25
不眠不休。
それがどれくらいの時間を指すのか、夜凪にはもう曖昧だった。
追ってくる禍種は途切れず、海は一度も完全には静まらなかった。
夜凪は遺物から意識を離さず、離さざるを得ない瞬間だけ最短で切り替え、戻す。その繰り返し。瞼は重く、とても眠たい。
そして。
「……陸だ」
誰かが言った。霧の向こう、水平線に黒い線が現れる。人工物の角ばった輪郭。防波堤。クレーン。港だ。
「まずいな」
大海が低く呟く。海を見れば一目で分かる。流れは止まらない。いや、止めない。
海は今も船を前へ流している。勢いがつきすぎている。だが減速すれば今度は追ってきた禍種と正面衝突だ。港が近づく。防波堤が迫る。このまま突っ込めば、船は大破確実。
「満月さん」
「はい」
夜凪は即答した。甲板の中央、空気の檻に包まれた七角龍の遺物が、微かに脈打つ。夜凪は集中をして持ち上げる。
船と、遺物と、人。あと人魚。重力の向きがふっと曖昧になり勢いよく空中へと浮く。
次の瞬間、船だけが前へ滑り、夜凪たちは、七角龍の遺物ごと空中に残った。
船体が港に突っ込み、防波堤に激突する。木と金属が悲鳴を上げ、辺りに轟音と衝撃波が走る。
「ミッションコンプリート」
夜凪が淡々と言う。
「次はもっといい船を買おう。」
大海はどこか楽しそうだ。
その様子を見ながら夜凪達はゆっくりと地面へ降り立つ。
行きは十一時間。帰りは、八時間。明らかに無茶な速度だった。現在時刻、午前十一時前後。
太陽は高く、港はすでに完全な戦場対応へと切り替わっている。
港はすでに臨戦態勢だった。SAB傘下。封印班、結界班、医療、迎撃、解析。黒と白の装備が並び、無数の魔術陣が展開されている。
「SAS、前へ! 追跡反応、まだ残ってるぞ!」
サス――特異能力作戦隊。
追ってきた禍種の残党へ即座に展開し、陸海空それぞれで迎撃を開始する。
「HAB、回収準備!」
ハブ――高位異能対応部。
七角龍の遺物へ複数の封印術式を重ね、空気の檻の外側から強制的に拘束を上書きしていく。
「NATS、呪い解析開始!」
ナッツ――国家異能特務隊。
遺物から滲み出る残滓と呪いを即座に分解・解呪。周囲への二次汚染を防ぐ。
流れるような連携をみせるSAB傘下のぶたい。一切の混乱がない。それもそのはずだ。
「ここまで綺麗に回るの、珍しいね」
夜凪が小さく呟く。
「専属監視官たちが、事前に根回ししてくれていたからだろう」
大海はどこか他人事のように言った。現場に着いた瞬間から、すべてが予定通りに動いている。異能者の自由奔放さを紙一重で現実に、有用な道具として落とし込む存在。それが、彼ら専属の監視官たちだった。
一方、その陰で。
「……う、うぇ……」
海鳥は港の隅でしゃがみ込み吐いている。完全に船酔いである。地面が揺れていないことに、まだ慣れていない。
「……船、大破……不可抗力……いや、説明書的には……」
カンシはというと、顔面蒼白でぶつぶつと独り言を繰り返している。報告書。始末書。減給。処分…ってこと!?どう言い訳するべきか思考が完全に迷子になっている。
「生きて帰れたから、まあいいか」
ぽつりと漏らすと、大海が小さく笑った。
「そうだね。船は壊れても、人は無事だ」
港では、七角龍の遺物が完全に隔離され、回収完了の合図が上がる。長い夜は、ようやく終わった。
回収完了の合図と同時に、港の空気が一段階、緩んだ。張り詰めていた結界が解かれ、魔術陣の光がひとつ、またひとつと消えていく。怒号と指示が飛び交っていた現場は、次第に落ち着きを取り戻す。七角龍の遺物は、幾重もの封印の中で静かに沈黙している。
少なくとも、もう禍種に狙われることはないだろう。
夜凪はそれを確認してから、ようやく肩の力を抜いた。空気の檻を解いた反動が、じわりと体に返ってくる。眠気とも疲労ともつかない重さ。
「疲れた。」
誰に言うでもなく呟く。
「一段落といったところだな」
大海は港の喧騒を眺めている。どこか名残惜しそうですらあるのが、彼らしい。そのとき、背後から慌ただしい足音。
「大海様!満月様!」
SABの一人が、書類端末を抱えて駆け寄ってくる。
「まずは、無事のご帰還お疲れさまでした。現在、被害報告をまとめておりまして……」
言葉を濁す視線が、港に突き刺さった船体へ向く。
見事に粉々の船体。夜凪もそちらを見る。
「……船、保険効く?」
「効きません」
即答だった。
「ですよね」
夜凪は納得したように頷く。SABは厳しい顔つきでなぜこうなったのか問いかける。言外に特A級能力者、つまり化け物が2人もいるのに何故この様な惨事になったのかを言及する。
「原因は?」
夜凪はチラリと大海を見るもの大海は一向に口を開こうとしない。夜凪は仕方なく口を開く。
「…七角龍の遺物を積載した状態で、全速力を大幅に超える航行を行い制動不能になったため、です。」
大海は関係無さそうな顔をして海を眺めている。サブは深呼吸をひとつ。
「そうですか。なお、船の件につきましては……ええ…上が想定内と判断しましたので……。」
カンシが、その言葉にぴくりと反応した。
「…想定内?」
「はい。特A級二名が同乗する場合、船は消耗品とのことです。」
カンシは、その場に崩れ落ちた。
「処分は?」
「ありません」
「減給は…?」
「ありません」
「…始末書は…?」
「量が多いだけで、あります」
「ありますよね!!」
夜凪はそのやり取りをぼんやり眺めながら、欠伸を噛み殺す。
「ドン」
「なんだい」
「帰ったら、寝ていい?」
「もちろん。三日は起こさないよう言っておこう」
「優しい」
大海は笑った。
どちらもそんなことが無理なことは百も承知だ。魔乱の被害はまだ収まっていない。駆除されずに残っている禍種や二次被害を収めるために特A級はまだまだ休むことはできない。今回、魔乱の原因を回収できたがまだ第二波の可能性は残っているのだ。
港の奥で、サスが最後の禍種を仕留めた合図が上がる。完全制圧。本当に、終わった。夜凪は寝不足で頭が思い。太陽の光さえ憎らしく感じる。
「……次は、陸の任務がいいな」
「なら、私と共に顔出しするかい?」
「絶対いや」
二人は並んで歩き出す。瓦礫と潮の匂いの中を、いつも通りの足取りで。背後では、解体される船と、封印される遺物と、必死に書類を追いかける人々。今回、この惨事を引き起こした張本人たちは疲労感を滲ませ太陽を遮るテントの場所まで歩いていく。
大海が空を見上げて頭上近くにある太陽を眩しそうに見上げる。
「もう、昼時か。…満月さん。昼食に人魚でもどうだろう?」
「いいね。」
そういい2人は人魚の方へと顔を向ける。すると人魚は既にサブに回収されていた。
「ドン、仕事ぶっちして焼肉行こ」
「…いいね。」




