第11話 トカゲの厨房
ブラッドレイ伯爵の件がひと段落し、俺の手元には相応の富が残った。
正規ギルドで新人に振られる依頼を地道にこなしていては、決して手が届かないような枚数の金貨が【収納空間】の片隅で静かに輝いている。ブラッドレイ伯爵からの報酬、そしてサシャの闇ギルドとの交渉による上乗せ分だ。
されど、我が暮らしは一向に良くならざり。
というのも、あの「死者の揺籠」での一件以来、俺は完全にSランクギルド「天空の盾」に敵として認定されてしまったからだ。衛兵から「お尋ね者」として指名手配をされているわけではない。しかし、Sランクギルドともなれば、その影響力は王都全域を覆う。
陽の当たる時間帯に素顔を晒して王都を歩くことは、不必要なトラブルを生むことになる。昼間は【隠遁術】で気配を消すか、なるべく外出を避け、いつもフードを被って行動することになった。
金があっても、薄暗い「トカゲの尻尾」から宿を移すことは出来ない。
この「トカゲの尻尾」は、闇ギルドとの繋がりが強いため、摩擦を恐れた正規ギルドのメンバーは近寄って来ない。劣悪な環境ではあるが、俺にとって「トカゲの尻尾」は、王都の中で最も安全な隠れ家ともいえる場所だった。
しかし、酷い環境であるのは変わらない。最近の一番の不満は、衣食住の「食」だ。
「トカゲの尻尾」には食堂がある。行けば、どんな時でも食事にありつくことが出来る。しかし、マズイ!
何度食べてもマズイ。毎回、新鮮な驚きを感じるぐらいマズイ。普通、どんなにマズいものでも慣れてしまうものだ。だが、トカゲの尻尾の食堂の料理に慣れるなんてことは、どうやら人間には不可能らしい。
【調合術】で味覚を変える薬を作ってみたが、それでもダメだった。あらゆる試みを嘲笑うかのように、「トカゲの尻尾」の料理はマズかった。
王都で評判のレストランなんかに行けない俺にとって、「トカゲの尻尾」の食堂をなんとかするのが、今の最優先課題なのだ。
俺は夕暮れ時、閉店間際の屋台から、新鮮な肉と野菜を大量に仕入れた。【鮮度維持】のスキルがあるとはいえ、最高の料理には最高の素材が必要だ。
「トカゲの尻尾」に戻ると、受付カウンターには、眼帯の店主がいつものように座っている。俺は思い切って、トカゲのおっさんにあるお願いをすることにした。
「おっさん、食堂のキッチンを借りることは出来るか?」
俺の問いに、おっさんは片目を細めた。その細めた目には、深い諦念と、わずかな憐憫が浮かんでいた。
「やめておけ、ウォルト。それは今まで多くの闇ギルドメンバーが挑み、失敗してきた試みだ」
それから、おっさんは諭すように語り始めた。
食堂を仕切っているのは、「トカゲのおっさん」の妻だった。
名はカーラ。長身で、厚い筋肉に覆われた体躯を持つ。ジョブは【格闘家】。なぜ食堂のキッチンに立っているのかは、謎である。
しかし、彼女の信念は鋼のように固い。
カーラは、大層自分の料理に自信がある。自分の料理を「至高の味」と信じ込んでいる。そして、外部からの改善提案、ましてや「キッチンを借りて自分で料理を作りたい」なんて要望を聞き入れることは、絶対にないという。
カーラの領域には、誰も入れない。過去に挑んだ者は皆、彼女の鉄拳によって追い出されてきたそうだ。
「それでも、俺はキッチンに立つ」
「ふん。好きにしろ」
受付の横の通路を進むと食堂が見えてきた。夕飯時、多くのならずもの達がテーブルにつき、皿を前にして苦悶の表情を浮かべている。
俺は仕入れた食材を抱えてキッチンに入り、カーラの前に立った。長身で短髪、筋骨隆々なカーラはまな板に載せた巨大なモンスターの肉と対峙していた。
「キッチンを借りたい」
カーラは、凶悪な肉切り包丁を脇に置き、俺を上から下まで値踏みするように視線を這わした。並みの冒険者であれば一睨みされるだけで、震えあがってしまうほど眼孔が鋭い。
「その細い腕で、神聖な私の場所に踏み込むつもりかい? ここは戦場。生半可な気持ちだと、後悔することになるよ?」
なんで戦場なんだよ。キッチンだろ。
「遊びではないさ。俺は、美味い飯を食うために、この場所を勝ち取る」
カーラが拳を握り、眉間に血管を浮かべる。そして、身体がブレた。
「覇ッ!」
空気が裂ける。拳が俺の顔面を撃ち抜こうと、迫る。
「風ゥ」
俺は脱力し、首を捻ってカーラの拳を躱した。そのまま食材を作業台へと放り投げ、臨戦態勢をとる。
「少しは料理の腕に覚えがあるようね。しかし──」
いや、今のやり取りは完全に格闘家の──。
「滅ッ!!」
最短距離で迫る鋭い前蹴り。俺の背後には壁。避ける余裕はない。スッと腰を落とし、【鉄の皮膚】を発動させる。
「……なっ……!?」
内臓を抉るべく放たれたカーラの前蹴りは俺の皮膚を貫くことなく止まった。カーラの顔が驚きで歪む。
「これでもまだ、キッチンに立つ資格がないと?」
「まだまだよ……!!」
カーラは一撃必殺を捨て、回転を上げて手数で勝負してきた。フェイントを交えながら、細かい拳撃を瞬き一つの間に何度も放つ。
しかし、スキル【無心の捌き】を体得している俺には通じない。風に揺れる草木のようにしなやかにカーラの攻撃を捌く。
「……くっ……」
やがて、カーラの動きが雑になってきた。疲れか、焦りか。突きと突きの間に、隙が見え始める。それは、俺の前では致命的──。
「轟ッ!」
俺は渾身の一撃をカーラの鳩尾に放った。衝撃がカーラの身体を突き抜け、食堂全体が揺れる。
膝を落としそうになりながら、なんとかカーラは踏みとどまった。口元からは鮮血が流れ出している。
「……あんた、名前は?」
「ウォルトだ」
「ウォルト。あんたには特別に『トカゲの尻尾』のキッチンに立つことを許可するわ。美味い料理を作るんだよ」
カーラが宣言した途端、食堂のならず者達が一斉立ち上がり、雄たけびを上げた。
「やっとこの日がきたか……!!」
「畜生! 今晩はとことん飲むぞ! 俺の奢りだ!」
「俺達の英雄、ウォルトに乾杯だぁぁああ……!!」
ならず者達が丁稚小僧に酒を頼み、祝杯をあげ始めた。
「つまみでも作るか」
俺はまな板から得体のしれないモンスターの肉を退けると、屋台で仕入れた食材を使って、酒のつまみを作り始めた。
俺のオヤジも含め、田舎の漁師達は毎晩のように酒を飲んだ。宴会の時は、よくつまみを作らされたものだ。
海老のニンニク炒めとセロリの和え物を手早く作り、ならず者達が待つテーブルに置く。
「おぉぉぉおおお……!! 美味い! 酒が進む!!」
「ここは本当に『トカゲの尻尾』か……!?」
「俺達は夢を見てるんじゃないよな……!?」
その日は夜遅くまで俺はキッチンに立ち、酒のつまみを作り続けた。自分用の夕飯を作ったのは日付が変わってからだったが、それに不満を覚えることはなかった。




