第19話 リーナの回復
俺は霧降りの祠から脱出したあと、【隠遁術】を駆使して森を抜け、こっそりと「鋼の牙」の野営地に戻った。夜の空気は湿り気を帯び、木々の間を抜ける風が肌に冷たくまとわりつく。
「鋼の牙」はAランクギルドの力を遺憾なく発揮し、モンスターのスタンピードを鎮めつつあった。
戦場には血の匂いと鉄の匂いが混じり合い、地面は踏み荒らされ、黒い影のような死骸が幾重にも横たわっている。
俺が戦線に近付くとギルド長のシグルドが振り返り、落ち着いた声で「もうすぐ終わる」と言った。
その言葉に応えるように、最前線にいたバランが長剣を横薙ぎにする。不可視の刃が闇を裂き、モンスター達の首を飛ばす。数多の首が宙を舞い、血が吹き出し、体は数歩前進したあと、主を失った操り人形のようにパタリと地面に転がった。
俄かに静寂が訪れる。
「鋼の牙」のメンバー達が注意深く周囲を探り始めた。
森からモンスターが出てくる気配は、もうない。だが、誰も剣を下ろさず、緊張の糸を張り詰めたままだ。
最前線から下がってきたバランがシグルドと会話を始める。俺もそこに交ざるように近付いた。
「おぉ、ウォルト。無事だったか?」
肌に汗を浮かせたバランが俺を気遣う。自分は数時間戦いっぱなしだったのに、人を気にする余裕があるとは、なかなかの男だ。
「天幕の奥に引っ込んでガタガタ震えていたよ。静かになってきたので、這い出てきたんだ」
「ハハハッ! ウォルトはそんなタマじゃないだろ?」
「いや、流石にモンスターのスタンピードに遭遇したら怯む。俺は戦闘職じゃないからな?」
「それはまぁ、そうか」
バランとシグルドの周りに、周囲の警邏を終えた「鋼の牙」のメンバー達が集まってきた。怪我をしている者が数名いる。
「バラン。これをみんなで使ってくれ」
俺はリュックを前に廻し、手製のポーションを取り出した。バランに渡す。
「助かる。ほら、みんな! 凄腕【薬草師】の上級ポーションだ! 腕が取れていてもくっつくぞ!」
バランは怪我を負った仲間の身体に乱暴にポーションを振りかけていく。傷口に掛かったポーションは淡く光りながら、効果を発揮した。メンバーから歓声が上がる。
「おぉおお! もう傷が塞がった!」
「このポーション、怖いぐらい効くな!」
「本当に凄腕の【薬草師】だな!」
賞賛の声に気恥ずかしさを感じる。頭を掻いていると、シグルドが目を細めた。
「今日はもう遅い。スタンピードの原因を探るのは明日にしよう」
シグルドが号令をかけると、「鋼の牙」のメンバーさっと行動を開始する。見張りを二人残し、後は天幕へと引っ込んでいった。
「ウォルトも休んでくれ。森の薬草採取は明日でもいいだろ?」
「あぁ、そうだな」
バランに促され、俺も天幕で休むことにした。霧降りの祠にロープで縛って残してきた帝国軍人のことを思い出しながら……。
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翌日、俺は「鋼の牙」について森の中に入り、薬草の採取を始めた。シグルド達は行方不明になった人達の遺品とスタンピードの原因を求めて、注意深く森を進んでいる。
【邪神の欠片】を回収したからだろうか。昨日は深く立ち込めていた霧が、すっかり晴れている。樹々の間からは光りが差し込み、視界もいい。
「ちっ……。酷いな」
バランが見つけたのは女の遺体だった。衣服はボロボロに破け、手足が不自然に曲がり、身体には暴行の跡がある。街道まで出てきたモンスターの群れに襲われ、森で捨てられたのだろう。
森の静けさが、かえってその惨状を際立たせていた。
「こっちもだ……」
