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夜凪が避難所に入るとそこは混沌としていた。
避難所ではまるで恐怖が息を潜める巨大な檻だった。
天井の一部は落下し、吹き抜けに黒煙が漂う。壁は壊れ、電気はチカチカと明滅している。数百人が詰め込まれた通路は汗、血、人の声で満たされ、むせ返るほどの密度。その場にいるだけで息が詰まりそうな空気感だ。
喧騒に包まれ誰かが泣いている。
誰かの小さなパニックが、周囲の神経を引き裂く。
「こっち来ないで!」「押すなよ馬鹿!」
「水は!?」「スマホが……繋がらない……」
「パパどこ!? パパぁ!!」
泣き声、怒号、救命の悲鳴。すべてが衝突し、渦巻き、擦れ合い、叫びが叫びを呼ぶ。
倒れた椅子、血の跡、放り出された買い物バッグ。それを漁る人、面白いくらいに醜い光景が広がっていた。
そんな中心で、防護ベストの女が喉を枯らして叫んでいた。その女は松型B級能力者。胸に松の花を模したピンバッジをつけている。
その背中は細く頼りなさげだが折れずに背筋を伸ばしていた。
「避難経路を!塞がないで! 深呼吸してください。1階は!ここは安全です!」
言葉と裏腹に、彼女の視線は震えていた。怯えた表情と眉間の汗が、嘘を教えてしまう。人々の視線は鋭く、期待と不信が同じ形をしている。
「本当に安全なのかよ!」
「アンタらだけ助かるつもりだろ!」
「能力者ならどうにかしろよ!!」
握った拳から白い指先がのぞく。それでも彼女は言葉を返す。
「助けます。必ず!全員!」
その声は悲しく、勇敢だった。
――カツ、カツ、カツ
天井の奥から、硬い爪が歩く音。続いて、誰かの喉を潰すような悲鳴。
「ぁああああッ!! いやだああッ!!」
照明が一斉に明滅し、天井の欠片が二階から落ちてくる。 人々は示し合わせたように息を潜め、ただ天井を見上げることしかできなかった。それから何分経ったのだろうか。様子を見ていた夜凪は皆が静寂に固まるなかふらりと松型B級能力者へ近づき話しかける。
「ねぇ、松型B級能力者。この状況から助けてほしい?」
いつの間にか立っていた少女。武装した身なり。恐怖に支配された空間で、彼女は呑気に声を上げる。それだけで周囲の視線がいっせいに集まる。
誰もがこんな女に何ができるのかと、無責任なことをいうなと憤慨する。しかし、もしかしたら救われるのではないかと無意識に期待をしている。
彼女は階級を示すものは何もみにつけていない。ただ武装しただけの少女だ。だが助かったと、助かりたいと願い信じる群衆には彼女が何者であろうと関係ない。
このひとつ間違えば暴動がおきそうな緊迫感の中、目立つことは問題なのだ。群衆は期待する。
目の奥には「お前がなんとかしろ」という、押し付けがましい欲が見える。
泣き叫んでいた中年男が夜凪へ近づき肩を掴もうと乱暴に手を伸ばす。夜凪は異能で男の行動を制止する。だが中年男は震える声で叫ぶ。
「なぁ頼む!助けてくれよッ!!俺たちは何もできねぇんだよ!!」
頼みと言う名の命令。感謝のかけらもない懇願をする。そこへ別の男が吐き捨てる。
「異能者のくせにモタモタすんな!俺らを見捨てる気か!?」
震え、怒鳴り散らす。恐怖はいつだって、弱い者を吠えさせる。ヨナは表情を動かさず無言のまま松型B級能力者を見ていた。松型B級能力者は固まったまま動けない。
そこへ、離れたところで殴り合っていた男の一人が夜凪の足元へと縋り付くように転がり込み何度も何度も頭を下げる。
「俺の妻を助けてくれぇえ…!外にいるんだ!!行ってくれよ!!助けろよ!」
懇願する視線、言葉、表情全てを無視して夜凪は松型B級能力者を観察していた。
20代半ばの女。B級能力者だけあって鍛えられているが身体能力は高くなさそうだ。
松型B級能力者である以上数体の魔物を単独で撃破する力量があるはず。なら特別なのは魔術または異能の方だろうか。
