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夜凪はひとまず、学生たちの自分への重たい信頼を置いておくことにした。
全部おわったらカンシに丸投げしよ。
「お前たちの気持ちはわかった。頑張るね。…まずはタイムループに至るまでの研究内容を見せて。」
夜凪はとりあえずループを解明しようと学生へ声を掛ける。
院生とは別の、きちんと動ける学生が夜凪へ紙とパソコンを差し出す。
「全部ここにあるよ。それと、これがループ途中で考えた計算なの。でも、どれもループに至るまでは解明できなかったの。」
パソコンは女学生が机上に置き、紙の束を床にドサリと置いた。かなりの量がある。
夜凪は自身の頭に思考演算最適化の魔術をかけると、まずはパソコンの内容から目を通していく。気になるところは適宜学生へと質問する。あらかた、パソコン内の資料を読みとると、次は床に落ちた紙へと目を向ける。1束ずつ手に取った紙をパラパラとめくり、計算式や魔術陣の図面を理解していく。
政府による能力訓練の一環で速読の訓練があったが実際に役立ったのは初めてだ。夜凪は紙の束を前にしてやっと訓練の成果を実感した。
「ループが起こる寸前の魔術式は?」
「隣の部屋に準備してます。あとは魔力を込めれば、いつでも直前の状態に戻せます。」
「今何時?」
「12時35分です」
夜凪は小さく吐息を漏らす。なぜ、ループが始まるまでの残り少ない時間で己に接触してきたのか。それを問おうとして、辞めた。どうせ、いくつ目かのループ先の自分がこの時間を指定したのだろう。昼休みに片付けたいと思って。
「ギリギリじゃん。」
かなり時間が足りない。だが、多分間に合うだろう。
「本当はこのループの原理って解明してるんだよね。できるかどうかは別として。」
学生たちが一斉に驚きの声をあげる。時間を弄ることは禁術の類だ。だが、夜凪は特A級能力者。禁術書と指定される書物を読む権限も持っていた。特A級能力者の権利をフル活用し政府管轄の禁書庫へと入ったことを思い出した。昔、アニメを見てタイムループが気になった時期が夜凪にもあった。その時にカンシに我儘をいい、権力フル活用して1ヶ月ほど禁書庫へと籠り時間についての書物を読み漁ったのだ。
ふと、下から視線を感じた。院生が床に這いつくばったまま夜凪を見ていた。夜凪が両足を異能を使いバキバキに折ったから動くこともできないのだろう。さらに運の悪いことに治癒魔術が使える者もいないのだろう。学生たちに足は治療されず冷やされているだけだった。
夜凪は面倒くさそうにため息をつき、床に這いつくばる院生の足を蹴り踏みつけた。
「優れた能力者が人外だって陰謀論信じるなら、次はもっと警戒した方が良いよ。強い人ほど、性格終わってるやつ多いから。」
呻き声を無視して夜凪は院生の折れた足上に足をのせるとそのまま治癒魔術を使用する。
これが夜凪ではなく遮那王なら手足と言わず人ひとり容易に潰しているはずだ。夜凪は特A級能力者の中でも自分がかなりまともな方だと自負している。それが当たっているかどうかは別として。
その後、夜凪は大量の紙とペンを用意させた。
机の上に並べる。今回のループの原因を解決するために計算を初めた。
魔法なら既存の魔法式や計算で解を求めることはできなかったかもしれない。だが、今回は魔術同士が合体し奇跡を起こした末のループである。ループについては魔術として体系化されている。そして、夜凪はその魔術を理解しているな。なら今回の未完成の中途半端なループを引き起こした魔術も解明できるはずである。圧倒気に足りないのは時間だけだ。
