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ループはあっさりと終わった。
それは、夜凪が関わって数十回目のループだった。
失敗は、もはや事件ではなかった。
誰かが死ぬ。誰かが壊れる。時間が戻る。それはもう当たり前へと変わっている。
いつの間にか学生たちは泣かなくなった。悲鳴も叫びも祈りも何回目かのループへ置いてきた。
代わりに残ったのは、窶れた顔と擦り切れた声、学生たちの中にある大量の記憶のみだった。
夜凪は、いつも通りそこにいた。
だが、いつの間にか彼女を見上げる視線は減っていた。最初は違った。
「夜凪さんなら」
「御月さんがやれば」
「特A級なんだから」
その言葉はもう使われない。正確には使えなくなった。学生たちは夜凪が死ぬのを何度も見た。何度も壊れるのを見た。 それでも結果が変わらないことを記憶として覚えているのだ。
魔術陣の周囲で学生たちが言い争っている。
「だからそこは逆だって!」
「何回言わせるんだよ、計算合ってるだろ!」
「合ってる“はず”で何回殺すんだよ!」
紙が机に叩きつけられ椅子が軋む音がする。
夜凪はそれを黙って聞いていた。聞いているうちに、胸に浮かんだのは怒りでも焦りでもない。ただ早く帰りたいという感情だった。
いつまで揉めてるんだろ。
視線を陣に落とす。自分を核にした線。過剰な出力を前提にした構造。失敗してもやり直せることを暗黙に許容している空気感。全てが嫌だと思った。
その瞬間、理由もなく腑に落ちた。
ああ。これ、私がいるから終わらないんだ。
論理がある訳でも検証したわけでもない。ただ、そう思った。その考えが正しい気がした。
ループを初めたものがループを終わらせるのは自然の摂理ではないだろうか。ループしていない夜凪は特異点にとっては異物だ。かかわったら失敗する道理もあるというものだ。夜凪は一人で納得し考えを自己完結すると一歩、陣の中心から下がる。
誰も止めない。誰も夜凪に注目しない。いつの間にか、学生たちにとって夜凪はただのループを終わらせるための道具に成り果ててたのだ。
「……あれ?」
自分の声が、妙に軽く聞こえた。
「これ、私必要ないじゃん」
言い争っていた学生たちが、ゆっくりとこちらを見る。否定も、賛同もない。
夜凪は肩をすくめる。
「ループ作ったの私じゃないし、私ループしないし。」
誰かが唇を噛み、誰かが視線を伏せる。
「どうせ、またやり直せるって思ってるんでしょ?適当にコード7番〜とか言えば私が協力すると思ってるんでしょ?」
冗談めいた口調だった。だが、その言葉は空気を重たくする。
「…なんかなぁ。んー。」
一拍置いて、付け加える。
「私、今、自分のケツは自分で拭けよって思ってるんだけど…。できそう?」
責める響きはない。ただ、逃げ道を塞ぐ言葉だった。そして、己は協力しないという宣言だった。
夜凪はゆっくりと陣に近づき無言で構成を崩し始める。学生たちの中から焦る声が聞こえる。
それを院生は眺めていた。院生はループする度に夜凪に接触し協力を求めていた。ループした人達をまとめ、奮励していた。だが、夜凪の言葉に心当たりしかなくて何も言えなかった。
いつの間にか彼女はループを終わらせるための切り札ではなく、そこにあって当たり前の前提条件になっていた。
夜凪さんは、無言で魔術陣を書き換えている。
自分を前提にした線を消す。過剰な出力を逃がす構造を削る。学生の魔力だけで成立する、最低限まで落とす。
陣は弱くなった。同時に、正直になったと思う。これでは誤魔化しは効かない。失敗はすぐに崩壊をもたらす。
そこから先は、徹底した指導だった。
魔力は押すな、流せ。
揃えるな、合わせ続けろ。
考えるな、手を止めるな。
褒められることはない。慰められることもない。どころか、同じ失敗を繰り返せば張り手が飛んでくる。
それでも、夜凪さんは去らなかった。
時間が戻るたび、同じ箇所を指摘し同じ修正を命じる。
やがて、ループした人達の間で言い争いは消えた。
他人を見る余裕がなくなり、自分の手と魔力だけを見るようになる。
何度目かのループ。何度目かの起動。
ついに、魔力は引っかからずに流れた。
夜凪さんは、陣の外に立ったまま動かない。ただ、壁にもたれかかって気怠そうな顔で魔術陣を眺めていた。つまらそうな黄金の瞳がぼんやりと魔術陣の光を受けてキラキラと煌めいている。
魔術は正常に発動した。特異点は静かに縮小し、やがて消失した。
特異点が消えたあとも、その場の空気だけが、取り残されたみたいに重い。
時計の針は進んでいる。それは分かる。
だが、それが正常だと、すぐには受け入れられなかった。
院生は自分の手を見る。震えてはいない。ただ、力の入れ方が分からない。
これまで、次の瞬間には戻ると分かっていた。
だから、終わりを意識せずに動けた。
今は違う。ここから先は、戻らない。
「……終わった?」
誰かが、独り言みたいに言った。
返事はない。肯定も否定もない。まだ現実感がなかった。
夜凪は、壁にもたれたままゆっくりと瞬きをした。
黄金の瞳が陣の残骸を映している。
興味があるようにも、どうでもいいようにも見えた。
院生は、その横顔を盗み見る。
この人がいなくなったら、もう二度と同じことはできない。それだけは、はっきり分かった。
夜凪は、陣から完全に視線を外す。
「…うん。」
小さく呟いて、歩き出す。
誰も止めない。
止める理由が、もう存在しない。
彼女は出口へ向かう途中で、床に落ちていた紙に視線を落とした。自分のものではない計算式を、ざっと眺める。一秒もしない。
「悪くない」
それだけ言って、視線を出口に向ける。
評価だった。祝福ではない。扉の前で歩くと立ち止まり、振り返った。
「脱ループおめでと。」
そう言うと扉を潜り、ドアを閉めた。
音が消えたあとも、誰もすぐには動けなかった。院生はようやく椅子に腰を下ろす。
膝が笑っていることに立っていた間は気づかなかった。
自分たちは、生き残ったのではない。ただ、戻れない現実に戻ってきたのだ。
やっとループは終わったのだ




