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人権なし異能者  作者: 緋鯉
1ヶ月の内容 続き
37/44

31

魔乱発生から10日目

18:10


「やっと見つけた。」

山へ入った夜凪はやっとこさ第3波の原因である龍脈を見つけた。


高度は低く、木々の間を滑るように飛んだ。すれ違う禍種は、すべて殺した。そして、時折地面に降り立ち地面に両手をつけ、異能を網のように薄く広げる。


夜凪は人の魔力、禍種の魔力なら点として感じる。だが、龍脈、自然由来の力は違う。そこにあることだけはわかるがぼんやりとしている。自然の力は意思も敵意も無いため夜凪の感知とは相性が悪いのだ。


そうして、当たりが暗くなった頃。夜凪はようやく魔乱の第3波を見つけることができた。



山の奥。そのさらに奥。人の足跡が途絶えた場所。木々の密度が増し、地面は柔らかく、湿っている。獣道すら見当たらない。そこに建物がポツンとあった。


「……神社?」


傾いた鳥居。崩れかけた石段。崩れた社殿。雰囲気はおどろおどろしく空気が重たい。行政マップにも、災害想定にも載らないような場所だ。


夜凪が鳥居を潜り一歩踏み込んだ瞬間ぞわり、と空気が震えた。


「あ」


見えないはずの存在が見えた。夜凪の足は即座にとまる。

目の前に何かが立っている、異型の物。神か精霊か、はたまた上級禍種か。


見えない時は何も感じなかった。見えた今では夜凪は動くことができない。喉がヒクッと震える。頭上から夜凪に向けて強い圧が送られる。ナニかが四つん這いで夜凪を見下ろしているのを感じる。


目の前のナニかは黒い毛皮を纏っていた。夜凪の頭ほど大きな瞳が静かに夜凪を見下ろしていた。敵意は感じない。だが、敵でないとは断言できない。


夜凪は1歩下がる。ナニかは、牛の姿をしていた。顔立ちは明確に牛。大きな角、濡れたように光る鼻先。だが体つきは人に近く、古びた着物をまとっている。その布地は風もないのに、わずかに揺れていた。


それは一切、動かない。瞬きも、呼吸も、威嚇もない。ただ、夜凪を見下ろしている。


その沈黙を嘲笑うように、周囲から小さな笑い声が湧いた。くすくす、くすくす。鈴を転がしたような、軽く甲高い音。

妖精たちだ。


社殿の軒下、割れた石段の隙間、鳥居の影。小さな光の粒のような存在が所狭しと浮かび、夜凪を覗き見ては笑っている。


今回の龍穴は、彼らが原因だった。


妖精は悪意を持たない。ただ龍脈から溢れる力を面白そう、強くなりたいと少しずつ広げただけだ。

だがその結果、龍脈は本来の許容量を超え、溢れた。


そしてかつてここで祀られていたナニかを目覚めさせてしまった。


人に忘れられ、名も失い、社だけが残った存在。強大な力を持つそれを、昔の人間は神と呼んでいた。


神とは何か。精霊か、妖精の集合体か、魔物か。今も分類は定まっていない。


ただ一つ確かなのは、理解できないほど強大な力を持つ、自然由来の存在であるということ。


日本人は古来より、理解できないものを神として祀ってきた。山、川、雷、疫病。恐れ、畏れ、形を与え、名を与えた。それが善である場合もあれば、災厄である場合もある。今回も、その延長線上にある存在なのだろう。


だが、この神は何も語らない。何も動かない。ただ、夜凪を見ている。その視線に、評価も敵意もない。


夜凪は唾を飲み込み、ゆっくりと一歩、後ずさる。


砂利が音を立てた瞬間、妖精たちの笑い声が一斉に高まった。

だが、神は動かない。


もう一歩後退する。鳥居の外へ出ているのに神の姿は見えたままだ。


夜凪は次の瞬間、全力で飛んだ。空気を裂き、木々の上を突き抜け、一気に上空へ。神社が、森が、山が、急速に遠ざかる。点になるまで、止まらない。


神社が点に見えた頃ようやく夜凪は止まる。夜凪は止まり息を吐いた。


「……っはぁ!!!はぁ!はぁ!…ふぅー。」


ぶわっと汗が噴き出し、心臓が暴れる。指先が、かすかに震えている。


「……こっわ!」


理解できない存在は、誰にとっても恐ろしい。それが敵意を示さないなら、なおさらだ。目的がわからない。夜凪は震える手で通信を開いた。


「か、か、カンシっ……! かみ! 神いた!」


一瞬の間。


『……はぁ!?』


返ってきた声は、明らかに裏返っていた。


『生きてます!? 手足、欠けてませんか!?』


「ある! 全部ある! でもやばい! なんか、牛!」


『牛!?』


「着物着てる! 喋らない! ずっと見てる!」


通信の向こうで、紙をひっくり返す音と、誰かの罵声が重なった。


『……了解。いいですか夜凪、絶対に近づかないでください。交戦禁止。刺激厳禁です』


「うん。無理。近づけない」


『原因は妖精による龍脈拡張と見て間違いありません。神は結果です』


夜凪は眼下の森を見る。まだ禍種は湧き続けている。


「…じゃあ、妖精をどうにかすればいい?」


通信越しに、即答が返ってきた。


『いいえ。何もしないでください』


その声は、珍しく迷いがなかった。


『神の気配は覚えましたか? 今も動いていないか、それだけ確認してください。結界師は既にこちらへ向かっています。到着まで、約十五分』


「いや、死ぬわ」


夜凪は即座に言った。


「私、今も神に捕捉されてるんだけど」


沈黙は一瞬。


『…何かあった場合は、手持ちの銃かナイフを使用してください』


淡々とした声。


『回収は保証します。何年かかっても、骨は持ち帰りますので』


「そんな馬鹿な。嘘だと言ってよ、カンシィ。」


声が、わずかに裏返った。


返事はなかった。代わりに回線がノイズを噛む。夜凪は通信を切らず、そのまま空中に留まった。


高度を保ち森の上空、神社の位置から視線を外さない。夜凪は神と言ったけれど、神のようなナニかは動いていない。動かず夜凪だけを見ている。


時間はがやけに遅く感じる。山の上空は冷える。汗で濡れた服が体温を奪い、夜凪の肩が小刻みに震え始める。歯が、ガチガチと鳴った。止めようとしても、止まらない。


(……最悪)


神は何もしない。だが、何もしないこと自体が、圧力だった。視線を向けられているだけで、呼吸が浅くなる。心臓が、異能の制御を乱そうとする。夜凪は必死に自分を落ち着かせる。


(あと、十五分……)


意識が狂いそうだ。禍種は増え続け妖精の気配は、神社の周囲で弾むように揺れている。


それでも神は沈黙を貫いていた。威嚇も、怒りも、祝福もない。ただ在るだけ。それがどれほど恐ろしいかを、夜凪は初めて理解していた。


特A級能力者。災害指定。過剰戦力。化け物。色々言われてきたけれど、人間は所詮人間だった。本物の化け物には敵わない。文字通り次元が違う。


寒さと緊張で、視界の端が白く滲む。夜凪は、ひたすら神社を見つめ続けた。


神に捕捉されたまま。

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