夜凪は己に近づいてくる人間を、異能の力で拘束する。人々は石像のように動けない。だが、この状況でも動かない松型B級能力者へ夜凪は首を傾けさらに問いかける。
「…ねえ、マツガタ。どうするの?助かりたい?助けたい?逃げたい?どれがいい?…私の任務は魔物の殲滅だけ。人命救助なんて含まれてないよ。」
夜凪の言葉に人々の叫び声は大きくなる。
「はあ?!1人だけ助かるつもりか!!」「早く助けろ!人殺しが!誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ!政府の糞犬が!!」「どうして助けないの!?人間でしょ!!?」
命惜しさに、理不尽が剥き出しになる。その勢いに怖気付き、松型B級能力者は動けない。
無理もないだろう。むしろ見たところ20代前半の女が数時間も民衆を纏めてよく頑張った。褒められるべきだと、そう夜凪はそう思う。
呆然と民衆を見ていた松型B級能力者はふと夜凪から視線が外れた。夜凪の後方で少女が泣きながら叫んでいた。
「お願い、ママを……助けて。こわい、こわいぃい!」
それは命令ではない感情の発露。ただの弱い願いのかたち。それを見てしまった松型B級能力者は夜凪へ頭を下げる
「お願いします!私達をっ、みんなを助けて下さい!」
「もちろん。マツガタが望むなら」
松型B級能力者がふと辺りを見渡すと周囲はいつの間にか静かになっていた。顔を真っ赤にしている怒り顔の人、無表情でこちらを眺める人色々いるが誰も声を発さない。いや、発せないのだ。目の前の彼女を見ると彼女はこともなげに言い放った。
「貴方の声が聞こえないから黙らせた」
マツガタはその言葉に彼女なら何とかなるかもしれないという救いを見出す。
沈黙した数百名の群衆の前。声と動きを封じられた彼らの代わりに大規模ホームセンターである避難所を動かすのは二人だけ。外ではカンシが情報収集しながら上層部と連絡でも取っているのだろう。一向に中に入ってくる気配がない。
夜凪としては半径数kmの禍種を駆除したが、いつやつらが現れるかわからないから己の手の内である避難所に早く入ってきてほしいと思う。
夜凪は徐にメモ帳を松型B級能力者へとさしだす。「生年月日、名前、電話番号書いて」と。それに、松型B級能力者、篠宮アオイは戸惑いながら書き記す。彼女の情報が記されたそれを確認した夜凪はコクンと頷きメモ帳をポケットにしまう。
そして唐突に腕を横にスイッと振る。再度異能力を使う。石造のように固まっている人々を壁際に移動し中央にスペースを作る。そして民衆の口だけ能力を解放し話せるようにする。何か情報を零さないかと期待してだ。そうして、開けたスペースに異能を使い地面を掘り文字を書いていく。
「マツガタ、見て。これが優先順位。」
松型B級能力者篠宮アオイへ短く命令する。夜凪は今後の行動指針として考えた優先順位をマツガタへと共有する。
そこには
1、侵入経路遮断
2、1階の防衛維持
3、治療
4、人間の統治
と書かれていた。
正気に返ったマツガタは彼女に質問する。
「ま、待ってください!魔物がいるんです!まだ上に人がいます!今も襲われてるかもしれない!まだ救えるっ…!!」
「ああ、あの人は死んだよ。間に合わなかった。魔物の位置はあの声で把握できたから処分した。2階にはもう何もいない。ほら、早く見て。時間がない。」
「…え?」
「早く見ろ。」
急かされたマツガタは何を言われたのか理解しないまま慌てて地面の文字を読む。すると背負っていた鞄から急いでタブレットと通信用端末、施設図面を出して夜凪に渡した。
「これ、使えます!」
マツガタは夜凪に渡した施設図面を床に広げると半壊した施設の構造と照らし合わせ緊張で震えた声で夜凪へと告げる。
