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人権なし異能者  作者: 緋鯉
海 大海
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24

遺物と共にある船は、ほとんど逃走体勢だった。

甲板に余裕はない。空気の檻に包まれた七角龍の遺物は、夜凪の制御下で船体中央に固定され浮いている。


大海は舳先側に立ち、海を見据える。その瞳に映るのは水面ではない。水面下数百メートルの圧力層だ。


「追いつかれてしまったな」


大海のその言葉と同時に、海が呻いた。


ドンッという海中からの爆発音。海面が盛り上がりはぜる。次の瞬間、巨大な影が船の左舷をかすめる。


「わあ」


夜凪が感嘆の声をあげる。夜凪は初めてクラーケンを見た。


クラーケン。ただの禍種じゃない。外套膜には古傷が無数に走り、吸盤の縁は刃物のように硬化している。

遺物の放つ残滓に、完全に釣られている個体だ。


触手が、海を裂いて伸びる。一本が船首へ。もう一本が船底へ潜り込もうとする。


大海は両足を踏みしめる。その瞬間、海の重さが変わった。触手の周囲だけ圧が跳ね上がる。押し潰すでも、切るでもない。存在を許さない圧力。触手が、ぎしりと軋み、動きを止める。


「ドン、大丈夫?」


今度は下だ。魚影。否、魚ではない。鯨に近い体躯の禍種が三体。その背後に、サメ型の禍種が群れを成している。海が渦のように広がっていく。空からは鈴の音が響いている。


「勿論さ。だが、少しだけ手を貸して貰えるかな?」


大海は楽しそうですらある。


「満月さん、空、頼んでもいいかい?」


「了解」


夜凪は即座に切り替える。夜凪は意識を空へと向けた。


その隣で大海がまるで指揮者のように腕をゆったりと振るう。その度に海は姿形を変えて船を守る。海が、折り畳まれた。鯨型の禍種の周囲だけ、海中の重力方向が狂う。上も下もなくなり、巨体が自重で歪む。海中の圧力により禍種達はひしゃげ死んでゆく。


大海が海中の禍種を対処している間にも鈴の音はだんだんと近づいてくる。くすくすという笑い。


「来た」


夜凪は面倒くさそうにため息を吐く。


妖精だ。数は数えきれない。小さく、速く、魔力の干渉を撹乱してくる厄介な連中。


「ねえねえ、おとしものだよー?」


妖精たちはくすくすと鈴の音のような笑い声を出しながら上空から魔法を放つ。氷の矢や落雷を落とすものもいれば、無意味な花弁を散らし水鉄砲のように弱い水をかけるものもいる。その隙間から遺物へ向かう意識の糸が、何本も伸びてくる。妖精が干渉しようとしているのだ。


「触るな」


夜凪は妖精を殺すためほんの一瞬だけ、遺物から意識を逸らす。そして手を握る。


圧縮。


光が潰れ、鈴の音が途切れる。残ったのは、微かな魔力の塵だけ。



ほんの一瞬遺物から意識を逸らした。だが、それだけで十分だった。


空気の檻は維持されている。構造も壊れていない。

だが意識が離れれば、制御は緩む。その隙間から、力が滲む。七角龍の遺物は、静かに脈打ち、呼吸するように魔力を漏らす。

匂い。

熱。

呼び声。


深海の禍種たちにとって、それは鐘の音だった。


水面下がざわつく。影が集まり、速度を上げ、理性のない直進で船へ向かってくる。


「…すみません」


夜凪は遺物に視線を戻しながら、短く言う。


「気にしなくていい。私が頼んだんだ。君は何も悪くない。」


大海は即答する。その声には、疲労も苛立ちもない。彼は、ほとんどを引き受けていた。


船の周囲、半径数百メートル。その海域は、大海の支配下にある。


追いつこうとする禍種がいれば、海が押し返す。

横から回り込もうとすれば、流れがねじ曲がる。

下から来る個体は、水圧が牙を剥く。


大海の力により海の生き物が海に拒絶される。


巨大な個体も、数で押す群れも関係ない。圧され、潰れ、引き裂かれ、あるいは方向を失ったまま深みに落ちていく。

それでも来る。遺物を奪わんとする数が多すぎる禍種ども。それは海中、空中から襲いかかる。ほとんど全ての禍種を引き受けている大海。だがどうしてもほんの少しだけ手が回らない時が出てくる。その時に夜凪は対処する。そして夜凪が遺物から意識を逸らせば必ず来る。


だから彼女は、常に綱渡りをしていた。

遺物を包み、固定し、抑え込みながら、同時に周囲を警戒する。


対処のために意識を逸らす。

逸らした瞬間、力が漏れる。

漏れた力に、禍種が群がる。

その繰り返し。


「ドン、右前。」


夜凪の声。次の瞬間、右舷の海面が隆起する。

水が壁になる前に、大海が一歩踏み込む。


「沈め」


たったそれだけ。隆起した水は反転し、落下する。

飛び出しかけていた禍種は、そのまま自分の重量と海の重量に挟まれて消える。


船は止まらない。むしろ、速くなる。

大海は海を操っているのではない。船の進行方向へ、海そのものを流している。追い風ではなく追い流しだ。通常の全速力を、とっくに超えている。波が追いつけない。航跡が異様に短い。


「……ドン、いっぱい呼んでごめん。」


禍種の波状攻撃の隙間。一段落した時に夜凪は大海へ謝罪する。何度も遺物から意識が逸れることを反省する。


「問題ない。むしろあれほどの遺物をほとんど周囲に影響なく抑え込めてるんだ。君は良くやっている。偉い子だ。」


大海は淡々と返す。


「それに、君が遺物を守っている間に来た分は、全部私の担当だろう?」


夜凪は一瞬だけ黙って、それから小さく笑った。大海にフォローしてもらっていることが分かり少し気恥ずかしく思う。


「…じゃあ、帰ろ」


「ああ。急ごう」


大海が前を見る。海はまだ騒がしい。


「次が来る前に港だ」


「来てもいいけどね」


夜凪は遺物に視線を落とす。空気の檻の中で、七角龍の肉片は静かに沈黙している。


「その時は…」


「その時は?」


「また役割分担。」


大海は口角をわずかに上げた。


「そうだね」


船は速度を落とさず、闇を裂いて進んでいった。



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