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人権なし異能者  作者: 緋鯉
海 大海
28/44

26

司令部テントは、広い。


布一枚で外界と隔てられているだけの仮設空間のはずなのに、音の減衰が異様だった。布か入口に魔術でも組み込まれているのだろう。

外ではヘリのローターが空気を切り裂き、無線の断片が飛び交っている。それらの雑音は全てテントの中に入った瞬間吸い込まれるように遠のく。


床は簡易パネルで、踏み込めばわずかに沈む。椅子は軍用の折り畳みで背もたれは低く、長時間座ることを想定していない。その中央に据えられた机だけが、異様に整っていた。


書類は置かれていない。コーヒーも水もない。必要最低限の端末一つだけが伏せられたまま置かれている。


椅子にはサブの役員が2名座っている。その隣には記録係。海鳥とカンシは壁際に立ち、夜凪と大海は中央に立たされている。大海は緊張感の欠片もなく夜凪に声をかける。


「大丈夫かい?」


「何が?」


夜凪は大海の言葉に鬱陶しげな顔をし大海を睨む。大海はそれに気にした様子もなく飄々とした態度を崩さない。事実、夜凪は大海が態々声をかけるくらいには疲れていた。異能で体勢を整えないと立てないくらいには。七角龍の遺物という巨大な力を放つ物体に干渉し力を抑え込む事は夜凪にかなりの負荷をかけていたのだ。さらに夜凪は細かい作業が得意ではない。だから今回の作業は夜凪にとってはとても大変だったのだ。


夜凪達の前に座るサブ役員の2人はスーツにコートというシンプルな出で立ちだ。背筋は伸び、無表情で特A級能力者を見ている。役員が言葉を発する。


「結論から言う」


声は低く、乾いている。抑揚はない。しかし、音量は過不足なく、テントの隅まで均一に届く。この役員の言葉を聞き逃さないようにと室内には緊張と沈黙が落ちる。


「魔乱に対する初動」


言葉が一つずつ置かれる。


「被害拡大防止」


声に抑揚はない。


「原因遺物の回収」


淡々とした声が、空気を切る。


「全て許容範囲内で完了した」


褒め言葉はない。全てが予想の範囲内だとでも言うような言葉。想定から外れていない。それ以上でも、それ以下でもない。


「よって、次段階に移行する」


役員の手元の端末が一つ低い起動音を立てる。司令部全体と回線が繋がった合図だ。サブの役員は端末を見ない。


「大海」


名を呼ばれた瞬間、テント内にいた参謀、連絡員、監視官たちの視線が、条件反射のように彼へ向く。空気がわずかに動く。


「君は、被災沿岸部の安定化を担当する。海象異常、港湾沈下、海由来の二次被害を生活水準まで引き下げろ」


抑えろ、ではない。回復させろ、でもない。人が住める最低ラインまで戻すこと。随分と無茶な内容である。だが国は結果以外は求めない。できないを許さない。


「同時に、対外説明要員として前面に出ろ。記者会見、国際照会、IMO経由の外交調整など。随時追って知らせる。拒否権はない。」


「次に満月。」


名前の呼び方は同じ。声の温度も、距離も、変わらない。


「君は、禍種狩りに戻れ。」


簡潔すぎるほどの宣告。


「遺物残滓に反応した個体。拡散個体。未確認種の駆除。専属監視官と共に単独行動を基本とする。大学は、病休扱いとなる。」


その言葉が落ちた瞬間、夜凪の空気が一段、硬くなる。


「連絡は必要最低限のみ。命令は専属監視官から受け取ること。帰投は、命令があるまで不要。」


ここで初めて、サブは視線を落とす。端末に表示された数字。死傷者数。被害規模。未処理反応。瞳は、数字を追うだけだ。そこに痛みも、怒りも、悔恨もない。これからの行動でどれほど被害が抑えられるかが重要になる。確認が終わると、視線が戻る。そして、最後に低く確定させるように言う。


「以上が命令だ」


その瞬間、このテントで交わされるべき言葉は、すべて終わった。意見、反論、質問は想定されていない。


だが夜凪は空気を読まない。正確に言えば、読む気がない。


司令部テントに満ちていた緊張。命令が下り次の現実へ移行するために整えられた、あの硬質な空気。個人の意見は求められいない一方的な空気。それを、彼女は躊躇なく踏み潰した。


「えー。やだ。眠たい。」


声は高くも低くもない。感情の起伏も、緊張も含まれていない。まるで、天気の話をするような調子だった。


「昨日、眠らないで遺物持ってきたから無理。異能使いすぎで体ピリピリする。休みが必要だと思う。」


言い切る。反省も申し訳なさも遠慮もない。ただの事実報告だとでも言うように。一瞬、周囲の参謀たちの動きが止まる。


ペン先が宙で止まり、端末を操作していた指が、画面の上で固まる。誰もが理解していた。


――今しがた、配置が下ったばかりだ。

――この場で許される返答は「了解」だけであると。


沈黙が張りつく。その沈黙を今度は大海が、軽やかに破った。


「その通りだ。不眠不休で頑張った私たちにご褒美はないのかな?」


声音は柔らかい。だが、その柔らかさがこの場では異物だ。大海は肩をすくめ、口元だけで笑う。視線はサブ役員に向けられているがそこに挑発のような意図はない。ただ、当然の疑問を投げたような顔だ。


「それに、勝手に私の人魚も持っていくなんて、酷いじゃないか」


言葉の選び方が、わざと軽い。


「あれ、私物なんだけど?」


完全に、火に油。役員の一人が、思わず唾を飲み込む音がやけに大きく響いた。夜凪は、即座にそれに乗った。


「そうだそうだ。横暴だ。」


間を詰めない。勢いもつけない。そのまま、ぺたっと地面に座り込む。軍用マットの上。座る場所として正しいかどうかなど夜凪にとってどうでもいい。


夜凪は疲れていた。1日目は禍種狩りと特A級2人を止めて、2日目から3日目にかけては寝ずに異能を行使した。七角龍の遺物を長距離移動し異能で保護をしながら禍種も退治した。


