4
「はいっ!!」
マツガタは夜凪──満月の一言に背筋を伸ばした。
その言葉に満足した夜凪は、僅かに微笑んでいた顔を辞めるといつもの無表情にもどり次の動きを開始しする。
「マツガタ。避難民の移動よろしく。私は天井を直接見てくる。」
「了解っ!避難経路を再設定、すぐに誘導をはじめます!」
マツガタが声を張り上げると同時に、夜凪は人々へかけていた異能を解除した。だが、その場にいる誰も夜凪に向かって反抗しない。彼女が何者なのか、この数分で全員が理解したのだ。怒らせてはいけない存在であると。彼女の気分ひとつで自分は死ぬのだと。
青ざめながら、しかし希望を信じて建物中央へとかたまる民衆。怒りや恨みは薄れ、代わりに理性の奥深くへと恐怖が根づく。夜凪は背を向け、ゆっくりと北側搬入口の方へ歩き出す。
「マツガタ。私が動く間、貴方が司令塔。できるよね。」
それは、肯定された言葉。否定を許さない断言だった。励ましでも確認でもない命令だったのかもしれない。それでもマツガタの胸には、ひどく温かく刺さった。
「任せてださい!!できますっ!」
マツガタの声は震えていたが、確かな響きがあった。夜凪は振り向かずに言った。
「じゃあ行ってくる。すぐに戻る」
彼女の背中が非常階段の闇に溶けていく。
上層階。
そこにたどり着くまでに夜凪は異能を使い北側搬入口の穴を塞いでいた。もちろん、能力者の気配のする11名とその他数十人の気配のする人達は気にかけていた。だから、そいつらに襲いかかる禍種の気配は全て殺した。怪我の具合はわからないが死んだら死んだでそれまでだ。夜凪は死にかけの命よりも避難所の安全を優先する。
禍種を殲滅し避難所の保護をやり遂げる。それが任務だから。この避難所を魔乱最前線の安息地にするために全力を尽くす。その過程でどれだけ人が死んでも構わない。夜凪の最低条件は避難所を安全にしカンシだけは生かしきること。最悪なのはここが陥落すること。そうなれば夜凪よりも弱いカンシは必ず死ぬ。それはだめだ。夜凪は死んでも他特A級能力者が来るまでここをカンシの安息地としなければならない。カンシだけは守りきる。カンシには返しきれない恩があるのだから。
上層までの階段をのぼる。鉄骨がむき出しの薄暗い通路。電光掲示板が壊れ、片側は崩落し外の風が吹き込んでいる。
「カンシ、私の会話聞こえてた?」
夜凪はインカムに話しかける。
「ええ、全て聞いていました。貴方にしては随分とお優しい対応でしたね。色々伝えたいことはありますが全て終わってから話します。」
「えーー、いや。カンシ、前 女子どもに優しくしろって言ったでしょ。だから女も子供もいたから最大限優しく対応した」
「覚えていたんですね。いつも通り話を聞いていないかと思いました。
私の方も車に乗っていた方たちの事情聴取が終わりましたので建物内へ向かっています。私は松型B級能力者の補助をしますので貴方は魔物の駆除に力を入れてください。誰も助けなくても構いません。救助へはランク持ちを送ります。」
カンシの顔は見えないが声は落ち着いている。どうやら私の対応は間違っていなかったようだ。よかった。そしてこのカンシの異様な落ち着き具合。必ず任務が成功する確証を得たのだろう。
私が1人の時には任務が終わるまでカンシはこんなに落ち着かない。つまりカンシが安心できるほどの戦力か応援がくるってことか。カンシが落ち着くほど強くて危険ではない人間。相性。組み合わせ…。すぐに動かせる規模の戦力。
「カンシ、どの部隊がくる?」
夜凪は一歩踏み出した。瞬間、異能の網を広げる。
「部隊?いえ、今から来るのは王様2人とA級の運び屋です。」
魔物の位置、動き、形状。
全てが頭の中で構造体となり、手に取るように支配できる。
──残り76体。
マツガタの推計は正確だった。搬入口にいた禍種と合わせたらちょうど130体。夜凪は小さく目を細める。黒い靄が通路の奥から溢れ、禍種が天井から零れるように蠢き始める。複数の影が一斉に夜凪を見つけた。
醜い禍種たちは牙を剥き、悲鳴を上げ夜凪を獲物と認識し、殺到する。
その瞬間。夜凪は一切動かず、指をスっと横に払う。
「私、生きて帰れるかな」
遮那王に殺されないといいけど。そう独り言る
轟音も断末魔もなかった。音すら許さず、避難所内にいた禍種は撚り潰され、肉も骨も液状化して床に散った。返り血ひとつつかぬまま、夜凪は歩みを続ける。
屋上につく。風が強く吹き夜凪の被っていたフードを持ち上げ外していく。上を見上げると少し前に空けた空の穴が随分と小さくなっているのが分かる。
魔物多いなぁ。遮那王は正義感強いから救わなかった人を見るときっと怒る。絶対に怒る。そして、倫理ゼロの慈悲王の発言にさらに怒るはずだ。と言うよりはきっと怒りすぎて殺しにかかる。
「カンシ、なんでよりによってこの2人にしたの。私がいるのに2人も追加なんて過剰戦力だよ。」
「慈悲王は当たり前でしょう。新鮮な死体は生き返らせます。遮那王はたまたま貴方の次に近くにいたとか。貴方達でこの周囲と移動経路が確保され次第HABとSAS、自衛隊に引き継ぐ予定です。」
夜凪は己の頬が引き攣るのを自覚する。
「ぜんぶ、全部、殺してあげる。早く死んで」
異能がひらく。世界がひっくり返る様な重圧が辺りを襲う。
爆ぜる。
裂ける。
砕ける。
呑み込む。
屋上から見えていた禍種の群れは抵抗の暇すらなく跡形もなく消えた。
夜凪はぽつりと呟く。
「…はやく殺して、はやく逃げなきゃ。カンシ、私が全部終わらせるから早く次の場所に行こ。ここ以外にも避難所はあるでしょ。1人でも多くの人を助けたい。」
夜凪は避難所の周囲を異能を使い高速で飛び回りながら異能力の感知範囲をどんどん広げる。異能力の感知範囲に入った敵を殺し、目視できた敵を殺しせっせと禍種狩りに精を出す。
カンシのため息が聞こえる




