、お嬢様」とグレイモンドは答え、何度も頷いた。その瞳の奥にあるものが、希望なのか、諦めなのか、俺には判断できなかった。

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