他のメンバーも人間の遺体を見つけては、苦い表情を顔に浮かべる。
「可能な限り遺品を回収するぞ。家族に届けよう」
シグルドの指示に従い、メンバー達は遺品を集めながら進む。
俺は一人のメンバーに保護されながら、淡々と薬草を集め続けた。
陽が高くなり、正午を知らせる。
皆で休憩しつつ簡易な食事をとっていると、バランが話し掛けてきた。
「俺達はさらに森の奥に入る。ウォルトは野営地に戻ってくれ。そのまま領都に戻ってもらっても構わない」
「もう十分に薬草は集まったから、領都に戻ることにするよ。リーナの具合が心配だからな」
「頼む」
本当はバランも領都に戻りたいのだろう。妹のことを心配する兄の顔をしている。長剣を振るっていた時の迫力はない。
「俺に任せておけ」
「なるべく早く戻る、と伝えてくれ」
「あぁ」
俺は森を抜け、領都への帰路についた。
#
空が茜色に染まる頃、俺は領都に着き、バランの家を訪ねていた。母屋の扉をノックすると、向こうからバタバタと足音がする。
「あっ、ウォルトさん!」
出てきたのはリーナだった。弾けるような少女の笑顔が夕陽に照らされる。
「体調はいいのか?」
俺は首元を見ながら尋ねた。リーナを苦しめていた紫の靄はすっかり消えてなくなっている。
「昨日の夜から、急に体調がよくなったんです! いままでウォルトさんにお薬をもらっていたお陰です!」
俺は「霧降りの祠」から漏れ出していた【邪神の欠片】の悪意を思い出す。今は【邪神の器】に収まり、俺の【収納空間】の中にある。
リーナに悪影響があったらどうしよう、と考えていたが問題はないらしい。俺が【邪神の器】を外に出さなければいいのだろう。
「今日は私が夕飯の準備をしているんです! ウォルトさん、食べていってください!」
リーナは手をとり、半ば強引に俺を誘った。俺は引きずり込まれたような形で母屋に入り、そのままダイニングへ通される。
台所に立つのはリーナ一人。鍋からは湯気が立ち上り、香ばしい匂いが部屋を満たしている。父親もバランの兄もまだ工房に籠っているのだろう。ふと気づけば、母親の姿を見たことがない。
「リーナが一人で夕飯を作っているのか?」
椅子に座るのがなんとなく気まずく、所在なくダイニングテーブルの横に立ったまま尋ねる。
「ウチ、早くにお母さんが亡くなったので、私が料理をすることが多いんです」
リーナは鍋をかき混ぜながら、少しだけ寂しげに笑った。
バランがリーナを過保護なぐらいに大事にしている理由が分かった気がする。父親とバランの兄、バランでリーナを大切に育ててきたのだろう。一番歳の近いバランが、母親の分まで愛情を注いでいたのかもしれない。
「リーナが体調を崩していた間は?」
「バランお兄ちゃんが作ってましたけど、お兄ちゃんは料理が下手で……」
「そうだったか……」
リーナはスープの味見をしながら、苦笑いをした。バランの料理の味を思い出していたのかもしれない。
「バランは、『なるべく早く戻る』と言っていたぞ」
「えっ? お兄ちゃんと会ったんですか?」
「森に薬草を取りに行ったときにな。『鋼の牙』の主力として活躍していたぞ」
リーナは料理の手を止め、目を見開く。
「バランお兄ちゃん、家では絶対に仕事の話をしてくれないんです! あとで教えてくださいね!」
「あぁ。武勇伝を伝えよう」
その後、俺はバラン父と兄、リーナと夕食をともにすることになった。
木の器に盛られたリーナの料理は素朴ながら温かく、香りだけで心を満たす。
俺は上機嫌になり、バランの活躍を誇張気味に語った。リーナは目を輝かせ、父と兄は静かに頷きながら耳を傾けるのだった。