「敵性反応、総数は推定で百三十います!うち七割が、上層からの落下個体です!残りは西側シャッターと北側の荷物搬入口をこじ開け進入してきたものですっ!」
マツガタはそう言いながら指で施設図面図の三点を指示す。夜凪の言葉を理解したのだろう。瞳は潤み涙がこぼれ落ちそうだ。
「敵の主力は、屋上から階段とエレベータシャフト経由で各階に流入中です!封鎖を急がなければ、下層への崩落と魔物の流入で私達死にます!」
夜凪は視線だけで続きを促す。
「なので作戦を考えました!言います!!治癒魔術行使者は5名。彼らは重傷者が生まれた場合に備えます。物資は動ける者を使って集めます。散らばっている非戦闘員380名はここに集めます。戦闘可能なB級はここに11名と外に7名います。彼らにあなたの後を追わせて怪我人の保護と被害状況を確認させます。あなたが屋上へ向かい、侵入源の殲滅と穴の閉鎖を担当。私は1階で全指揮権を掌握し、防衛線の維持・状況伝達・治癒班保護を担当します」
マツガタは汗を垂らし必死に行動方針を述べていく。
先程の震える声で人に呼びかけていた時とは別人のようだ。流石は国家認定の松型B級能力者である。
「おーけー」
「天井まで行くために階段含む経路は複数ありますが、最短かつ敵接触の少ないルートは──こちら」
そう言って地図上に青線を引く。非常階段+管理用通路を複合し狭路を使う動線。
「このとき!接触想定数は15〜20体です!」
「問題ない。マツガタ、3つ聞きたいことがある」
「は、はい。何ですか?」
「なんで、私がそこまで動けると思うの?私の能力も知らないのに」
「助けてくれるって言ったじゃないですか!それを信じました。それに、これができなければ私達みんな死ぬしかないのでヤケクソです!」
マツガタは瞳に涙を浮かべながらも目を血走らせ吹っ切るように大声をだす。
「なるほどね。さらにひとつ。これだけの情報をどうやって集めたの?」
「私の異能は探索なんです。それと風魔術が得意なのでそれで経路とか魔物の動きを調べてました。最初は皆さん落ち着いていたし協力してくださったので…何とか今の現状まで保っったんです」
やはりマツガタは戦闘ではなく探索や支援の能力メインで松型まで登ったのか。松型が魔物を倒さずにここにいるのは勿体ない気もするけど彼女の有能さを考えたら当然か。他のB級が松・竹・梅どのランクが気になるけど今はそこまではいいか。
夜凪は考えながらも1階、2階全域に異能力の及ぶ範囲を広げ異能力、魔力を感知していく。そして禍種か人か種類を判別し禍種のみを知覚し殺す。
「…そうなんだ。それは良かった。最後に貴方が言ってたB級はどこ。」
「他階層へ行き1階への魔物の侵入を防いでくれてます。」
建物内に散らばってる11人はB級で間違いないってことか。何人か死にかけみたいにオーラ弱いけど大丈夫かな。まぁ、いいか。1階西側のシャッターは多分これだろうな。
夜凪はマツガタから見せられた施設図面図と異能力で感知している建物内の構造を照らし合わせながら西側シャッターに寄って集っている禍種を皆殺しにする。基本的には知覚した禍種の体を掴み、何重にも捩じり切る。禍種の駆除が終わればシャッターを伸ばして穴を塞ぎ地面を持ち上げ頑丈に埋めていく。全てが円滑に動きCGで作った映像のように速やかに片付いていく。
「うん。思ったより皆頑張ってたんだね。…西側シャッターは今終わった。封鎖もした。2階の禍種も全て殺したはず。だからあとは屋上と北だけ。全部貴方の言う通りでいいよ。それに従う。責任は私が持つよ。だから逐一報告して。」
マツガタはしっかりと頷く。
「…よし、改めて自己紹介をしよう。私は特A級能力者。名を満月と言います。よろしくお願いします。松型B級能力者、篠宮アオイ様。魔物の氾濫最前線のこの避難所を今までお守り下さりありがとうございます。ここからは共にこの避難所を護りましょう。」
「はいっ!!!」




