31
魔乱発生から10日目
18:10
「やっと見つけた。」
山へ入った夜凪はやっとこさ第3波の原因である龍脈を見つけた。
高度は低く、木々の間を滑るように飛んだ。すれ違う禍種は、すべて殺した。そして、時折地面に降り立ち地面に両手をつけ、異能を網のように薄く広げる。
夜凪は人の魔力、禍種の魔力なら点として感じる。だが、龍脈、自然由来の力は違う。そこにあることだけはわかるがぼんやりとしている。自然の力は意思も敵意も無いため夜凪の感知とは相性が悪いのだ。
そうして、当たりが暗くなった頃。夜凪はようやく魔乱の第3波を見つけることができた。
山の奥。そのさらに奥。人の足跡が途絶えた場所。木々の密度が増し、地面は柔らかく、湿っている。獣道すら見当たらない。そこに建物がポツンとあった。
「……神社?」
傾いた鳥居。崩れかけた石段。崩れた社殿。雰囲気はおどろおどろしく空気が重たい。行政マップにも、災害想定にも載らないような場所だ。
夜凪が鳥居を潜り一歩踏み込んだ瞬間ぞわり、と空気が震えた。
「あ」
見えないはずの存在が見えた。夜凪の足は即座にとまる。
目の前に何かが立っている、異型の物。神か精霊か、はたまた上級禍種か。
見えない時は何も感じなかった。見えた今では夜凪は動くことができない。喉がヒクッと震える。頭上から夜凪に向けて強い圧が送られる。ナニかが四つん這いで夜凪を見下ろしているのを感じる。
目の前のナニかは黒い毛皮を纏っていた。夜凪の頭ほど大きな瞳が静かに夜凪を見下ろしていた。敵意は感じない。だが、敵でないとは断言できない。
夜凪は1歩下がる。ナニかは、牛の姿をしていた。顔立ちは明確に牛。大きな角、濡れたように光る鼻先。だが体つきは人に近く、古びた着物をまとっている。その布地は風もないのに、わずかに揺れていた。
それは一切、動かない。瞬きも、呼吸も、威嚇もない。ただ、夜凪を見下ろしている。
その沈黙を嘲笑うように、周囲から小さな笑い声が湧いた。くすくす、くすくす。鈴を転がしたような、軽く甲高い音。
妖精たちだ。
社殿の軒下、割れた石段の隙間、鳥居の影。小さな光の粒のような存在が所狭しと浮かび、夜凪を覗き見ては笑っている。
今回の龍穴は、彼らが原因だった。
妖精は悪意を持たない。ただ龍脈から溢れる力を面白そう、強くなりたいと少しずつ広げただけだ。
だがその結果、龍脈は本来の許容量を超え、溢れた。
そしてかつてここで祀られていたナニかを目覚めさせてしまった。
人に忘れられ、名も失い、社だけが残った存在。強大な力を持つそれを、昔の人間は神と呼んでいた。
神とは何か。精霊か、妖精の集合体か、魔物か。今も分類は定まっていない。
ただ一つ確かなのは、理解できないほど強大な力を持つ、自然由来の存在であるということ。
日本人は古来より、理解できないものを神として祀ってきた。山、川、雷、疫病。恐れ、畏れ、形を与え、名を与えた。それが善である場合もあれば、災厄である場合もある。今回も、その延長線上にある存在なのだろう。
だが、この神は何も語らない。何も動かない。ただ、夜凪を見ている。その視線に、評価も敵意もない。
夜凪は唾を飲み込み、ゆっくりと一歩、後ずさる。
砂利が音を立てた瞬間、妖精たちの笑い声が一斉に高まった。
だが、神は動かない。
もう一歩後退する。鳥居の外へ出ているのに神の姿は見えたままだ。
夜凪は次の瞬間、全力で飛んだ。空気を裂き、木々の上を突き抜け、一気に上空へ。神社が、森が、山が、急速に遠ざかる。点になるまで、止まらない。
神社が点に見えた頃ようやく夜凪は止まる。夜凪は止まり息を吐いた。
「……っはぁ!!!はぁ!はぁ!…ふぅー。」
ぶわっと汗が噴き出し、心臓が暴れる。指先が、かすかに震えている。
「……こっわ!」
理解できない存在は、誰にとっても恐ろしい。それが敵意を示さないなら、なおさらだ。目的がわからない。夜凪は震える手で通信を開いた。
「か、か、カンシっ……! かみ! 神いた!」
一瞬の間。
『……はぁ!?』
返ってきた声は、明らかに裏返っていた。
『生きてます!? 手足、欠けてませんか!?』
「ある! 全部ある! でもやばい! なんか、牛!」
『牛!?』
「着物着てる! 喋らない! ずっと見てる!」
通信の向こうで、紙をひっくり返す音と、誰かの罵声が重なった。
『……了解。いいですか夜凪、絶対に近づかないでください。交戦禁止。刺激厳禁です』
「うん。無理。近づけない」
『原因は妖精による龍脈拡張と見て間違いありません。神は結果です』
夜凪は眼下の森を見る。まだ禍種は湧き続けている。
「…じゃあ、妖精をどうにかすればいい?」
通信越しに、即答が返ってきた。
『いいえ。何もしないでください』
その声は、珍しく迷いがなかった。
『神の気配は覚えましたか? 今も動いていないか、それだけ確認してください。結界師は既にこちらへ向かっています。到着まで、約十五分』
「いや、死ぬわ」
夜凪は即座に言った。
「私、今も神に捕捉されてるんだけど」
沈黙は一瞬。
『…何かあった場合は、手持ちの銃かナイフを使用してください』
淡々とした声。
『回収は保証します。何年かかっても、骨は持ち帰りますので』
「そんな馬鹿な。嘘だと言ってよ、カンシィ。」
声が、わずかに裏返った。
返事はなかった。代わりに回線がノイズを噛む。夜凪は通信を切らず、そのまま空中に留まった。
高度を保ち森の上空、神社の位置から視線を外さない。夜凪は神と言ったけれど、神のようなナニかは動いていない。動かず夜凪だけを見ている。
時間はがやけに遅く感じる。山の上空は冷える。汗で濡れた服が体温を奪い、夜凪の肩が小刻みに震え始める。歯が、ガチガチと鳴った。止めようとしても、止まらない。
(……最悪)
神は何もしない。だが、何もしないこと自体が、圧力だった。視線を向けられているだけで、呼吸が浅くなる。心臓が、異能の制御を乱そうとする。夜凪は必死に自分を落ち着かせる。
(あと、十五分……)
意識が狂いそうだ。禍種は増え続け妖精の気配は、神社の周囲で弾むように揺れている。
それでも神は沈黙を貫いていた。威嚇も、怒りも、祝福もない。ただ在るだけ。それがどれほど恐ろしいかを、夜凪は初めて理解していた。
特A級能力者。災害指定。過剰戦力。化け物。色々言われてきたけれど、人間は所詮人間だった。本物の化け物には敵わない。文字通り次元が違う。
寒さと緊張で、視界の端が白く滲む。夜凪は、ひたすら神社を見つめ続けた。
神に捕捉されたまま。