「お腹空いた。眠いし疲れた。今日はもう仕事終わり。」



誰一人、声を出さない。視線だけが夜凪に集まる。


叱責が飛ぶと思った者もいる。拘束命令が即座に下ると覚悟した者もいる。


だが。サブ役員は瞬きすらしなかった。呼吸も、姿勢も、視線も。何一つ変わらない。瞳に温度は乗らない。


「却下」


一言。声は低く、切断するようだった。感情は乗っていない。


「疲労は記録した。休息は後で与える」


夜凪から目を逸らさない。


「今は、動け」


夜凪は膝を立てそこに顎をのせる。そして役員を見上げる。視線がぶつかる。


「やだ」


即答。迷いも逡巡もない。夜凪が言葉を言い切ると同時に大海以外の全員がそのままの姿勢で拘束された。


夜凪にとっては拘束でも他の人間にとっては明確な実力行使だった。夜凪は膝に頭を埋める。


「今日はもう無理。これ以上やると遺物より私の異能が漏れる、かも。」


大海はその一連を眺め、ふう、と息を吐いた。長く溜め込んでいたものを外に出すように。呆れたようでどこか楽しそうな目をしている。


「いやぁ……」


肩がわずかに揺れる。


「若いってのは、凄いな」


その言葉に空気がわずかに緩む。サブは拘束されたまま夜凪を見る。その顔には怒りも焦りもない。ただ夜凪が反抗した事実を受け入れるような目だ。


「満月」


低く名前を呼ぶ。


「命令違反だ」


夜凪は動かない。


「知ってる。」


沈黙。


役員は熟考の末静かに言った。


「……いいだろう」


周囲がざわめく。明確に空気が揺れる。


「十分休め」


「十分?足りるわけなくない?ご飯食べてない。眠ってない。最低でも12時間欲しい。」


サブは微動だにせず視線を夜凪に据えたまま。


「却下」


「焼肉食べたい」


「不可」


「寝たい」


「10分寝ろ」


「疲れた」


「想定内」


「お腹空いた」


「――そこは同情する」


言葉の端に、わずかに人間味が混じった瞬間があった。しかし、次の瞬間には消え失せ空気は再び冷たく硬い膜で覆われる。


夜凪はむくりと上体を起こし、半眼でサブを見つめる。その長い黒髪が、夜の闇に濡れた絹のように肩に垂れる。黄金の瞳は眠気と疲労で少し霞んでいるが光を帯びた虹色の輝きをほんの一瞬見せた。


「ねえ、私さ。昨日からずっと眠らず異能使って疲れてる。」


「把握している」


「しかも途中でクラーケンと鯨とサメと妖精。」


「報告書にある」


「褒め言葉もないの?」


「評価は後日」


夜凪は床に倒れた。軍用パネルの床が冷たく、背中に微かに痛みが走る。しかし、その痛みも、長く抱えた疲労に比べれば小石に過ぎない。


実に子供っぽい行動だがこうやって政府に反抗することは大事である。でないと倒れるまで使い潰されるのだから。


「冷たい……政府って冷たい……」


吐息がかすかに震える。髪先が頬に絡み、ほのかに塩気を帯びた香りを漂わせる。


大海はその姿を見て肩を揺らして笑った。疲労に沈む夜凪を前にしても、彼の表情には微かな感心が混じる。


「満月さん、欲張りだね」


声には楽しげな温度がある。疲労を見透かすような余裕があり彼自身も疲れているはずなのにそんな態度を微塵も見せず余裕を崩さない。大海には大海なりの政府と渡り合うだけの力があるのだろう。夜凪のように子供っぽい反抗をせずとも。


「だってさあ」


夜凪はゴロンと大海の方を向きもごもご言う。


「休息って大事じゃん。回復アイテムじゃん。褒められたら頑張ろって集中力回復するし、ご飯はHP回復、睡眠はMP回復」


「理論武装が雑すぎる」


大海は微笑みながら、そのもごもごに突っ込む。目元が細くなり笑みが口元に広がる。


一方、サブはわずかに考える素振りを見せる。


「……条件付きで修正する」


夜凪は片目を開ける。

金色の瞳が微かに光を帯び、眠気と疲労の隙間から覗く生き生きとした輝きが、テント内の冷たさに小さな対比を生む。


「十二時間は不可。四時間だ」


「減ってる」


「食事時間を含めて四時間」


「焼肉は?」


「栄養価の高いものを手配する」


「焼肉?」


「焼肉相当だ」


夜凪は天井を見上げ数秒沈黙する。考えているのか、呆れているのか、あるいは計算しているのか、表情は読めない。もっと己のリクエストをのませることはできないだろうかそう考え口を開く。


「……妥協点としては?」


「上限だ」


大海が軽く首を傾げる。


「私の人魚は?」


「解体・解析はすでに別部署へ移管した」


「ひどいな」


「国益だ」


夜凪は再び目を閉じる。呼吸が重く、肩が微かに揺れる。


「……じゃあ四時間でいい」


あっさりした妥協。


「その代わり、起きたら焼肉ね」


「善処する」


「約束だよ」


「記録は残らない」


「信用する」


サブは踵を返す。夜凪の拘束からさいつの間にか解放されていた。


「一六〇〇起床。遅延は許可しない」


「はい。カンシ、人払いして。今から眠る」


夜凪は疲れきったように役員へ返事をするとカンシへ声をかけた。

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