夜凪は学生たちが既に作成した魔術陣を見ながら、必要な魔力の種類、魔力量、干渉時間など、すべてを紙の上で解き再構築し計算する。
タイムループを消失させるための条件をひとつずつ書き出す。
その時、学生が声を上げる。
「ぉ、俺たちは!何をすればいい?!何をすればループ終わるんですか!?」
夜凪は顔を上げ、冷たい視線を向ける。計算を邪魔されて不快に思う。
「じゃあ、特異点見つけてきて。この部屋中心にどっかにあるはず。たぶん、こ大きさはこれくらい。触ったらダメだよ。…あ、あと計算が得意な人は残って。」
夜凪はそう言って人差し指と親指で輪っかを作った。このくらいの大きさの特異点には触れてはいけない
と示す。
学生達は戸惑いながらもしっかりと頷いた。
「は、はい…」
「返事はワンでしょ。」
「…わん。」
「良い子。行ってらっしゃい。」
その言葉を合図に学生たちは、まるで命令された犬のように、一斉に棟内をドアから出ていった。
学生たちは走る。探す。廊下の角、階段の踊り場、教室の隅々まで目を光らせる。昼休みで騒がしくしている生徒たちをひっくり返す勢いで探した。誰もが特異点の存在を想像する。
「ここは……違う」
「こっちも何も何も無い。」
声は抑えられ、焦燥だけが微かに滲む。夜凪は特異点の詳細を伝えなかった。ならば、一目で特異点とわかるもののはずだ。姿かたちの分からぬものを学生たちは手探りで探す。
「先生、あそこ……!」
一人の学生が叫ぶ。視線の先には、庭の片隅で空気が僅かに波打つ箇所があった。人差し指と親指で作った輪っかよりも大きかった。拳大ほどの歪みが、そこだけ静かに揺れている。引力に似た微かな力が周囲の草や小石をわずかに引き寄せている。
「なるほど、ここか……」
他の学生たちも次々に集まる。触れてはいけない特異点を前に、皆が息を飲む。
「先生、触れないように注意しながら、計算に使うデータを……」
誰かが声をかける。学生たちは既に手にしたスマホに写真を納め、微細な変化を観察する。風で揺れる草も、虫の羽音も、特異点の存在を知らせる手がかりになるかもしれない。
特異点は小さく、目立たない。だが、確かにそこにある。空間がわずかに歪み、次元の境界が歪むその場所こそ、タイムループの核心――消失させるべき対象だった。
誰かが言った。
「……やっと、帰れるんだ。」
学生たちが必死に特異点を探す中、夜凪は床に座り神の山を前に必死に計算していた。
「さて……種類、量、濃度、消費量、作用点、干渉時間……絡み合った爆炎魔術の式……」
呟く声は小さいが、空気は徐々に重くなる。頭の中で数字と魔力の流れが絡み合い、思考が少しずつ詰まっていく。
「……ねぇ、犬。今までこのループで何やってたの?」
学生たちは肩をすくめる。夜凪の声には莫大な計算に対してのイラつきが混ざっていた。
「……使えない。計算しても結果が出ない。」
夜凪は矛盾のある計算式の紙を異能でグシャっと握り潰すとそこらにいる学生に向けてなげた。淡々続ける。
「これでも私より年上?一日で戻るってことは227日もあったんだよね。」
「……はい……」
「私の1時間がお前たちの227日だったの?ループの意味ある?」
言葉には怒気が滲んでいる。八つ当たりしている自覚はあるも計算の難解さと時間のなさに苛立ちが募り態度に出てしまう。学生は動揺しつつも計算の補助を続けるしかない。
ペンが紙の上でカリカリと音を立てる。数値が絡み合い、魔術陣の式が次々に修正される。頭の中で式がループし、夜凪は何度も息を吐いた。
「ああ、もう、これじゃ計算が進まない。紙の角、こっちに寄せろ。ちょっと待って、数字の単位が違うでしょ」
手を伸ばして、学生が置いた紙の束を淡々と整理する。怒鳴るわけでもなく、ただ効率を求めるだけ。学生たちは小さく息を呑み、指示に従う。
