誕生日②
命令書は、朝の五時に届いていた。
紙ではない。電子文書。
暗号化レベルは最高位。閲覧権限は、カンシ個人に限定。端末が短く振動する。件名は、ただ一行。
《特A級能力者・管理措置実施命令》
カンシは椅子に腰掛けたまま、即座に開封しなかった。遂にこの時が来てしまったのだ。数秒後、カンシはゆっくりと視線を落とす。
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発令機関:異能管理庁・特務異能対策本部(SAB)
発令時刻:本日 05:02
対象:特A級能力者 満月 (御月夜凪)
担当執行官:特A級能力者 満月担当専属監視官 新月
【命令内容】
対象が満20歳に達したことを確認次第、
特A級能力者管理規定 第三条・第七項に基づき、
体内制御チップ(GPS・遠隔起爆装置複合型)の埋設処置を実施せよ。
【補足】
・当該処置は例外なく必須とする
・説得・説明は担当執行官の裁量に任せる
【拒否時対応】
対象が処置を拒否した場合、同規定 第十一条に基づき即時排除とする。
排除は「事故」または「任務中の不測事態」として処理される。社会的影響は政府が全て引き受ける。
【注意事項】
・対象との私的関係性は考慮しない
・情動による判断遅延は禁止
本命令は最終決定事項であり、
異議申し立て・再検討は一切認められない。
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文書は、ここで終わっていた。署名はない。判子もない。必要がないからだ。
カンシは端末を閉じた。指先が、わずかに震えている。それを視認し、拳を軽く握りしめた。
カンシは廊下を歩く。足音は一定。姿勢も呼吸も、訓練通り。扉の前で一度だけ呼吸を整える。
俺はいつも通りだ。
そう、自分に言い聞かせる。
コン、コン。
入室。
夜凪はベッドに座っていた。
美しい容姿に眠そうな黄金の瞳。二十歳の誕生日だというのに、特別な感情は見えない。
「夜凪、おはようございます。良く眠れましたか?」
声は正常。自分でも驚くほど、いつも通りだった。
「んー。あんまり」
欠伸混じりの返答。その無防備さが胸の奥に刺さる。
「そうですか」
返答は短く。言葉は足さない。余計な感情を出さないためだ。夜凪の視線が、こちらを捉える。
「……カンシ、体調悪い?」
心臓が、一瞬だけ跳ねた。
気づくな。気づかなくていい。
「今日、任務ないよね。私、部屋で大人しくしてるから。カンシも休んだら?」
彼女は本気で言っている。自分を気遣っている。その気遣いが今は何よりも苦しい。彼女はいつだって己を気遣ってくれるのだ。であった当初から。
「ありがとうございます」
微笑もうとした。うまくいかなかった。カンシは任務内容を夜凪に伝える。言葉にすると、後戻りできなくなる。それでも言わなければならない。
「簡単なものです」
逃げ道なんて、初めから用意されていない。
「特A級能力者は、二十歳になると体内にチップを埋め込まなければなりません。それを、今から行います」
夜凪の空気が変わる。予想通りだ。
「……チップ?」
「ええ」
正直でいると決めていた。夜凪には嘘はつきたくなかった。
「──GPSと爆弾です」
夜凪が黙る。即答で拒否する。7年前と同じだ。彼女は昔にも同じ内容を断っている。
「縛るなら爆弾じゃなくて魔術でいいじゃん」
分かっている。それが合理的だということも。夜凪が約束を破らないということも。だが、それではダメなのだ。政府はそこまで甘くない。魔術だと契約不履行時にしか夜凪を処分できない。国はそんなことを求めてはいない。いつ、どこで、どんな時でも特A級能力者という化け物をすぐさま処分できるカードが欲しいのだ。
「私がこれ断ったら、カンシに不利益あるの?」
喉が詰まる。
カンシに不利益はない。ただ夜凪を殺さなければならないだけだ。カンシの経歴、職務に何ら不利益は被らない。
「……と、くに、ありません」
ああ、喉の奥が閉まる。声が出しにくい。最悪な気分だ。
「夜凪、どうしても、駄目ですか?」
最後の確認。どうか、頷いてくれ。そう、カンシは願いを込めて夜凪に問いかける。
「ごめんだけど。嫌かな」
夜凪の柔らかい声。カンシの言葉を否定する声。カンシは目を閉じる。
「……そう、ですか」
「分かりました」
任務は、次の段階に移行する。
「食堂でご飯にしましょう。私はこの件を報告に行きますので、貴方は先に向かってください」
いつもの口調。いつもの気遣い。いつもの自分。何とも気持ち悪い。廊下に出る。絹の擦れる音で夜凪が振り返ったのがわかる。
「……わかった。ごめん、カンシ」
その言葉で、心臓が一度だけ軋んだ。
カンシは振り返れない。今、振り返れば己の顔を見ている夜凪を撃たなければならない。せめて、彼女が前を向き自分から顔を背けた時に撃とう。
数歩、距離が開く。
――今だ。
拳銃を抜く。安全装置は彼女に会う前に解除されている。
照準は脳。せめて痛くないように。彼女は痛みを嫌がるから。
バンッ。
一発目。外した。喉を撃った。
彼女の声なき声が漏れた。
続けて、四発。
命中を確認。一発は後頭部にあたる。残りは心臓にあたる。早く死ね。今死ね。もう動かないでくれ。能力者は生命力が高いから嫌いだ。
夜凪が、ゆっくりと振り返る。鼻から下の形が大きく歪んでいる。何か言おうとしたのだろう。ゴポリと変形した口元から空気とともに血が溢れる。それを夜凪は触って確認していた。
徐にあの黄金の眼がカンシを見る。依然として美しい瞳の色。
この黄金の眼の化け物は何を考えているのだろうか。いっそのこと、禍種のように己を捻り潰してくれたら良かったのに。カンシはそう思う。
「ええ」
声が震えないことに、安堵してしまう自分がいる。
「残念です。本当に」
最後の一発。
バンッ。
頭部。即死を確認。
夜凪は崩れ落ちる。
今日は夜凪の二十歳の誕生日だった。カンシは銃を下ろす。己は冷静だと、そう思っていた。そう思っていたはずなのにカンシの手は大きく震えていた。
夜凪は最後に何を言おうとしたのだろうか。
地面に落ちている彼女を一瞥するとカンシは踵を返し、歩き出す。