77分後、夜凪は最後の計算を書き上げる。
そして、魔術陣を構築し指先で魔力をそっと流す。魔力の流れは滑らかだ。理論上はこれでいいはず。だが、計算は終わったが特異点と魔術陣を絡める微調整がまだ残っている。
夜凪はループした人たちを集めると特異点へと向かった。この魔術が成功すれば特異点は消失する。失敗すればどうなるかはわからない。
夜凪は特異点の前に立ち、先ほど計算した魔術式を元に魔法陣を空中に描き始めた。夜凪の中心としてループした人達が夜凪と特異点を囲っていた。
空中に、直径一メートルの魔法陣が浮かぶ。
黄金色の魔法陣は規則的に形を変え輝いている。
円環を形作る光は、数式・古語・魔法式が同時に存在する文字列として編まれていた。
円周上には、一次式、微分記号、極限を示す符号が連なり、その合間に古語の呪文が割り込む。
意味を持つ言葉と、意味を捨てた数が、互いを拒まず噛み合っている。
円の内部はさらに複雑だった。同心円が幾重にも重なり、その間を放射線が貫く。
重なり合う紋様は一枚ではない。位相の異なる魔法陣が、わずかにズレたまま空間に重畳している。視点を変えるたび、別の層が浮かび上がる。一層目には制御式。二層目には時間を縛る古語。三層目には因果を固定する魔法式。さらに奥には、夜凪以外には分からぬ未定義の項がそのまま残されている。魔法陣の周囲には、金色の魔力の粒子が漂っている。
粒子は静止しているようで、実際には周期的に配置を変えている。数式の解が更新されるたび、粒子もまた再配置される。まるで、計算過程そのものが空間に露出しているかのようだった。
夜凪は両手を前に出す。両掌から魔力を流し、魔術を発動する。特異点と魔術が干渉するのを感じる。
特異点周囲の空間の歪みがわずかに波打ち、次第に大きく膨らんでいった。周囲の特異点へと向かう引力が大きくなる。だが、夜凪は焦らない。計算に間違いはなかった。成功すると信じている。
魔力の流れは良好だ。一度膨張したと思った空間の歪みも特異点に収束されるようにゆっくりと収まっていく。
バンッ!
突然、音が聞こえたと思ったら夜凪の右腕が二の腕から吹き飛んでいた。
ビシャという音と共に夜凪の後ろにいた院生に夜凪の血がかかる。
「ぁ、あ、あああああ!!!!」
院生は大声で叫んだ。その叫びは恐怖か絶望か。
夜凪は腕が吹き飛んだ痛みに顔を顰める。そして視界の中、自分の腕が崩れていくのを確認した。体がジリジリと前へと進む。特異点の放つ引力に吸い込まれているのだ。
「失敗か…。」
淡々と、短く呟いた。夜凪の顔に焦りの色は無いものの1時間以上もかけた計算が失敗に終わりしょっぱい気持ちになる。
夜凪は周囲の学生を見渡す。誰もが固まっていた。目に映るのは呆然とした顔だけ。院生だけが夜凪を見つめて叫んでいた。夜凪は後ろを振り返り院生と共に計算した学生たちへと向き直る。
「みんな、ごめーん。これ失敗。」
声は落ち着いている。夜凪は特異点から出る引力に引っ張られる感覚を自覚し、自分が助からないことを自覚した。そのため、今回は諦め次へと繋げるための指示を伝える。
「次は、私に朝一で接触して。余計なことは言わずに、『Code7番』って言いながら左手で自分の顎をかいて。それで、次の私は協力するはずだから。」
その言葉を最後に夜凪は消えた。
体は腕からボロボロと崩れていき特異点に吸い込まれるように消えた。
夜凪が先程までいた場所には僅かに大きくなった特異点と揺れる草が残るだけだった。特異点は依然として周囲の空間を歪めながら引力を放っている。
呆然と立ち尽くす学生たち。
魔力と時間の狭間に消えた夜凪を、ただ見送るしかなかった。




